9-14.四散
部屋の反対側に座っていた聖輝は、組んでいた脚をゆっくりと直した。窓の外はさっきよりも明るさを増して、夜明けの気配に満ちている。早朝の空気の粒子のひとつひとつが、ぴりぴりと帯電しているかのようだった。緊張で髪の毛が逆立ちそうだ。
ジークフリートと再び行動を共にするようになって、アミュウが気付いたことがある。いつも手の届く位置に彼は剣を備えているのだ。ベルトを解いているときでさえ、何かあればすぐに剣を取れるようにしてある。今もそうだ。食事中は確かに剣帯から剣を外していたはずなのに、いつの間にか腰に提げている。手をかけてこそいないが、いつでも抜くことのできる構えだ。
聖輝はじっと動かない。両膝に手を置き、前傾姿勢でうなだれていて、垂れた前髪で顔が見えない。
水場にいたアミュウは彼のそばに移動するか、迷った。聖輝か、あるいはジークフリートか、二人のどちらかが無謀な真似をするのではないかと案じた。しかし聖輝のそばについてしまえば、アモローソとジークフリートに決定的な印象を与えかねない。アミュウは一歩も動けず、見守るしかできなかった。たとえ踏み出すことができたとしても、聖輝の選択にアミュウが立ち入るべきではないと感じた。
アミュウは生唾を飲みこんで、聖輝を見つめる。
聖輝は長いあいだ同じ姿勢を保ったまま動かなかった。やがて苛立ったカルミノが舌打ちをする。その音が契機となったのか、聖輝はやっと顔を上げた。案外、穏やかな表情だった。
「分かりました。そこまで言うなら、ジークとソンブルイユへ行ってください」
一触即発の空気が和らぎ、ジークフリートは構えを解いた。
「てめえはそれでいいのかよ」
訊ねたジークフリートにではなく、アモローソへ聖輝は視線を向けて答えた。
「あなたにその意思がないのなら、どのみち叶う話ではありません」
ロサがため息をつく音が聞こえてきたが、アミュウはアモローソの後ろ姿から目が離せなかった。「ごめんなさい」という声は、波紋のように広がり小屋の全員に届いた。
それが終末へのカウントダウンの始まりなのだということを正しく知る人が、いったい何人いるのだろうかとアミュウは考える。ロサもカルミノも、そしてアルフォンスも知らないだろう。ジークフリートは、すべて知っていてアモローソに付き合っているのだろうか。そしてアモローソ自身は、聖輝の知っていることを全て知っているのだろうか。
ちくりと胸が痛む。
(私自身も、どこまで知っているのか分からないのに……)
知らずアミュウが俯き、腹の前で手を組み握っていると、コツコツという音が聞こえてきた。なんの音かと顔を上げると、カルミノが指先でテーブルを叩いているのだ。
「その赤毛までついてくるのを許した覚えはないぞ」
険しい表情のままカルミノは机に打ち付けていた指をロサに向けた。
「お目付け役の調子が振るわないんだ。王女がその赤毛と結託して逃げるかもしれん。王都へ連れて行くのは、王女ひとりだ」
むすっとした表情でロサがそっぽを向く。アミュウはさっきまで腹を抑えていた手を振り上げて反駁した。
「ナターシャだけで行かせるわけがないじゃない! ジークが一緒に行かないなら、私は反対よ」
「精霊魔術の状態に不安があるというのに、王女を任せるわけにはいきません。道中の危険はソンブルイユ兵やブリランテの追手ばかりではない。大型獣が現れるかもしれないんですよ。ジークが護衛に入るのは、絶対条件です」
聖輝も反論に加わり、アモローソは意外そうに首を傾げた。ジークフリートも、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。カルミノは一人ひとりの顔を順繰りに眺めてから、長い溜息をついた。
「……仕方ない。それなら俺が行こう。お前はここで留守番だ」
「えっ」
寝耳に水のロサが目を丸くする。
「あたしが行くんじゃないの!?」
「さっき自分で言っただろう。実戦は無理だと」
「そりゃそうだけど……だって、ピノのことはあたしが」
狼狽したロサは、頭を二、三度振って抗弁するが、カルミノの無言の圧力を受けて口を噤んだ。その仕草が幼い少女のようにアミュウの目に映った。ピッチを埋めたときの彼女の嘆きようを思い返せば、自身の口でマリー=ルイーズに伝えたいと考えるのは当然だ。
しかし、ロサはその後に続く言葉を飲み込んだらしい。ぎりりと歯を食いしばってから、承諾の意を示して手を挙げた。
「――分かったわよ。お嬢様に知らせるためなら」
「あの、お姉さんもソンブルイユへ行ったらいいんじゃないかな。留守番はきちんとするからさ」
これまでずっと沈黙を貫いていたアルフォンスが訊ねると、ロサはギロリと彼を睨みつけた。
「あんたたちを野放しにできないから、あたしが居残りになるんじゃない。特にセンセイ! すっとぼけて黙ってるけど、なにを企んでるんだか」
「え?」
ロサの思わぬ返答に、アルフォンスがたじろぐ。ロサの勢いにのせられたのか、カルミノも横から口を挟んできた。
「ブリランテ領主のせがれが使っていたという新型爆弾は、あの一発だけなのか? それともまだ残弾があるのか?」
カルミノの言った「残弾」の意味が、アミュウにはすぐ分からなかった。
(ざんだん……残弾? 招霊弾が、ほかにもあるってこと?)
アミュウがはっとしてカルミノを見ると、彼は呆れたような顔をした。
「あれだけの威力の兵器、うまく発動しなかったら致命的だ。スペアが無いわけがなかろう」
「あたしたちはその情報をセンセイが持ってるって睨んでるわ」
ロサがカルミノに続いて宣言する。自信に満ちた口ぶりだった。
「あの放蕩息子が精霊魔術を使うなんて、聞いたことがないわ。あれは、魔術の技術がなくても、魔術に似た――ううん、魔術を凌駕する威力を出すための道具なんでしょ」
アミュウは、ロサの追及を理解するので精いっぱいだった。
思い出すのは、壁外街区での大猫騒動の一幕だ。あのとき、大猫の襲った精霊鉄道の列車に、たまたまアルフォンスが居合わせた。精霊鉄道の機関部にトラブルが発生したとグレミヨン卿の使者が言い出し、アルフォンスを強引に連れ出したのだ。
(精霊鉄道は、大気中の精霊を集める集霊車と、集めた精霊を流し込む機関室のはたらきで動いているのよね)
招霊弾も、大気中の精霊を根こそぎ集めて爆発的な威力を叩き出している。精霊を集めるという点では、精霊鉄道と似た仕組みだ。
(アル先生はそのメカニズムに精通している。グレミヨン卿が囲って離さないほどに――あの締め付けようは、普通じゃなかった。そういえば、大猫騒動ではあたしとロサと同じくらい活躍していたはずなのに、先生は国王陛下の感謝状をもらっていなかった。まるで、公の場に出ることを拒んでいるみたいに。あるいは、先生の存在が公然とならないよう隠されたみたいに)
アミュウの考えは、ある一点に収束していく。
(まさか、招霊弾を開発したのは……)
ロサもアミュウと同じ考えに至っているのかどうか分からないが、なにか勘付いているのは確かだ。彼女は探るような視線でアルフォンスを睨めまわす。
「もしかして、そのスペアを持ってるんじゃないの?」
「なにを言ってるの、お姉さん! とんだ勘違いだよ。ぼくみたいなぺーぺーが、そんな大役を任されるはずがないじゃないか! 招霊弾ってやつも、実際に目にしたのはあれが初めてだよ」
慌てふためくアルフォンスを、ロサもカルミノもじっと見ていた。見られれば見られるほど縮こまっていくアルフォンスは、しまいには右の肩と左の肩がくっつくくらいに肩身を小さくしていた。
ロサがふぅとため息をつく。
「まあ、いいわ。とにかく、あんたたちを放っておけるほどあたしたちは能天気ではないってこと」
「王女の身柄はラ・ブリーズ・ドランジェの屋敷で預かろう。それまで騎士を気取っていたらいいが、処遇を決めるのは主公様だ。斎王の件もな」
ジークフリートと聖輝に順繰りに視線を送ってからカルミノは立ち上がり、軋む雨戸をあけた。木々を透かした陽光がぱっと室内を照らす。外はすっかり明るくなっていた。
「今すぐ支度にかかれ。尾根伝いに進んで、明日の王都入りを目指すぞ」
ジークフリートがアモローソから離れ、装備を整え始める。アモローソが何か言いたそうにカルミノの背中を見ていたが、結局話しかけずにいた。彼女の言いたいことが、アミュウには手に取るように分かる。クーデンから戻ったばかりで、その上手負いのジークフリートを連れて、これほど急いで出発するのかと文句を言いたいのだ。
しかし、アミュウが声を上げようとすると、アモローソはアミュウの手を取って首を横に振った。
「すぐに出なければならないのはわかっているの。ぐずぐずしていたのはわたくしだわ」
「だからって、こんな急に……」
アミュウが口ごもると、アモローソは聖輝に向かって訊ねた。
「国産みのリミットは次の満月ですよね?」
訊ねたのはアモローソなのに、聖輝はなぜかアミュウの顔を見た。自分がどんな顔をしていたのか、アミュウには分からない。すぐに目をそらしたし、聖輝がアミュウを見ていたのもほんの一瞬だっただろう。アミュウはモカシンの足元を見つめながら、聖輝の声を聞いていた。
「そうだとしても、あなたにはもう関係のないことです」
その声は、水中に潜ったときのように、くぐもって遠く聞こえた。






