Maria×Ash×Vampire04
「ホノカ!」
レオが叫んだのと同時にアタシは部屋の奥に向かって走った。男の子と距離を取り、振り返って向き合う。
男の子はじっとアタシを見ていた。アタシと男の子の間にはローテーブルとソファがある。
アタシがじり、と左足を動かしたら男の子がテーブルとソファを飛び越えてきた。思い切り振り上げられた右拳がアタシの顔面めがけて振り下ろされる。アタシはそれを仰け反って避けたが、身体を動かせない状態のところに左拳を入れられ、ふっ飛ばされた。
「がはっ」
宙を飛んだアタシはそのまま壁際にあったソファにぶつかった。背中を強打し、思ったよりも痛かった。
「ううっ」
ソファに腕をつき、立ち上がる。
「!?」
顔を上げたところに膝蹴りを食らった。
バアンッ
「いっ!」
車と車がぶつかったような音がした! さすがに痛くて顔を押さえてよろけると、今度は男の子の右手がアタシの頭を掴み、思い切り壁に押さえつけた。
「がっ!」
頭が壁にめり込んだ。
痛い。頭がガンガンしている。耳がキーンとしている。視界が霞む。
なんで。どうしてアタシはこの男の子に殴られたり蹴られたりしなくちゃいけないの? どうして男の子はこんなことをするの?
「アンナ様がそれをお望みだからだよ」
いつの間にか声に出していたのか、男の子が答えてくれた。
「……あの人の望みなら何でもするの?」
視界がぼやけている。アタシは何度も瞬きして視界を晴らそうとした。
「そうだ。アンナ様が望むのなら、僕は何だってする。殺せと言われれば、僕は喜んで殺す。死ねと言われれば、僕は喜んで死ぬ」
「どうして? どうしてそこまでするの?」
「アンナ様を愛しているからだ」
男の子の顔がアタシを覗き込んでいた。真っ赤な瞳がぬらりと光った気がした。
愛……。愛している人のためなら何だって出来てしまうのだろうか。平気で他人を殺し、自分さえも殺すことが出来るのだろうか。分からない。アタシには分からない。アタシにはそこまでしてあげたい人なんていない。
「うっ」
カラララ……
男の子の手がアタシの髪を掴んで引っ張った。その途端、嫌な記憶が蘇ってきた。あの、あの残酷な吸血鬼に痛めつけられた記憶だ。
「いや……」
嫌だ。死にたくない。アタシはそう思った。途端、身体が熱くなった。
「嫌ぁっ!」
アタシは思い切り男の子を押した。ブチブチ、と髪が千切れる嫌な音がして男の子の身体の感覚が両手から消えていることに気がついた。
何かが叩きつけられたような大きな音にびっくりして目を瞬かせる。
男の子はローテーブルの上に仰向けに倒れていた。
ゾッとした。思い切り押したけど、そんなに押したつもりはなかった。それなのに、アタシ、相手、吸血鬼なのに、力、こんなに……。頭の中が混乱する。口を押えた手が震えていた。怖かった。自分が怖かった。
「ホノカ!」
レオの声でハッとした。男の子が起き上がってこちらを睨みつけている。殺意のこもった赤い瞳でアタシを見ている。口の端からは血が流れていた。
「殺してやる!」
男の子が弾丸のように向かってきた。
ドゴッ
アタシが姿勢を低くして右拳を避けると、男の子は壁を殴った。壁が抉られ、アタシは男の子の腕の下を転がるようにしてくぐった。
振り返ったアタシの目と、彼のギラついた赤い目が合う。怖かった。純粋に彼の殺意が怖かった。そして同時に自分自身も怖かった。今度襲われたらアタシはどう反撃するのだろう。もしかしたら思い切りやってしまってあの子を殺してしまうかもしれない。それが怖かった。
「ホノカ。ホノカ大丈夫?」
レオの声がすぐ近くでした。顔を横に向けると鳥籠に入ったレオと目が合った。猫だから表情は分からないけど、声は心配そうだった。
アタシは今、どんな表情をしているんだろう。
「……ホノカ。アイツをやっつけないとホノカが殺されちゃうよ? ホノカは死にたいの?」
アタシは小さく首を振った。死にたくなんてない。アタシは死にたくなくて吸血鬼になることを選んだ。死にたくなくて、憎いと思った存在にでもなってやろうと思ったんだ。
「でも、人を殺すのはもっと嫌。人を傷つけたくないの」
蚊の鳴くような声が唇から漏れた。そうなのだ。アタシは死にたくないけど、この手で人を殺すようなことは絶対にしたくないのだ。できることなら傷つけることもしたくない。こんなアタシは我儘だろうか。
「……そう。ホノカが嫌なら仕方ないね。……ホノカがやりたいようにやりなよ。オレはどうなっても良いからさ。もともとオレの命は無かったみたいなものだし。ホノカが赤の王を殴ってオレを助けに来てくれた時点で、オレは満足だよ」
胸が苦しくなった。涙が出そうになった。頭の中に、置いていってくれと言ったときのレオの顔が浮かんできたからだ。あの、今にも泣きそうな笑顔……。
あぁ、我儘とかそういうことじゃない。アタシは甘いだけなんだ。アタシはただただ理想だけを語る甘ちゃんなんだ。完璧な理想を実現させる術もないのに、綺麗ごとを並べただけの、何も分かっていない馬鹿だったんだ。アイゼンバーグは正しかった。
身体がだんだん熱くなってきた。覚醒した気分だった。
へたり込んでいた足を叩き、アタシは立ち上がった。
「レオ、アタシ……やるよ」
やらなくちゃいけない。アタシがやらなくちゃアタシもレオもここで終わりだ。そんなのどっちも嫌だった。アタシは生きていたいし、レオにだって生きていてほしい。今アタシを助けられるのはアタシしかいない。レオを助けられるのはアタシしかいない。アタシが何とかしなくちゃいけないんだ。
たとえそれが相手を傷つけることだとしても、アタシはやらなくちゃいけない。
アタシは胸に手を当ててゆっくり深呼吸した。目を上げると男の子がこちらを見つめていた。アタシを待っていてくれたんだろうか。そうだとしたら、この子、きっと良い子なんだろう。そう、この子はきっと良い子なんだ。愛した人のために頑張れるとっても良い子。アタシなんかより、よっぽど良い子ですごい子だ。
アタシは今からこの良い子を落とす。
「レオ、何発ならあの子耐えられると思う?」
聞くとレオはえー? と困った声を出した。
「んー、三発くらいじゃない?」
「そう、分かった」
アタシは右手の指を三本だけ立てて男の子の方に突き出した。
「三発。三発目でアンタはアタシに落とされる」
はっきり言ってやると男の子の眉がピクリと動いた。
「さっきまで僕にやられていたお前にそんなことが出来るとは思えない」




