夜四つと明け六つの間
賭場狂い、というものがある。
博打にのめり込んで日々の食うにも困る者、家族に見限られる者、それでもなお博打がやめられない者のことを言う。
月のみそかに薬礼の掛け取りに行って、集まった金を博打で半分以下にしてくる奴も、それに当たるだろう。
「申し開きはあるか?」
「ございませんッ」
お白州、もとい土間に正座する弥九郎は、からだ中から酒と煙草の臭いをさせながら、頭を勢いよく土床に打ちつけた。
普段はガサツなこの男も、おのれが悪いと心から思っているときは、しおらしくなる。
しかし、お奉行様、もとい刹那がこの男に与えるのが、恩情裁きであるわけがなかった。
町の木戸が閉まる前に帰ってくると言った弥九郎が、夜四つを過ぎても帰らない。夜遊びなら、やれやれまたかと放っておけても、みそかは違う。
どこの店も、みそかは掛け取りが走り回ってツケの集金をする。月のみそかや年末の大みそか、節句などは店に一番金がある日だ。押し込み強盗に襲われるのも、みそかが多い。
(何かあったのではないか)
鬼神の腕っぷしの幼なじみだが、油断や慢心、万が一も、事故だって起こるときは起こる。
刹那は布団の中で、弥九郎を殺せる方法を両手の指では足りないほど考え出してしまい、心配のあまり眠れず夜を明かしたのだ。
明け六つ、そおっと帰ってきた弥九郎は、低頭したままぺしゃんこの袋を板の間に捧げると、何も言わずに土間に下がって刹那の出仕を待っていたのであった。
ちなみにこの弥九郎のやらかしは四度目である。深川に居を構えてから年一でやらかしている勘定になる。
「俺がこの店を借りている以上、店賃があるのは知っているな」
「存じております」
「その支払いが、いつかというのは」
「明日でございます」
「そのためにあるべき金は?」
「まことに申し訳ございませんッ」
だんだん土床を削っていく土下座。この期に及んで石頭である。
掛け取りは、刹那の開業にくっついてきた弥九郎が、自分がやると言って任されている仕事だった。
踏み倒すと腹に決めている者ともなると、腕力にものを言わせる輩も出てくるので、刹那にやらせるわけにはいかなかったからだ。
ああ、それにしても。
滞りなく金を集めた帰り道、たまたま博打仲間とばったり会って、たまたま縄のれんの近くだったので酒を飲んで、たまたま手持ちがあったから賭場に寄って、運悪く負けがこんだ。
もうひと勝負、というところで、ああ今日は随分と手持ちがあるなぁ何の金だっけ……となって、一気にぞおっと頭が冷えたのだ。
後悔先にたたず、唇を咬む。
あいつらが悪い。たまたま俺の通り道を歩いてんじゃねえよ……
はあ、と刹那は血が昇った頭を冷ますための溜息を落とした。
「半分残っているだけ、まだましな方か」
「ははあ、前回よりはましな方かと思われます」
「…………」
「出すぎた口をききました」
ぎろりと家主に睨まれて、でかいからだを縮こまらせる。
綺麗な顔なので仁王みたいな歯グキむき出しにはならないが、戦神摩利支天の憤怒の相とはこういう形相ではなかろうか。
刹那の怒りは、まっとうなものだった。
表店を構える町人は、裏長屋を借りる者たちとは出費の額が違う。
裏長屋は店賃だけを大家に支払うが、表店は店賃のほかに道の整備や橋の修繕、木戸の番人である番太郎を雇う金など、町の運営に関わる責任と出費が求められる。
たびたび滞納するようでは、表店を預かる資格なし、と判断されても仕方ないのだ。
静かに怒りを溜めた独白が、弥九郎の頸を冷やす。
「……大家さんに泣きつけば、一日二日は待ってもらえるとは思うが、俺の信用はなくなる。ここを畳む用意でもするかな」
「ッんなことまでしなくていいだろ!」
まさかの廃業宣言に驚き、がばりと弥九郎は顔をあげる。だが当然のように、待っていたのは冷ややかなまなざしだった。
どの口が言うのか、と。
「何度も約束を破る奴を信用できると思うか?」
「……ッ」
度重なる滞納で三養堂が大家の信用を失うように、弥九郎は刹那の信用を失う。それは用心棒の用済みを意味している。
弥九郎は今さらながら、ことの重大さを思い知った。
土床を蹴って立ち上がる。後悔はするが動かない男ではない。動く前にあきらめることは絶対にしないのがこの男だった。
「明日までに用意すりゃいいだろ、金!」
「は?」
既に足は汚名返上に向けて走り出そうとしている。金策があるようには全く見えなかった。
「明日、何が何でも金は持ってくる! だから、妙な考え起こすんじゃねえぞ!」
勢いよく戸を開け放ち、土煙をあげて弥九郎は再び朝の町へと戻っていった。
遺された家主の淋しげな顔を見ることもないまま。
「……馬鹿野郎」
小さな罵倒が、ぽつりと板の間に落ちた。
けれどその相手はもう飛び出してしまっていて、ここにはいない。
店を続けるには、弥九郎を追い出して自分が掛け取りをやればいい。一番手っ取り早く、確実な方法だ。
出て行け。
だが、そのひとことは、刹那には言えない。実母を哀しませた実父の言葉である。
どれだけ激昂しても、あの男と同じ言葉を口にするなど死んでも嫌だった。
そして、本気で出て行ってほしいわけでもない。身勝手な話だとわきまえている。だから口にしない。
自分は恵まれているのだ。
母を拐かした女衒を見つけて殺すために生きると決めた。本当なら必死でその男を捜し出し、もう本懐を遂げて、殺人の罪で死罪になっていてもいいのだ。
医者を、人殺しの手段としか見ていなかった。
けれど医者を教えてくれた人たちは皆、それを咎めなかった。
刹那の目的を知っていてなお、惜しみなく知識をくれた。技術をくれた。
一蓮托生とでもいうように、愛情を注いでもらった。
佐治施療院の屋根の下で共に過ごした人々は、まぎれもなく刹那にとって家族だった。
大切な、生きるよすが。
(だから、あいつは俺に甘えてるし、俺はあいつに甘えてる……)
その家族のせいで今、足元が崩れようとしている。甘えの代償のように思えた。
「…………馬鹿野郎……」
三養堂はその日、店を開くことはなかった。
弥九郎回です。
彼らしくドタバタ劇です。
前回登場したあの人も出てきます。




