2−37 月光に彩られしその青年
「アァ? 灰村の野郎が見当たらねぇが、まぁいい。見境穂乃絵、見境優、お前ら生きて帰れると思うなよ?」
木の影から現れた男——ベルモンドが殺意を込めた視線を三人に送る。
暗闇の中でもわかる殺意は、三人、特に穂乃絵と優の心を急速に減退させていく。生きると決めたのに……あと少しで安全地帯まで辿り着くというのに……。期待は心を加速させるが、不安は心を失速させる。そして、絶望は心を止める。
ベルモンドが現れた事実が、穂乃絵と優に思考させることを拒む。しかし、この場で唯一、これまでベルモンドと直接関係していない人物がいた。
水瀬葵である。
「お前、ベルモンド……と言ったか? 確か今朝の事件後、千歳会長らに捕縛されて魔導騎士団に連行されていなかったか?」
そう、ベルモンドは今朝の一件で千歳らと相対し、その結果確かに魔導騎士団に連行されていたのだ。しかし、事実としてベルモンドは水瀬らの目の前に現れている。
「カッ! そんなもん、マーキス隊長の手に寄ればすぐに脱獄させてくれるってもんよ! ……まぁ、その失態を挽回するために、何が何でもお前らを始末しなければならないんだけどな。じゃねぇと俺が今度こそ始末されちまう」
「なるほど……だからマーキスは素直に竜一の相手をしてくれているのか」
竜一がマーキスを足止めしてくれていると言えど、あれほどのホムンクルスを従えているマーキスだ。マーキスが竜一の相手をするにしても、大量にいるホムンクルスのうち、いくつかは水瀬らのあとを追わせても良いものだと薄々感じていた水瀬は、それで少し合点がいく。
「今朝の二人組には遅れをとったが、お前らごとき何てことはねぇ。今頃、マーキス隊長も灰村のガキを殺っていることだろう。こっちもサクッとやっちまうから、覚悟しろよ」
ベルモンドが手に握っていた杖を前に掲げると、その先端が夜の森でもわかるほどの黒色を放ち。
「クソッ、問答無用ってやつかッ!」
「ったりめーだろうがよぉ! 喰らいやがれ! 『貫きの闇』!」
杖の先端から放たれた四本のそれは、黒色の蛇が不規則な動きをしながら、水瀬らの下へと収束していく。
「ッ! 穂乃絵、優、オレの後ろに隠れろ! 『対魔法防御魔法』!」
水瀬が見境兄弟を自らの背へ逃すと、両手を前に掲げ薄いピンク色の膜が形成される。
既のところで発動した『対魔法防御魔法』に黒色の蛇が衝突し、霧散するかと思いきや、蛇は対魔法防御魔法に張り付き。
「俺の貫きの闇がその程度で止まると思うなや! 蛇どもよ、喰らい尽くせ!」
ベルモンドが杖の先端を黒色に光らせると、水瀬の対魔法防御魔法に張り付いた蛇たちは口を大きく開けると、徐々にその薄い膜を食し始め。
「なッ!? こいつら、シールドを食って!?」
対魔法防御魔法を食べ始めた一匹が、膜に穴を空けると、そこから水瀬らへ飛来し。
「クソッ! 二人とも、伏せろ!」
水瀬が腰に下げていた霊装の拳銃を一箇所の穴から侵入してくる四匹の黒色蛇に連続で発砲する。水瀬の魔力で形成された魔法弾が黒色蛇に接触すると、まるで自爆のように爆発し、残りの黒色蛇たちもそれに付随するように連鎖的に小爆発を引き起こす。
ギリギリのタイミングで身を屈めた三人は、その小爆発に直撃することはなかったが、その余波は十分にあった。後方へ数メートル吹き飛ばされた三人は、所々服が破れ、怪我をし、やけどを負っていた。
「ほう、あれを防ぐとは中々良い反応だが、すでにその状態じゃあ二度目は防ぎきれまい」
ベルモンドの言うとうり、三人はすでに満身創痍の状態でいた。ベルモンドが次発を打てば、おそらく今度こそ直撃をくらい、三人は爆発四散してしまうだろう。
「よく頑張った方だが、もう死ね」
「クッ、ま……マジックシー……」
水瀬が倒れながらも、半身だけ何とか起き上がらせ対抗しようとするが、先ほどのダメージが大きく瞬時に対魔法防御魔法を形成できない。
そして、ベルモンドが杖を掲げ、先端を黒色に光らせると。
「スロー・イン・ザ・ダー——」
「楽しそうだな、ベルモンド」
それは何の脈絡もなく、突如として新たな声が夜闇の森へ響き渡る。透き通る程に綺麗で、まるでこの暗闇を照らすほどの声音をしたその男性——いや青年の出現に、ベルモンドは驚愕の表情を浮かべ。
「て、テメェは!? 何でここに!?」
「何でって、お前たちを排除するために決まっているじゃないか」
「排除!? 排除だと——うっ、グフッ!?」
歌うように青年が発すると、何の音もなく、そして滑らかに、ベルモンドの背中から胸にかけて刀身の細い——まるでレイピアのような剣が貫かれる。
「て、テメェ……こんなことしたら、マーキス隊長が黙っちゃ」
「マーキスならもう始末したよ」
「!? それはどういう」
血を吐きながら問うベルモンドから青年がその細剣を引き抜くと、ゆっくりベルモンドの前に立ち、血の滴るその剣を掲げ。
「そのままの意味さ。さようなら、ベルモンド」
「ま! 待って——」
月夜の光に反射した細剣が美しい弧を描きながら、何の音もなくベルモンドの首を通過する。
一瞬の静寂が森を包み込むと、ゆっくりと、そして滑るようにベルモンドの首が——地に落ちた。
あまりの切り口に、切られた当の本人も気づかなかったのだろう。地に落ちた首に残る表情は、切られる直前の絶望した表情でも、切られる瞬間の絶叫をする表情でもない。切られたハズなのに今だ意識が残っている自分に違和感を覚える表情のまま、地に落ちていたのだ。
首が落ちた数瞬後、胴体も首と切断されたことに思い至ったのか、地面に倒れ、その切り口から大量の血が地面に流れでる。
青年は眉ひとつ動かさず、瞬きすらせず、それらを完遂させ。
「な、何だよ、あれ」
その一連の流れを、ただ見ていただけの水瀬はそう口走り、穂乃絵は気を失い、優は思考が停止していた。
「あいつら、仲間同士だった……のか? でも今あいつは確かにベルモンドを殺し? 一体何がどうなっているのか」
「ただの仲違いだよ。水瀬葵」
「!? 俺の名前を!?」
ゆっくりと振り向いた青年が月夜に照らされ水瀬へ話しかける。名前を知られていると言う驚きのおかげか、思考が復帰した水瀬はようやくその青年をしっかり直視することができた。
美声を発する青年は、おそらく水瀬らと同い年くらいか。肩までかかった紺色の髪は美しく、その様相も世の女性たちが放っては置かないだろうと思うほど整っていたものだ。だからこそ、返り血を頬に滴らせるそのアンバランス差は狂気をより高めている。
「キミと灰村は禁呪書物に関わる重要人物だからね。それくらいは把握しているよ」
「……お前も、Irisの一員なのか?」
「まぁ、そうだね」
「なら……ならお前もこいつらを殺しにきたのか……!」
ベルモンドを殺害したこの青年は、自らをIrisの一員だと言っている。それはつまり、裏切り者である見境兄弟を始末しに来たと言うことである。
水瀬が既に動くことのできない見境兄弟を守るように、手を広げ青年を見やる。広げる手は小刻みに震え、水瀬の瞳はきっと潤んでいただろう。目の前で人が殺されたのだ。自分もそうなるかもしれない。そう考えたら恐怖で心が押しつぶされそうになる。
しかし、青年の回答は水瀬の予想を裏切り。
「いや、キミらのことは別に……」
「——え?」
その言葉に、水瀬は言葉が詰まる。
すると、青年のそばに頭上から大柄な男が現れる。肩に一人担いで豪快に現れたその大柄な男を、水瀬は嫌という程覚えており。
「え、何でお前が……銀次!?」
「そのセリフ、さっき灰村の坊主からも聞いたぜ、嬢ちゃん」
銀次が振り向きながら、水瀬の驚嘆めいた言に思わず苦笑いしながらツッコむ。
「遅かったな銀次」
「いやぁ、お前さんと別れたあと、マーキスのところに行ってみたら面白い戦いをしていてな? 思わず観戦したくなって、最後まで観ちまってたんだよ。ガハハハ!」
青年と銀次が親しく話しているところを見ると、どうやらこの二人は敵対をしていないらしい。いや、銀次の「別れた」と言うセリフから、この二人は一緒に行動していたと水瀬は判断する。
ベルモンドをいとも簡単に殺害した青年に、凶悪なほどの戦闘力を有する戦争屋の銀次。二人の出現はもはや水瀬には為す術もなく、ただただ呆然とするしかなかった。
ふと、水瀬が銀次の肩に担がれている人物を見やる。それは人と言っていいかわからないほど焦げているが、何とか着用されている服は、趣味の悪い燕尾服のもので、先ほどまで竜一が相対していたハズの人物であり。
「おいおい、ベルモンドをここで殺っちまったのかい? 俺はわざわざこいつをここまで持って来たって言うのによ」
「すまない。なぜか体が勝手に動いてしまって……」
「あ〜……まぁ、そう言うことね」
申し訳なさそうに言葉では言っているが、相変わらず表情を変えない青年の言っていることに得心がいったのか。銀次が水瀬らを見ながら頭を掻いている。
すると、銀次がもう片方の手でベルモンドの頭を掴み、それを青年に投げつけると、自らはベルモンドの胴体を担ぎ。
「それじゃあ、邪魔したな嬢ちゃん。またいつか会うと思うが、それまで精々鍛錬してな」
「あっ、おいちょっとま——」
言うと、銀次は地面を抉りながら上空に向かってジャンプすると、その姿を夜闇へと消した。
「……水瀬葵、安心しろ。そこの二人を狙う者はもういない」
「どう言う意味だ」
水瀬が銀次に聞きたかったことを察したかのように、青年は応える。
「そこの二人は悪魔でマーキスの部隊だ。それに、その存在は部隊の中でも下っ端だろう。組織に明確な不利益を被らない限り、特別な命ではないと言うことだ」
「特別な命って、お前ら!」
興味なさ気に話す青年は、細剣の血を拭き取りながら、言葉尻に水瀬を見つめ。
「それにどうやらキミは——いや、何でもない」
何かを言いかけた青年は水瀬らに背を向けると、最後にフッと、笑って見せる。
その笑みは作り物であるかのように妖艶で、人々を魅了するカリスマと言うやつだろうか。美しい青年は月明かりの届かない森の方へ進むと、闇の中へと消えていく。
「——たす……かったのか?」
ズルリと身体が倒れる水瀬は緊張の糸が切れたのか、もはや指一本動かすのすら億劫であった。
すると、森の出口付近からたくさんの人の声が水瀬に聞こえる。どうやら魔導騎士団が到着しているようだ。
見境兄弟を巡る長い長い夜は、どうやらやっとここで一区切りつくのだろうと逡巡する水瀬は、こちらへ走り寄ってくる宮川美弥子へ手を振った。
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