Death×Or×Vampire03
「いいぃぃ…」
必死に奥歯を噛みしめて涙と悲鳴を堪える。今口を開いたら大声で泣いてしまいそうだった。
「ローザンヌ! やりすぎだ!」
ぼやぼやした視界にお兄さんが近づいてきてヤツの肩を掴むのが映った。
「……いっ!」
ヤツは爪を抜き、アタシの血で真っ赤に染まった手を見せびらかすようにして、舐める。
「ふぅーん。悪くないねぇ」
その後の真っ黒い笑みが今日見た中で一番怖ろしかった。人間のことを語った時のアイゼンバーグの表情よりも数倍狂気に満ちていて、一瞬でアタシを恐怖のどん底に陥れた。何かの引き金を引いてしまったのは考えなくても、分かる。もうダメだ、諦めがにじんでくる。
「ひっ!」
アタシは突然床に放り投げられ、金髪の男の人と剣のあの人の近くまで滑ってから倒れ込んだ。すぐさま上半身だけ起こし、下からヤツを見る。少なくとも足が痛くて動きそうにないのを悟られないようにしながら。今でも激しい痛みは波のように襲ってくるのだ。もう諦めたいのに、それではいけないとアタシの中のアタシが叱咤してくる。
ヤツが笑ったままアタシの目線までしゃがんだ。良い獲物を見つけた、とでも言いそうな表情は喰われる側のアタシを恐怖で埋め尽くす。もうすでにアタシの中は恐怖でいっぱいなのに。
「いい顔だなぁ」
アタシはさぞかし怯えた顔をしているんだろう。だって、とても怖いのだ。身体がカタカタと震え出すくらい。
「お前、吸血鬼は好きか?」
急に、何を言い出すのだ。アタシはカタカタ震えながら、ヤツの真意を考えようとした。
「答えろ。吸血鬼は好きか?」
ギラ、とヤツの目が光った。三度目はない、というような顔をしている。身体がビクリと大きく震えた。……ちくしょうっ。
「……嫌い。アンタみたいなヤツ、大っ嫌い!! 吸血鬼なんて大っ嫌い!」
本心だった。人を見下し、簡単に命を奪おうとする吸血鬼なんて大っ嫌いだ。ただ、少しだけ。少しだけアイゼンバーグはましかもしれないと思うだけ。でも彼だって人を見下しているような態度を取るし、命を軽く扱っているような気がする。相手の命も、自分の命もだ。アタシは彼の気まぐれで命を助けられたから彼のことを少しだけ好ましく思っているに過ぎないのだろう。たぶん、それ以外の意味はない。
「いいねぇ。お前ならそう言うと思ったよ」
「うぐっ」
ヤツは再び凄まじい力でアタシの顎を掴んだ。指が上顎と下顎の間に食い込んでいく。堪らくなって口を開け、両手でヤツの手を掴んだ。案の定、ヤツの手はビクともしない。
「自分が大嫌いな吸血鬼になったら、お前はどんな顔をするんだぁ?」
は? アタシは目を見開いてヤツの顔を見た。真っ黒な目を弓なりに曲げ、口角を上げてニヤリと不敵に笑っている。
何と、言った? アタシが、吸血鬼になる……?
ヤツが銀色の牙で自分の右手首を噛み切った。途端、血が白い腕に赤いカーテンを作る。
「見物だな」
言ってヤツは右手を下げて指先から血を滴らせた。一滴がアタシの瞼に落ちる。二滴目が、頬に落ちる。待って、もしかして吸血鬼の血を飲んだら吸血鬼になるとかそういうことか!? そんなの嫌だ!! 吸血鬼なんかになりたくない!! 化け物になるなんてごめんだ!!
「あー!! あああー!!」
アタシは精いっぱい暴れた。足をばたつかせ、ヤツの手を掻きむしり、頭を振ろうと努力した。しかし、アタシの顎を掴むヤツの手は微動だにしない。
どうしよう、アタシ、吸血鬼になっちゃうの……? そんなの嫌だ!
「そうだ」
ここでふとヤツは血の滴る腕を遠ざけた。何だ? 思いとどまってくれたのか? こんな人間を吸血鬼にしたって何も面白くないことが分かったんだろうか。それなら良かったのに、ヤツの表情がそうではないことを物語っていた。
笑っている。もっと面白いことを考えついた、という顔である。
「お前らの血も寄越せ。お前らの血もこいつに飲ませる」
「は?」
は? 二人のお兄さんの声とアタシの心の中の声が重なった。コイツは何を言っているんだ?
「どうして私たちの血もその小娘に飲ませるんですか? 意味が分かりません」
これはハイネグリフというお兄さんの声だ。お兄さんの意見にはアタシも同意する。なんたって吸血鬼の血をそんなにも飲まなきゃいけないんだ。
「面白そうだろぉ? 眷族を作るときは通常一種類の吸血鬼の血しか飲まない。じゃぁ複数飲んだらどうなるか、見たくないかぁ?」
「興味ありません」
ズバ、とお兄さんが言い返した。その調子でコイツの意味の分からない思い付きを切り捨てていってくれ! と思ったが、そう上手くはいかないようだった。
ヤツがアタシに向けていた顔をお兄さんに向けた。
「見たいだろ?」
ゾク、と背中に冷たいものが駆けていった。ヤツの顔が、綺麗に整った顔が、歪んでいるように見える。形の良い唇は吊り上がり、目尻は下がっている。笑っている。しかし、その黒い瞳は少しも笑っていなかった。殺意がこもっている。目を見た瞬間身体が震えてくるほど、どす黒い感情がこもっていた。自分に向けられているものではないのに恐怖がアタシを満たしていく。
「……私の王は貴方ではありません。私が貴方に従う義理はありません」
しかし、お兄さんは引かなかった。どうやらコイツよりも優先すべき対象がお兄さんにはあるらしい。もしかしたら静かにしている剣を持ったお兄さんや紫頭のお兄さんも他に従うべき対象がいるのかもしれない。三人が二つ返事でコイツに従わないのはそういうことなのだろう。さっき紫頭のお兄さんがコイツに見せていた表情はやはり、尊敬……。純粋な、強さへの尊敬かもしれなかった。
「お前の王が誰であろうがどうでもいい。お前は俺に従うのかそうでないのか今すぐ決めろ」
言葉の真意が分かる。分かってしまう。ここでコイツに従わなければ殺される。コイツは従わなければ殺すと、言外に言っている。それにはお兄さんたちも気づいているようだった。みんな黙ってヤツを見ている。
みんなの中で多少なりの恐怖と何かが葛藤している。お兄さんたちにはコイツよりも優先すべき人物がいるみたいだから、たぶんその人物に対しての忠誠心だろう。それから従う場合のメリットデメリット、従わない場合のメリットデメリットを考えているのかもしれない。でも、お兄さんたちは従わざるを得ない。それしか選択肢がない。この、男。アタシの顎を掴んでいるこの男は怖ろしすぎる。
とうとう紫頭のお兄さんが一歩前に出た。その後にため息を吐いて金髪のお兄さんが続いた。最後に青い髪のお兄さんが近づいてきてアタシを囲んだ。四人の吸血鬼がアタシを取り囲んでいる。
怖い。これから行われることに対しての恐怖と、単純に、吸血鬼という化け物に囲まれる恐怖がアタシを塗り潰していく。
「あああっ!」
アタシは再び暴れた。両手でヤツの腕を叩き、蹴り飛ばそうと足を動かす。けれどもヤツの手はアタシを放してくれない。逃げられない。
瞬きすると涙が零れた。
「さぁ、俺を楽しませろよ」




