215 魔法青年は間接的に見守る
よろしくお願いいたします。
ガスコイン邸の執務室のソファに、ふっくらとした腹を抱えたチェルシーが左側を背もたれに預けて座っていた。
顔色はあまり良くなく、心なしか以前よりも頬がこけている。
「スタン、おかえりなさい。タルコット君も久しぶりね。そちらが奥様ね。こんな格好でごめんなさい、何をするにも辛くて」
言葉遣いから、思考はしっかりしていることがわかる。
しかし、声に息が混じっている。
じっとしているだけでも大変なのだろう。
「チェルシーさん、お久しぶり。気にせず、楽な姿勢のままで。こちらが妻のカーヤ。カーヤ、チェルシーさんです。次期ガスコイン男爵です」
コーディは、二人を簡単に紹介した。
カーヤは、一度こちらを不思議そうに見上げた。
それからこちらの意を汲んでくれ、きっちりしたカーテシーではなく軽く礼をする程度にとどめた。
その方が、チェルシーも礼を返さずに済む。
「ガスコイン次期男爵、初めまして。わたくしのことはカーヤとお呼びください。遅くなりましたが、ご懐妊おめでとうございます」
「初めまして、カーヤさん。私のことは、チェルシーでいいわ」
チェルシーは軽く上体を起こそうとした。
誰よりも早くカーヤが動き、チェルシーを支えた。
「チェルシーさん、無理はなさらず。それから、もしよろしければわたくしに診せていただけませんか?」
「診る……?カーヤさんは、お医者様なの?」
「勉強を進めているところです。師は夫のコーディですので、知識と技術はご安心ください」
チェルシーの背中のあたりにクッションを当てながら、カーヤはふわりと微笑んで見せた。
「ふふ。それは頼もしいわね。一応、領地の医師にも診てもらって、母子ともに問題はないと言われているのよ」
ここにきて、やっとチェルシーの表情が和らいだ。
「そうですね。わたくしが診るのは、お二人というよりはチェルシーさんです」
カーヤはソファの横で膝をつき、チェルシーの手首のあたりを握るようにした。
手首のあたりには、吐き気を抑えるツボがある。
「私?でも、悪阻は病気じゃないから何もできないと聞いたわ。吐き気と嘔吐なら、食べられるものを食べて戻す方が良いって」
チェルシーは、不思議そうに首をかしげた。
「もちろん、悪阻そのものは治せません。ですが、たとえば吐き気を少しでも軽くしたり、嘔吐の頻度を抑えたりといったことはできる可能性があります。そのためにも、一度診させてください」
真剣に頼むカーヤの言葉を聞いて、チェルシーはこちらを見た。
コーディは、深くうなずいた。
「……わかったわ。もし軽くなるなら嬉しいし、そのままだとしてもあとひと月ほどで生まれる予定だから」
チェルシーは、丸く膨らんだ腹をそっと撫でた。
「ありがとうございます。では、診察しますので男性は席を外していただけますか?」
柔らかく、しかしきっぱりとカーヤが言った。
頼もしいことだ。
頬を緩めたコーディは、スタンリーを促して部屋を出た。
◆◇◆◇◆◇
「では、失礼しますね。まずは診るだけですので、そのまま楽な姿勢でいらしてください」
カーヤがそう言うと、チェルシーはゆっくりとうなずいて目を閉じた。
室内には、メイドが同席してくれている。
部屋の扉のあたりからは見えなかったが、ソファの陰になるところに小さなたらいが置かれていた。
嘔吐するときのためのものだろう。
チェルシーはどう見ても顔色が悪く、肌の艶もあまりない。
カーヤは、そっとチェルシーの手を握った。
「では、今から診せていただきます。そのまま、ゆっくりと息をしていてください」
「わかったわ」
チェルシーが落ち着いているのを確認し、カーヤは基礎として教わった魔法を使った。
体の状態を、魔力を通して診るのである。
(血の巡りは悪くない。体温も正常。病気の可能性はなし。赤ちゃんの成長も問題はなさそう。馬車酔いのときに反応している部分は……)
相手の魔力を邪魔しないように、そっと確認していく。
魔力に敏感な人の場合、この診察でも気分が悪くなることがある。
特にチェルシーは気分が悪い状態だから、慎重に診ていった。
そして予想通り、馬車で酔っているときと似たような部分の乱れを見つけた。
馬車酔いを軽くする治療なら、何度か経験がある。
しかし、妊婦に医療魔法を使うのは初めてだ。
カーヤは、細心の注意を払って、慎重に魔法を行使した。
「……あら?」
チェルシーが、首元に手を置いて一つ息を吐いた。
「軽くなりましたか?」
「ええ。すぐにでも嘔吐しそうな感じだったのに、気分の悪さが引いていったわ」
微笑んだチェルシーを前に、しかしカーヤは眉を下げた。
「これはあくまで一時的なものなので、完全になくすことは難しいです。多分、時間が経つと戻ってきます。わたくしがこちらにいる間は、定期的に治療いたしますね」
そもそもの原因が妊娠なので、根本的な治療はできない。
握っていた手を放すと、カーヤはそっと立ち上がった。
チェルシーは、探るようにしながらソファに座り直した。
気分の悪さは治まっても、赤ちゃんを抱えているお腹は重いだろう。
メイドが近寄ってきて、いくつかのクッションを積んでチェルシーが座りやすいように調整した。
「ありがとう。少しの間だけでも、吐き気がなくなるだけで全然違うわ」
ほわりと微笑んだチェルシーは、やつれているのに美しい。
「いいえ。わたくしに任せてくださってありがとうございます」
カーヤが微笑み返すと、チェルシーがソファをすすめてきた。
「そちらにおかけになって。私、カーヤさんに聞きたいことがあったの」
「失礼します。なんでもご質問くださいませ」
ソファにゆったりと腰かけたカーヤを見てから、チェルシーはメイドに声をかけた。
「ブリタニーが送ってくれたフルーツティーがあったでしょう?妊婦でも安心して飲めるっていう。あれを淹れてきて」
「かしこまりました」
メイドが立ち去り、室内は二人きりとなった。
カーヤは、気持ち背筋を伸ばして言葉を待った。
「ねえ、カーヤさん。タルコット君は、無茶なことばかり言ってない?カーヤさんが無理をしていないか、ずっと気になってたのよ」
ゆるりと首をかしげたチェルシーがかけた言葉は、カーヤの予想とはかなり違うものだった。
彼女の表情も、裏などなく純粋に心配しているようである。
「無茶、ですか?特にそんなことはないと思います。わたくし自身も、無理はしないよう言われておりますので」
カーヤが思わず頬に手を当てて言うと、チェルシーはその表情を見落とすまいとするようにじっと見つめてきた。
「本当に?毎朝何十キロも走らされたり、一人で魔獣退治をさせられたりしてない?聞いたことのない魔法理論を当たり前のように説明されたり、新しい知識を怒涛の勢いで詰め込まれたりもしてない?」
チェルシーは、見てきたかのようにそう言った。
そんなことはない、と言いかけたカーヤは、しかし開きかけた口を閉ざした。
毎朝のランニングは、このところ十キロメートルほど走っている。
冒険者登録をしてすぐ、コーディの見守りつきではあるが、一人フレイムウォルフを討伐した。
新しい魔法の理論を聞くのはいつものことだし、あまり休まず勉強を続けている。
自分としては無理はしていないし楽しい。
しかし客観的に見たら、チェルシーの言うとおりである。
その様子を見て、チェルシーは身を乗り出した。
「やっぱり!タルコット君ったら、無茶ばっかりさせてるのね?!」
「いえ!違います!わたくしとしてはとても楽しんでおりましてっ!」
カーヤは思わず声を張った。
そうしてカーヤは、自分がいかに楽しいかを説明した。
チェルシーからは、学生の頃のコーディのやらかしを聞かされた。
カーヤの夫は、昔から変わらず魔法に向かって一直線だったようだ。
読了ありがとうございました。
続きます。




