娑婆にも鬼と仏あり
赤鬼は困っていた。
閻魔大王さまが風邪をひいたのだ。
裁判中も、亡者の前ではくしょん、はくしょんと仕事にならぬ。ついには寝込んでしまわれた。
地獄の医者では手に負えず、娑婆の名医を連れてくるよう、赤鬼は仰せつかった。
「しかし、どの医者が名医なのか、分かりませぬ。見分け方を教えて下され」
「簡単じゃ。戸口に幽霊の少ない家が、名医の家じゃ」
赤鬼さっそく、長屋の親父に扮して、お江戸に向かう。
どの医者の戸口にも、いるわいるわ。うらめしやァと、幽霊がうようよしている。
そうしていると、はて、あの医者の戸口には、幽霊がひとりもおらぬではないか。しめたぞ。
丑三つ刻。赤鬼、麻袋と黒縄を持ち、医者を袋に詰めてゆこうと訪れた。
「おい、止まれ」
赤鬼の目の前に、棒が突き出た。舟の櫂だ。
「誰を拐おうってんだ、てめえ」
闇に紛れて男がふたり、路地から出てきた。図体のでかい、派手な着物のチンピラが、赤鬼の足をとめた。
赤鬼、愛想笑いで茶を濁す。
「へえ、うちの旦那が、大病でして。お医者さまに診てほしいんで」
「診てほしいなら、麻袋は要らないよね」
もうひとり、柔和な顔だが殺意爛々な侍の、刀がぎらりと赤鬼の首を狙う。赤鬼、顔色を青くした。
なんてこった。
ここの医者には幽霊はいないが、医者を守る用心棒には、うらめしやァが憑きすぎだ。
呪われては、かなわぬ。
赤鬼、医者をあきらめ、踵を返す。
「逃がすかっ!」
その足を櫂が払って、赤鬼、頭からつんのめる。その頭が地につく前に、刀が一閃。
赤鬼は、皮一枚残して首を落とされた。
「ひいっ、怖えぇっ」
しかし赤鬼は人でないので、死にはせぬ。藪蚊に化けて、医者の家に逃げ込んだ。
「助けて、助けてくれえっ」
時ならぬ悲鳴に飛び起きた医者の男、土間に転がる赤鬼を見て、寝ぼけまなこで声をかける。
「ここは医者ですよ。どうかしましたか」
「あっ、化けの皮が剥がれてる。せっかく化けたのに」
「ああ……なんか、赤い人、ですねえ……?」
「赤い人って」
「ここらじゃ見ない赤さです……」
「寝てますか?」
「寝て……ませんよぅ……」
「赤鬼なんですけど、大丈夫ですかね?」
「はい、患者さんは、赤くても……患者さんですから」
その声、眼差しの優しいこと。菩薩か天女の慈悲の如し。ツノがあっても、医者にくるのは皆、患者。ありがたや。
地獄に仏とはこのことかと、赤鬼、感激して。
「首を斬られたので傷薬をくだされ。あと、ついでに風邪の薬を」
医者は葛と艾葉、虎耳草の青葉汁を赤鬼の首に塗る。そして風邪には煎じて飲む用の麦門冬を持たせ、「お大事に」と声をかけたあと、寝落ちした。
娑婆から持ち帰った薬のおかげで、閻魔さまは目出度く床上げ。今日も裁きが絶好調である。
赤鬼、仲間に念をおした。
「よいか、三養堂という医者だけは、頼ってはならぬ。鬼より怖い悪鬼がおるぞ」
十日ほど経ち、はた、と医者が思い出す。
「首を斬られて、傷薬で治るっておかしくないか」
「えっ、誰の話?」
「ていうか、いつの話だよ!?」
東都は深川、蛤町。
彼の世と此の世がくっつきそうな寺町裏の三養堂は、三人の男が喧々囂々、和気藹々と人を診る、不穏で優しい医者である。
方向指示器として、序文を足してみました。
ファンタヂーになりました(笑)




