44.裏切り者の王子様
美しく整然と切り揃えられていた髪は、意図的に雑然と切り散らされ、手入れも疎かになったせいか、枝毛や癖毛がとても目立つ。
また、顔の肉が落ちたことでふっくらとした幼げな輪郭は消え、顎が鋭角に近づいた大人っぽい顔立ちに変わっている。
「何があったんだエチル。随分と顔色が悪いぞ。ダイエットのし過ぎは良くないぞ。冬は体脂肪が付きやすいとはいえ、それは季節の移り変わりに従った人間の本能なんだ。だから大人しく健康美を目指して……。」
「いつからそんなにペラペラ自分から話す人になったの?」
氷のように冷たい言葉が、俺の胸に深々と突き刺さった。
「私は現実的な話がしたいの。ねえ、この後ヒマ?できるならキバ君の部屋で温まりながら話がしたいのだけど。」
「一方的な要求だな。だが、まずはダメだと言っておこう。」
「何故?」
「寮の規則で異性の寮棟には入っちゃいけない決まりがあるだろう?それに反するからだ。お前も知ってるだろ。」
「何故?」
「何故って……そりゃあ、乱れた不純異性交遊による風紀悪化を防ぐためだろう。」
「何故不純異性交遊がいけないっていうの?でも、風紀を頑なに守ろうとするのって、キバ君のエゴじゃないの?ホラ、どうせ誰もいないんだからさ、バレはしないわよ。」
エチルは必死に物乞いをするような目で「何故、何故」を繰り返してくる。
今日の彼女は何かがおかしい。
雰囲気といい、喋り方といい、いつもの飄々とした憎たらしさが感じられない。彼女の扇情的な語り口を構成するピースが幾つか欠けたか……あべこべに組まれてしまったような、整合性の無さが窺える。
それよりも、今日のエチルには、俺の知っている「誰か」の面影があった。
「ハスィは死んだわよ。」
その少女の名前を聞いた時、背筋に悪寒が走り、全身の筋肉が痙攣する寸前にまで陥った。だが、俺はエチルの戯言に言葉を返さねばならなかった。
「ハッッッッッ?」
全力の怒りや驚きの表現は反って滑稽になった。
エチルは口元に笑みを保ちながら、淡々と事情を説明していく。
「ヒロインは『悲劇』という属性を持ったのよ。それも首吊り自殺。私が学校の冬期講習から帰ってきたら、既にこと切れていたわ。二日前の出来事よ。」
「つまらない冗談はよせ、あの強欲なエゴの塊鉄面皮がどうしたら自殺するんだ。」
「確かに強欲で醜いエゴを……あのコはよくよく正直な性格だったわ。だけど……人一倍罪悪感に強く、心が弱かった……。その事はキバ君が一番よくわかってるでしょう?」
エチルは一歩ずつ俺に近づきながら喋り続ける。
一歩
「私は全て知ってるのよ。あなたとハスィの間に何があったのかも。私はキバ君のことを『裏切り者の王子様』と言ったわよね。」
手袋と首筋に嫌な冷たい汗が噴き出す。体を揺らして、焦りをごまかす。
一歩
「あの時、きちんとハスィを慰めてあげればよかったのよ。あいつらが悪い。俺だけはハスィの味方だって。それで、思いっきり蕩けあって、存分に爛れてしまえばよかった。途中まではイイ雰囲気だったんでしょ?それをキバ君はぶち壊して……ハスィの期待を裏切ってしまった。」
俺は唾をのみ込む。
一歩
「ハスィだって発情してたのよ。きっと、激しく興奮して、熱も上がってサ。知ってる?人間って興奮すると唾液の粘度が上がるのよ?だから、ディープキスはお互いの唾液が舌に絡み合って、あそこまで気持ちよくなれるの。キバ君も味わったでしょう?」
一歩
「ハスィは恥を捨てて、信条を捨てて、楽になろうとキバ君に望みをかけて、素直に愛してもらいたかった。欲望に正直に、性欲という愛のカタチでも構わない。理屈や道理で縛られるのが嫌だったのでしょうね。奥手な彼女にしては、よくよく大胆に行ったセックスアピールだと思うわ。」
そして、エチルは胸を押し付けるようにして、俺の体にぴったりとくっつく。いつもの間合いよりも近い。
「それが……何なんだよ……。」
俺は見苦しく声を震わせながら言った。
「突然のことで何がなんだかわからねえよ!!もっと事情を詳しく説明しろ!それで何が言いたいのか先に言え。」
「ありふれた主人公みたいなカッコ絶望みたいな台詞を吐くのね。まあ、端的に言えば、ハスィは自殺して二日、私はショックから立ち直って直ぐキバ君に伝えに来て、ハスィの遺志を果たそうとしているの。あ、信じられないのなら、現場の写真撮ってきてあるから、見たければ見せるけど。」
俺は首を振った。見て現実を知っても話は終わらないからだ。
それよりも、ハスィの遺志というのが何なのかが気になった。
「ハスィの遺志?」
「そう、ハスィはね。本気であなたの事を信頼していたのよ。だから、あんなに毛嫌いしていた性的な女の性を受け入れて、キバ君との行為に及ぼうとした。ハスィが悩んで悩んで、自分では絶対に答えが出ないと結論を出したから。また、最悪の『他人にどうにかしてもらう』というのが、キバ君とセックスすることだったのよ。ハスィは自らの汚れを認めて、キバ君と汚れあいたかったのよ。」
「キバ君は最後まで誠実だった。ハスィと同じくらいにね。でも、ハスィには『私が汚れようと言ってるのに、キバはまだ綺麗なまま私を救おうとしてる』と取られちゃったのよ。キバ君はそれに気づけてたかは知らないけど。でも、本当にどうしようもないコよね。つくづくメンヘラ、死んで当然の人間だわ。」
「それ以上ハスィを悪く言うなっ!死人に鞭打つのも好かん!」
「そう?追い詰めたのは私たちよ。それも、社会的に正しい価値観の下、誰にも咎められず、ハスィも甘んじて受け入れてた。何が原因というより、ハスィの考え方では時間の問題だったということね。」
「『裏切り者の王子様』と言ったわね。裏切り者らしく、彼女を否定してしまえばよかった。だけど、キバ君は裏切り者である事を告白した上でなお、ハスィを救おうとした。この行為が如何に不誠実で、自己保身的な事に気づいてる?」
「俺は一生懸命……ハスィの意思に寄り添ったつもりだ。だが……。」
何故こんなにも深い罪悪感があるんだ?
「キバ君は何も悪くないわ。全てはハスィが悪いのよ。気に病むことは無いわ。それよりもさ、今日の私見てよ。どう?」
「よくよく破滅的な見た目をしている。グッ……!」
俺はエチルの上目遣いから顔を背けると、背けた視線の先にタブレットの画面を見せられる。
「…………何てモノ見せるんだ!!ングッツ!」
瞬間的に目を瞑ったとき、唇に柔らかく冷たい感触がぶつかる。
俺の口の中は乾いていた。だが、彼女の興奮もねばりつく唾液から知ってしまう。
ハスィに似せたのよ。彼女が叶わなかった、傷の舐めあい……爛れあい、せめてもの手向けに私がやってやろうと。
私がキバ君と交わって、部屋で冷たくなっているハスィに、体温を分けてあげるの。
邪魔者はいなくなったわ。もともと私はキバ君のことは好きだったのよ。私はこうする事が出来て今とっても幸せ。
キバ君も男なら……そうでしょ?
それとも役ただず?
俺は結局、世界に踊らされている気がする。
どこへ行っても不幸になる。
その度に『俺が悪かった』と失敗を自分のせいにする。
さすれば、罪を自分で認めれば、誰も責めはしないから。
人から感情を奪ったら、個人の性質は何が残るのだろう。
自分が自分である必要がどこにあるのだろうか。
下らない、諦めたから、絶望したから、自分を失ったから。
死んだのか。
俺は二度の絶望の記憶を思い返した。




