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キミと月見を

 暑い季節は駆け足で過ぎ去る。ここへ来てどのくらい経ったかな。


 近頃、モミジくんは時々ひとりでも眠れるようになった。ほんの少しだけ背も伸びた気がする。身長を柱に刻もうと提案したら、毎日測ってはしょんぼりするのがかわいかった。まだまだ人見知りはよく発動するし、隙あらばエンジュに引っ付いている甘えん坊さんだけどね。

 これからもっと寒くなるのかなぁ。雪が降る地域だと聞いたから、いざというときのために、もっと火起こしが上手になっておかないとな。


「エンジュ?」


 晴れた晩。ひとり縁側に座るエンジュを見かけて、何をしているのかと声をかけた。昼間はぴしっと袴を身につけているけど、眠る時は、こうして浴衣を着ているのが常だった。色っぺぇー、顔が良いー。自分の外見偏差値を自覚してほしい。


「どうしたんですか?」

「月を」


 傍には酒器の載ったお盆が置いてある。月夜と、美丈夫と日本酒の取り合わせ。国宝! 美術館に飾るべき。そして後世に語り継ぐべき!

 彼はこうしてたまに晩酌をする。ご相伴に預かることも、何度か。彼がベロベロに酔っ払ったところは見たことがない。


「よかったらどうだ」

「いいんですか?」


 酒器をとってきてくれる。きれいな焼物のお猪口だ。絶対に落とさないようにと恐る恐る受けとると、手ずから中身も注いでくれた。


「ありがとうございます。えと、乾杯?」

「ん」


 わたしもお酒は好き。対ストレス最終兵器アルコール。家でもひとりでよく飲んでいた。

 日本酒は、こちらに来てから飲んだ回数のほうが多い。たまーにビールが恋しくなるけど、この世界のお酒も本当においしかった。チェーンの安い居酒屋で飲むのとはワケが違いますよ、当然。


「わ、うまっ……!」


 一瞬つんとするけど、後味はすっきり。お米の甘さというか、おつまみがなくてもお酒だけでくいくいいけちゃう。これは危険……ッ!


「こんなおいしいお酒、初めて飲みました!」

「それはよかった」


 神様にお供えされるくらいだし、やっぱり特別なのかも。


 真っ暗な空に、灯りも要らないくらいの見事な満月。月見酒かぁ。こんな時間の過ごし方、元の世界にいたらたぶん知ることはなかっただろう。スマートフォンと動画サイトをなんとなく眺めるばかりで、外の風の匂いや空の色の違いなんか、さっぱり気にしてこなかった。


「……ひょっとして、月を見ると吠えたくなったりとか、しますか?」

「うん?」

「ああいえ! 何でも!」


 ぐい、と器を傾け、ごまかす。ついつい調子に乗ってしまうのがわたしが陽キャになれない所以だ。それでも、口数の少ない神様とゆっくり話せるのは嬉しかった。


「……誰かと」


 ふぁさふぁさの灰色尻尾が、くるんと上向いたままゆらゆらと揺れている。おや、ちょっとご機嫌?


「誰かとこうして酒を酌み交わすのは、ずいぶんと久しぶりな気がする」

「そう、なんですか?」

「里の宴会で、好きに飲み食いするわけにもいかない」

「あはは、神様が酔いつぶれたら大変ですもんね」


 手酌しようとするから、慌てて徳利を取った。大きな手の、お猪口を繊細につまんだ指先。まるで彫刻みたいにきれい。

 きっと……もしもまだ群れにいたのなら、同じオオカミの仲間とこうして酒宴を開いていたのかな。


 静かにお酒を口に運ぶ姿はサマになる。奥さんが惚れたのもわかる気がした。

 推しの恋愛事情を知りたくないオタクもいるだろうが、わたしはそこも含めて愛したい派。幸せになってほしいし、そこに自分の影はないほうが断然いい。

 彼は、どんな風に愛を囁くんだろう。妄想だけで白飯三杯。立場も仲間も何もかも、放り出してまでただひとりと共に居たいと望んだ激情は、今の姿からはとても想像がつかなかった。


「気になるか」

「え?」

「モミジの母親のこと」


 出し抜けに問われ、思わず固まった。おいおいやめてくれ、読心術か?

 エンジュの顔色は変わらない。外を見つめ、穏やかなテノールも普段通り。

 たっぷり迷って……勇気を出して、頷いた。


「奥さんとも、こうしてお酒を飲みましたか……?」

「……数えるほどしか」


 長い長い沈黙が流れる。カエルの鳴き声、虫の音。涼しい風が心地よい。彼は少しずつ唇を濡らす。


「メノウといった」

「メノウ様……きれいなお名前ですね」

「きみよりも背は低くて……よく、藤色の着物を着ていて……それから」


 ぽつぽつと、一つずつ宝物を取り出すみたいに。かつて愛した相手を語る声は、湖面のようにどこまでも静かだ。


「彼女は、俺との子どもが欲しいと言った」


 また一口。


「俺はただ……ただ、彼女と家族になりたかったんだ」


 愛情深い種族だと、シノノメ様の話は疑うべくもなかった。里の人たちのことも、当然モミジくんも、大切に思っているのがいつも伝わってくるから。


「不思議な感じですね」

「不思議?」

「なんていうか、その……神様も恋をするんだなって。ちょっと意外でした」

「食欲を持つことは疑問に思わなんだな?」


 真顔で首を傾げられ、思わず頬が熱くなる。三大欲求ですねなるほど……?!


「アサギ」

「はい」

「きみは、家に帰りたいか」


 驚いて隣に顔を向けた。エンジュは目をあわせることもなく、ずっと外を眺めている。


「家……というのは」

「元居た場所の」


 お酒を飲んでいる時にそういう話をするのはずるいなと、少しだけ思った。

 考えないようにしていたのは、諦めていたからじゃないのか? 自問する。毛の先ほどでも可能性があるなら、帰りたいと思わないか?


「まあ……そうですね。懐かしいなとは、思います」


 膝を見下ろす。浴衣も自力でどうにか着られるようになったし。ゲームもアニメも電波もないけど、静けさの中で、たくさんの自然の音があることを知った。


 かたっ、と背後で物音がする。反射的に振り向くも、野良猫一匹すらいない。同じく暗闇を見つめるエンジュの尾が、微かに強張った。


「エンジュ?」


 彼は嘆息したが、「いや」と呟いただけだ。


「……ええと、帰りたいかって話ですけど。わたしですね、肉親はみんな亡くなってるんです」


 ついでにこっぴどい失恋もしたしな!

 行儀は悪いかもしれないが、器の中身をぐびっと一気にあおる。


「だからそんなに未練もないといいますか……や、皆無、ってわけじゃないんですけど――」

「神子とは、もっと特別な存在だと思っていた」


 やだなあ、ただの平凡な会社員ですよ! と普段の調子で返せばよかったのに、間に合わなかった。


「こうも家族のようであるなら、もっと早くに迎え入れるべきだった」


 いよいよそれはズルじゃん、と思った。ズルいよそんなの。紛らそうとしたけれど、そうだ、さっき飲み干したんだった。

 エンジュもそれきり口をつぐんでしまったから、わたしも何も話せない。嬉しいのか、寂しいのか、自分でもよくわからなかった。


 それからとうとう、「休もうか」と彼が緩慢な動作で立ち上がるまで、わたしたちはただ並んで、ぼんやりと月明かりを眺めていたのだった。


いつもありがとうございます。折り返しを過ぎてあと少し、どうぞお付き合いくださいませ。いいねやブクマなどなど励みになりますので、よろしければポチっとお願いします!

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