203 魔法青年は見守る
よろしくお願いいたします。
「では、道の端に寄りましょう。このタンブラーに水を入れてみてください」
「っ、はい」
カーヤは、軽く息を乱したままうなずき、空のタンブラーを左手に持った。
走る時間はこれまでと同じ二十分だが、ほんの少し早くしたので、負荷がかかっているだろう。
買ったばかりの杖を右手に持ち、立ち止まったカーヤは小さく口を開いた。
「水よ」
すると、ばしゃり、とタンブラーを持った手に水が落ちた。
頭ほどの大きさの水の塊だったので、タンブラーは満杯になり、入りきらなかった大部分の水は地面に落ちた。
手首から先がびしょ濡れである。
「あっ」
カーヤは慌てていたが、コーディは笑顔でうなずいた。
「位置はばっちりですね。使う魔力の量を小さく調整するのはとても難しいので、少しずつ練習しましょう。とりあえず、今はそれを飲んでください」
タオルを差し出すと、受け取ったカーヤは水をこぼさないようそっと手を拭った。
「は、はい」
タンブラーをそっと口元へ運んだカーヤは、水を一口飲んだ。
「っ!おいしいです」
「いいですね。とても順調です」
「はい、ありがとうございます」
飲み切れなかった分は、コーディが蒸発させた。
蒸発の仕組みや湿度の知識があれば少量の魔力で使える魔法だが、力技で蒸発させることもできる。
ただし、ふんわりした知識で蒸発させる場合はかなり魔力を消費してしまう。
どうせなら効率の良い方法を知ってほしいというのは、親心のようなものだろうか。
そのまま三十分ほど歩いて家へ帰った二人は、着替えて朝食を摂ってからいつものように魔塔へ向かった。
一つずつ進めていくことで、カーヤも自分にできることが増えているのを実感できているらしい。
成長がわかるのは大事なことだ。
次を目指す活力になるし、一つずつに満足することで自己肯定感も積み重なっていく。
「では、こういう配置の場合、否定と同等ということですか?」
「その通りです。古い文学と同じ並びですね」
カーヤとコーディが読み解いているのは、室内を自動で清掃してくれる魔法陣である。
日常で使うものだからこそ条件が色々と細かく設定されていて、勉強にはちょうどいい。
「とても技巧的に感じます。まるで洗練された詩のようです」
「ええ。文字数を減らすためもあって少し癖はありますが、基本的に言葉の構造は現代の文章と同じです。文字さえ覚えれば、魔法陣は誰でも読み解けるし描けるものなんですよ」
「はい!」
カーヤは、瞳を輝かせてうなずいた。
夜は個人の自由時間である。
コーディは、魂の一部をペルフェクトスとして取り込まれたまま転生した、異世界の少女の様子を見に行った。
魂だけの状態なので、その世界への行き来も比較的楽である。
以前見かけた屋敷へ向かうと、屋敷の空気が一変していた。
どことなく冷たく沈んだような雰囲気だったのが、同じ家とは思えないほどに温かく明るい。
あちこちに花が飾られ、窓も開いている。
そしてなにより、子どもの楽しそうな声が響いていた。
「ウォーター!」
「素晴らしいです、お嬢様!」
広い庭には少女が立っており、そばには教師と思われる女性がいた。
以前見に来たときよりも、明らかに少女の顔色が良い。
声も、かすみそうな小さなものではなく元気いっぱいだ。
「魔素を集めるのもとてもお上手です。今日はこのあたりにいたしましょう。続きはまた明日です」
「もう少し練習したいなぁ」
少女がぽつりと言うと、教師はにこりと微笑んだ。
「そのお気持ちを大切になさってください。ですが、まだ床上げをしたところです。少しずつ、練習の時間を増やしましょう」
「はあい」
「それに、魔術だけではなく国語や歴史の勉強、マナーの練習も重要ですよ」
教師に言われた少女は、む、と唇を突き出した。
「知ってるもん。でも、めんどくさいの」
少女の言葉を聞いて、教師は一瞬微笑んでから真面目な表情を作った。
「奥様のような立派な淑女になるために、必要な勉強ですから」
「うん」
素直にうなずいた少女に、教師は今度こそにっこりと笑顔を向けた。
(あの調子なら、大丈夫だろう)
コーディは、魂のまま屋敷からそっと離れた。
締め付けのない、子どものための服は新しく、少女にぴたりと合っていた。
教師も無理をさせず、しかし勉強に向き合えるよう誘導していた。
ちらりと見えたメイドたちも彼女たちを微笑ましく見守っていたし、少女の母らしい女性が屋敷の入り口で待っていた。
どうやら、欠けた魂の影響から病弱だったようだが、戻ってきて修復されたことで、少女は健康になったらしい。
元気に母親に向かって駆けていき、教師に叱られている様子を見ながら、コーディは屋敷から離れていった。
次に向かうのは、別の細い繋がりだ。
ペルフェクトスにされたオオトカゲが飲み込んでいた魚の欠片である。
魔力の動きが鈍くてわかりにくいが、きちんと生きているのは感じられる。
繋がりを頼りに別の異世界へと魂を移動させると、そこは植物の世界だった。
動物が、一切いない。
虫すらもいない世界には、意思を持った魔法植物がいた。
大きさは様々だが、ほかの植物と違って魔力を持っており、自身を守ったり地中深くから水を持ってきたりしているらしい。
魔法植物は、例外なく花を咲かせている。
沢山咲かせているものほどキラキラと輝くような魔力を放っていて、その周りに魔法植物がたくさん集っている。
魔法植物たちは、目には見えない程度の速度だが、地中の根ごと移動できるらしい。
そしてコーディは、大きな魔法植物を見つけた。
ほかよりもずっと枝葉を広げている木は、その先端に淡い水色の花を咲かせていた。
周りには、普通の植物しかない。
【やっと、咲いた!】
魔法植物は、魔力を通して会話しているらしかった。
【本当?何色?どんな花?】
【水色で、何枚も花びらが重なってて、葉っぱよりも大きい】
風に揺られた葉が、ざわざわと音を立てる。
【良かったねぇ】
【花を咲かせられないと、どうしようもないもんね】
【水色って珍しい。数百年かかったけど、そういう種類だったのかな】
【一安心だね】
あちこちから飛んでくる意思は、距離を感じさせない。
とても面白い世界だ。
彼らの話を聞く……もとい感じ取ったところ、どうやら花を咲かせて一人前らしい。
しかし、その木はなかなか花を咲かせられなかったようだ。
ペルフェクトスに取り込まれていた魂が戻ってきて、やっと花が咲いたのだろう。
彼(もしくは彼女)の周りには魔法植物が一切いない。
それも理由があったようだ。
【栄養をきちんと独り占めできたからかな】
【わかんないけど、みんなありがとう】
【良かった。じゃあ、今度そっちに行くね】
彼らの会話から察するに、地中からの栄養を周りが取らないよう、あえて離れていたようだ。
その移動は、どんなに急いでも一日に十数センチほど。
長距離なら、何年もかけて移動するようだ。
寿命が数千年はあるようなので、時間感覚が違うのだろう。
ともあれ、彼(もしくは彼女)も無事に魂の欠片を取り戻した。
魔力を確認したところ、きちんと馴染んでいるようなので特に問題もなさそうである。
ほっとしたコーディは、自室の体へと戻ってきた。
程よい時間である。
立ち上がって伸びをしたコーディは、すっきりとした気分でリビングへ向かった。
読了ありがとうございました。
続きます。




