Death×Or×Vampire02
来て欲しいのかそうでないのか、アタシの中はぐちゃぐちゃになりつつあった。
考えすぎて貧血の再来か、頭が痛くなってきた時に男の人は足を止めた。顔を離し、大きく息を吸って辺りを見回すとどこかの室内のようだった。埃や蜘蛛の巣があちらこちらに溜まっていて、壊れた机や椅子が倒れている。どこかは分からない。ただ思うことは、ここはもう住む人のいない家だということだけだった。
男の人はアタシを下ろし、それから二、三歩離れたところまで行って振り返った。
「さぁて、楽しもうかホノカ」
名前……どうやら誰かに教えてもらったらしいな。別に名前ぐらいで驚くこともなく、アタシはギロリと彼を睨んでやった。怯えていても仕方ないし、どうせ殺されてしまう運命ならばそれを受け止めてやろうという考えに行き着いたのだ。それに彼ら吸血鬼は人が怖がっているところを見て楽しむ癖があるらしいので、みすみす楽しませてなるかとも思った。
「へぇー、俺を睨むのかぁ。人間のくせに」
男の人が気に入らないとでも言いたそうな顔でこちらに近づいてきた。アタシは逃げずに睨みを利かせたまま、彼が来るのを待った。
「……気に喰わないねぇ」
ガッ!
「!?」
彼の冷たく大きな右手がアタシの口元をがっしり握った! アタシはすかさず彼の腕を両手で掴み、何とか離そうとする。しかし動かない。ちくしょう! なんて馬鹿力だよ! 鼻は覆われていないので息は出来るが、強く掴まれているので痛い! ギシギシ骨の鳴る音がする! 折れる!
「んー、んー!!」
「痛いか?」
すっごくね! 答えてやりたいけど答えることは出来ない。掴まれているからということもあったが、目から流れ落ちようとする涙を堪えるので必死だったからでもある。あぁどうしよう、ここにきてもう限界に達しているのか涙腺が緩くなっている。
「このまま骨を砕くことも出来るぞ」
ギラリ、光る目が怖ろしい。暗闇の中、月に照らされて浮かび上がる笑みが不気味で、見える牙が恐怖をそそる。いつの間にか声にならない音も出なくなっていた。
「ローザンヌ」
そこに響いたのは、どこかで聞いた覚えのある声だった。この声は確か……。
「ハイネグリフ」
そう、あの銃を持った男の人だ。目だけを横にスライドさせてみると金髪をキラキラさせて立っている、思い描いた通りの人がいた。アタシから見て左横には剣を持った青い髪のあの人。そのまた左には紫頭のお兄さんが立っている。
剣のあの人を見た時、アタシは命を落とす危機がすぐそこまで来ているというのにほんの少しだけ良かったと思ってしまった。ホント、お気楽な頭。アイゼンバーグに甘いと言われるのも頷ける。でも、その彼は、アタシに甘いと言った彼は?
「アイゼンバーグには気づかれていないようだなぁ」
いない。キョロキョロ目を動かしてみたが、姿は見えない。アイゼンバーグはいないんだ。何か喪失感のようなものがゆっくりとアタシを満たしていった。
「ローザンヌ。そいつを殺さずに囮にすんなら放してやれよ」
お兄さんの声の後、男の人の手がするりと離れた。それなのにアタシは良かったとも何とも思わなかった。ただ両手で顔を包み込み、変形していないか確認した。少なくとも有り得ない整形手術にはなっていないようだったが、口の中に血の味がする。あのまま掴まれていたらホントに骨を砕かれていたかもしれない。
「なぜ殺さないんですか」
金髪の男の人が不愉快そうに言い放つ言葉をじっと聞いた。最初のときもアタシを真っ先に殺そうとしていたので彼がそう言うのは分かっていた。そういえば、この人あまり話さなくなっている。正気に戻ったのだろうか。まぁ殺すという単語をすぐに出すあたりはおかしいんだけど。
「ゲームだ。暇つぶしのゲーム。追っかけてばかりじゃぁつまらないだろう?」
「そんな小娘一人のためにアイゼンバーグが来るわけありません」
「そうかぁ? 俺は来ると思うがなぁ」
ニタリ、黒い笑みが男の人の顔に張りついている。あぁ最悪だ。アタシはまた変なゲームに巻き込まれてしまったらしい。追いかけられることだけでもあんなに危ない思いをしたのに、今度は完全に地獄の中だ。ホント、最悪。こんなにも自分の運の無さを実感したのは初めてだ。
「お前も思うだろう? アイゼンバーグが来ると」
こちらを向いて問いかけてくる男の人。しかし彼が欲しているのはただの同意、それ以外は言わせないと不適な笑みをたたえた表情が語っている。
有無を問わない冷たい瞳に、作られた笑顔。彼の欲しい言葉以外を言えば非道いことをさせるのは間違いない。
怖い。でもアタシは一筋縄ではいかない人間であると自分で自分を信じている。アタシはぎゅっと拳を握って真っ直ぐ男の人を見た。
「思わない。アイゼンバーグは絶対に来ない!」
ガッゴッ
「いっ!」
男の人が勢いよくアタシの顔を掴み、コンクリートの壁に押しつけた。凄まじい音がして、同時に鈍い痛みが襲ってくる。頭蓋骨にヒビでも入ったのではないかと思うような痛さだ。すごくジンジンする!
じわり、目の奥から何かがしみ出してきそうになるが唇を噛みしめて堪え、アタシは指の間から見えるヤツを睨みつけた。
「今何て言ったんだぁ? 人間」
ギラギラと輝く怒った瞳。聞こえているくせに……! 怖かったが、アタシはまた両手でヤツの腕をがっしり掴んだ。
「来ないって言った!」
抵抗ぐらいしてやる! とばかりに叫ぶと、目の前のヤツの顔が見る見るうちに化け物に変化していくのが映った。ホントに化け物。吸血鬼だからとかそういうわけではなく、明らかに異形のものだったのだ。やばい、そう思ってももう遅い。
「ほう……気に喰わないねぇ」
「!?」
ヤツの色のない手がアタシの足に伸びた。あまりにも冷たい感覚に身体が震え、咄嗟に両手で足を触る手を退かそうとしたが両手はアタシの頭を掴んでいたヤツの手に拘束されることとなる。頭は自由になったが、両手を掴まれてしまってはどうしようもない。
「放して! 放してよ!」
思いっ切り叫んでも怒りをたたえたニタニタ顔は変わらない。
「ローザンヌ! 放してやれよ!」
驚いた。思わぬところに救いの手があった。視線を動かしてみるといたたまれないような気持ちになってくれたのか、お兄さんが眉間にしわを寄せて男の人の後ろに立っていた。彼は……ホントによく分からない。
「さぁて、どうしたものか」
「痛っ!」
上ずった悲鳴が出た。目を離した隙にヤツの爪がアタシの太股に食い込んだのだ!
爪はゆっくり上に移動してくる。割られた皮膚から赤いものが流れ出し、スゥゥゥと縦縞を入れていく。
「やめ、やめて!」
アタシは出来る限り暴れようと頭を振り、足をばたつかせてみた。貧血の所為で頭はどんどん重たくなり、視界が歪み始めるが今は構っていられない。コイツから逃げることが最優先だ!
「ククク、粋の良い奴は嫌いじゃない。壊れた後の顔が面白いからなぁ」
ズブッ
「ッあー!!」
あの切ったような焼いたような傷に到達するやいなや、ヤツは思いきり深く爪を食い込ませた! 怖ろしい痛みに紛れて指が肉を触る感触と爪が切り裂く感覚がする。もう頭痛なんて吹っ飛んでしまった!




