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第3話 寝不足です



 結局、ほとんど寝られなかった。


 …まあ、ぶっちゃけ寝てないって言った方がいいかもしれない。完全な徹夜ですと認めてしまうと自分の敗北が確定する気がして、せめて表現だけでも少しぼかしたいからそう言っているだけで、実態としてはかなり徹夜に近かったと思う。ベッドへ入ってから一時間くらいは目を閉じていればそのうち眠くなるだろうと軽く構えていたのに、意識は妙にはっきりしたままで、さっきの会話やら状況やらを一つずつ思い出しては「いや待てそれはおかしいだろ」と自分でツッコミを入れる作業が延々と続いていた。そもそも「寝よう」と意識した時点で負けだった気がする。眠るってこんなに能動的にやるものだったか。普段は気づいたら落ちているのに、いざ意識すると急に手順が分からなくなるんだ。耳だけがやたら敏感になって、隣の布団から聞こえる小さな衣擦れや呼吸の音へいちいち反応してしまい、そのたびに眠気の入口みたいなものが遠ざかっていく。


 とりあえず“寝るために良さそうなこと”は一通りやった気がする。スマホを見ないほうがいいとかいうやつも思い出してわざわざ枕元から遠ざけたし、部屋の明かりも少し暗めにしたし、布団の中で無駄に寝返りを打って「今のは寝やすい姿勢だったかもしれない」とか検証まで始めた。結果として分かったのは、寝ようとしている人間はだいたい何をやっても不審な動きになる、ということだけだった。


 深呼吸もした。鼻から吸って口から吐くと副交感神経がどうこう、みたいな知識を前にどこかで見た気がして、その通りにやってみた。何回か続けるうちに自分が静かな部屋でひたすら呼吸へ全集中している男になっていることに気づいて余計に目が冴えた。羊を数えるのもやった。三十匹くらいまでは割と丁寧に想像できたのに、途中から羊の群れがなぜか新潟の田んぼのあぜ道を走り始め、その背景に香澄さんが立っているイメージまで出てきて、脳内演出の方向性が完全に寝かせる気を失っていた。


 スマホで環境音を流せばどうにかなるかもしれないと思って、YouTubeで川のせせらぎとか雨音とか、寝落ち用BGMっぽいやつも試した。聞き始めて数分は、たしかにそれっぽい雰囲気になる。ところが川の音がするたびに、今度は小学生の頃に香澄さんと一緒に行った川遊びの記憶が妙に鮮明によみがえってきて、結果として脳内には“昔の楽しい思い出+現在の同居初夜+忘れたいのに忘れられないあの夏の夜”が同時上映されるという、まったく眠気を招かない豪華三本立てが完成してしまった。


 途中から、これは寝る努力をしているのか、寝られない自分を確認しているのか分からなくなった…


 いったんベッドから出て、ベランダへも出た。夜風に当たれば頭が冷えるかもしれないと思ったのだが、冷えたのは頭というより足の裏だった。俺のアパートのベランダは狭い。洗濯物を干すスペースとしては最低限成立しているけれど、男一人が深夜に立って人生を見つめ直すにはあまりにも心細いサイズ感である。柵越しに見える隣のマンションの灯りと遠くを走る車の音を聞きながら、夜風の中でどうして俺は二十歳にしてこういう方向の理性を試されているんだろうとかなり真面目に考えてしまう時間があった。


 部屋へ戻ってからストレッチもした。前屈もしたし、肩甲骨を回すやつもした。運動不足な大学生が急に身体をほぐし始めたところで、精神まで一緒にほぐれるわけじゃないんだなって気づいたよ。むしろ静かな部屋でストレッチしている時間が長くなればなるほど、“いま横の布団で初恋の相手が寝ている”という現実が逆に濃くなってくるので、運動による健全さで状況を押し流す作戦は完全に失敗したと言っていい。


 最後には、枕だけ持ってソファへ移動した。


 これはかなり涙ぐましい努力だったと思う。寝心地が悪いのは分かっていたし、翌朝になれば首か腰のどちらかが確実に犠牲になることも想像できていた。それでもあのままベッドへ戻って隣の気配を感じ続けるよりは、多少身体が痛くなってもソファのほうがまだ現実的だと判断したのである。大学の講義で爆睡してしまう未来を少しでも回避したい、その一心だった。横に人がいると寝られない、というより、横に香澄さんがいると寝られない。そこはきちんと分けておいたほうがいい。誰でも寝られないわけではないと思う。たぶん。いや、検証の機会はいらないけれど。


 何ならこのままずっとソファでもいいんじゃないか、という考えすら一瞬よぎった。ベッドで寝転がっても結局眠れないのなら、多少の寝心地の悪さは現状に比べればむしろ差し引きプラスなのでは、みたいな、寝不足特有の雑な理屈まで生まれていた。もちろん翌朝になってみれば、ずっとソファ生活に希望なんて持てないとすぐ分かったのだが。


 そんなわけで、朝である。


 目覚ましが鳴ったとき、俺は自分がどこで寝ているのか一瞬分からなかった。顔の横にソファの背もたれがあり、首は変な角度で固まり、右肩がじんわり痛い。寝返りを打つスペースの足りないままどうにか夜を越えたらしい身体が、あらゆる部位から微妙な不満を訴えてきていた。


「……痛っ」


 起き上がった瞬間に変な声が出た。腰も少し重いし、背中も張っている。しかも眠気はちゃんと残っている。…はあ、最悪だ。寝不足のくせに眠気だけ中途半端に居座っている朝ほど、講義との相性が悪いものはない。


 スマホを確認すると、目覚ましのスヌーズが二回ほど鳴った形跡がある。完全に記憶がない。夢も見た気がするのに内容が思い出せない。いや、思い出せないくらいのほうがありがたい。どうせろくでもない夢だった可能性が高いし。


 薄いカーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。部屋の中を見回すと、買ったばかりの布団がちゃんと部屋の隅へ敷かれていて、そこに香澄さんがまだ眠っていた。布団を少しだけ蹴っていて、髪は寝返りで軽く乱れ、顔の半分が枕へ埋まっている。昨日まで東京で仕事に失敗して住む場所をたたみ、勢いのまま名古屋の大学生の部屋へ来た人の寝顔が、どうしてこんなに無防備で平和そうなんだろう。


 見た目だけなら、疲れているようにはあまり見えない。


 けれど、起きる気配がまるでないあたり、やっぱり相当消耗していたのかもしれない。事務所を一人で切り盛りしていた、というだけでも普通に考えて大変そうだ。俺なら絶対真似できないし、そもそも自分の口座残高すら月に一回くらいしか確認しない人間に、事業の収支管理なんてできる気がしない。経理とか契約とか集客とか、そういう単語を並べただけで頭が痛くなる。大学のレポート提出期限をひとつ管理するだけでもわりとあっぷあっぷしているのに、仕事そのものと事務所の維持を同時にやるなんて、想像するだけで胃が縮む。


 香澄さんは昔からすごかった。すごかったというのは、万能とか完璧とかそういう方向ではなく、自分の見えているものとちゃんと向き合おうとする胆力があった、という意味でだ。俺なら、見える能力が少し強いくらいで人の相談を仕事にしようなんてとても思わない。怖いし、責任が重いし、何より見えるものが多い人生って、それだけでだいぶ面倒くさいと思ってしまう。見えたものへ執着していちいち人生相談まで始められたらたまったものじゃないし、夜中に台所の隅で知らないおじさんの霊が腕組みして立っていたとしても、「ごめん、今日は営業終了です」で済ませたい。自分の生活を振り回されたくないんだ。そういう意味では、香澄さんは昔から俺よりずっと前へ出る人だったんだと思う。


 その結果として疲れ果てて、うちへ逃げ込んできたんだろうけど、逃げ込む先に俺を選んだのは本当にどういう信頼なんだろう。ありがたい反面、俺で合ってるのかという不安はまだ消えていない。


 とりあえず、起こさないほうがいい気がした。


 事業がうまくいかなかったことも、住む場所をいったん手放したことも、ぜんぶ“まあ色々あってね”の延長みたいな顔で説明していた。だけど昨日いきなりあんなふうに来て、そのまま近所の店を回って生活用品を一式そろえて、帰ってきてからも夕飯を食べながら状況を説明してそこから寝たのだから、身体も精神もかなり削れているはずだ。俺が大学へ行っている間くらい、安心して寝ていてもらったほうがいいのかもしれない。


 そこまで考えて、ようやく自分も朝の支度をしなければと現実へ戻る。まず顔を洗い、歯を磨き、髪を適当に整える。洗面所に行く途中で、床に置かれた見慣れないスキンケア用品へ視線が引っかかった。ああ、そうだ、ここ、もう俺だけの部屋じゃないんだったな、と変なところで再確認しながら。


 朝の支度はだいたいルーティン化している。大学のある日は、起きてから三十分くらいで家を出られるように動く。寝癖がひどい日はもう少しかかるし、前夜のバイトがきつかった翌朝は、その三十分の中に“ベッドの上で無意味にぼんやりする時間”が五分くらい混じることもある。今日はその無意味な五分が、ソファの上で肩と腰の痛みに耐える時間へ変わっていた。


 着替えを済ませ、適当にトーストでも焼こうかと思い思いにキッチンへ立つ。冷蔵庫には昨日の残りのサラダと、買い置きの食パン、卵、牛乳。朝食としてはまあ普通だ。普通なのだけれど、どうしても気になってしまって、俺は何度か香澄さんのほうを見た。…まじで起きる気配がないな。寝息も静かだし、時々少しだけ寝返りを打つ以外、完全に眠りへ沈んでいる。


 この人、どれくらい寝てなかったんだろう。


 東京で何があったのか全部聞いたわけではないし、聞くつもりでいても本人が整理できていない部分へむやみに踏み込むのは違う気がする。ただ、昨日の夜にぽろっと出た言葉だけでもかなりギリギリだったのはなんとなく分かる気がした。事務所を閉めるとか住んでいた部屋をいったん引き払うとか、言葉にするとさらっとしていても、実際にはかなり大きい決断の連続だよな…


 俺がいま通っている大学を選んだときだって、それなりに迷った。新潟を出るかどうかで悩み、親とも話し、経済的な現実を計算し、入試日程を確認して滑り止めも考えて、それでも最終的には“何となく地方公務員になりたい”という、ふわっとしているくせに妙に長く自分の中へ残っていた希望へ寄せて決めたのを覚えてる。その程度の進路選択でも、高三の頃はわりと頭を抱えたのだ。香澄さんみたいに、自分の能力を仕事にして東京で一人で事務所まで構えて、そこから畳んでまた別の場所へ移るという流れの重さは、正直言って比べものにならない。


 朝食は結局、トースト一枚とインスタントのコーヒーにした。普段ならもっと適当な日もあるのに、今日は胃のあたりがあまり活動的じゃない。寝不足のせいだと思う。…うん、寝不足ってことにしておきたい。


 カップを持って部屋へ戻り、テーブルの端で立ったままパンをかじっていると、布団のほうで小さく身じろぎする音がした。反射的に視線が向く。起きたかと思ったのに、香澄さんは少し丸まる方向を変えただけでまた静かになった。


 起きていたら起きていたで、朝の挨拶をどういうテンションで交わせばいいのか少し困った気がする。昨日の夜の流れでいけばそこまで変に緊張する必要もないはずなのに、いざ“同居初めての朝”という言葉の持つイベント感へ向き合うと、こちらの気持ちが勝手に構えてしまう。自意識が働きすぎている自覚はあるよ?だけど自覚したからって静かになってくれるほど単純でもないだろ?いや、別に何かが起きるわけじゃないのは分かってる。朝は朝だし、大学は大学だし、現実はそんなにドラマチックじゃない。でも“部屋に年上の女性が寝ている状態で支度をして家を出る”という経験値が、俺の人生にはこれまで一切なかった。ないものは当然、うまく処理できないっつーか…。行動だけ見れば、パンを焼いてコーヒーを淹れて学生証を持って家を出るだけなのに、その一つ一つへ妙なイベント補正がかかってしまうのはなんでだろう。トースターの音すら普段より“生活を共にしている感”を主張してきてるから困る。っていうか、家電まで空気読まなくていいんだが。


 大学へ行く準備を終え、財布とスマホと学生証を確認する。家を出る直前、迷った末にメモを一枚残すことにした。鍵のことと冷蔵庫に麦茶があること、昼は適当に食べてください、夕方には戻ります、という程度の短い内容だ。本当はもっといろいろ書きたかった。困ったことがあったら連絡してくださいとか、無理しないでくださいとか、勝手に出歩かないでください、…まで書くとさすがに保護者っぽいのでやめた。


 玄関で靴を履きながら、もう一度だけ部屋の中を見る。


 カーテン越しの朝の光の中で、買ったばかりの布団へ包まって眠っている香澄さんがいる。どう考えても、俺の二十歳の朝としてはやっぱり情報量が多すぎた。


「……行ってきます」


 聞こえるわけもない小声でつぶやいて、俺は部屋を出た。


 アパートの外へ出ると、名古屋の朝の空気は思っていたよりも湿り気を帯びていた。新潟にも湿気はあるけれど、ここにはそれとは少し違う、街そのものが抱え込んだ熱のようなものが混じっている。建物の密度や広く取られた道路、少し先を走る幹線の気配――そういったものが空気の流れに影を落として、ただの朝とは少し違う“都市の朝”を形づくっているようだった。春から初夏にかけてはまだやわらかいが、季節が進むにつれてその湿り気は重さを増していく。夏本番ともなれば、朝九時の時点ですでに一日を終えたような顔をしたくなる日も珍しくない。


 俺の住んでいるアパートは、名古屋の中心から少しだけ外れた静かな住宅街の中にある。地下鉄の駅までは歩いて十二分ほど。自転車があれば多少は楽になるのだろうけれど、雨の日か寝坊した日でもない限り、なんとなく歩いてしまう距離だった。


 道はゆるやかに伸びていて、急な坂もない。途中には見慣れた看板のコンビニと、こぢんまりとしたクリーニング店、季節ごとに並ぶ菓子が変わる和菓子屋、それからコインパーキングの隙間に押し込まれるように建っている歯科医院がある。どれも派手さはないけれど、毎日通るうちにそこにあることが当たり前になるような風景だった。


 さらに歩いていくと、片側二車線の大きな通りに出る。そこにはチェーンの飲食店やドラッグストア、携帯ショップと学習塾が並び、時間帯によって表情を変える。朝の通勤時間には、スーツ姿の社会人と寝癖を隠しきれていない学生とが、同じ流れの中に混ざってどこかへ急いでいく。


 朝の名古屋は、中心へ近づくにつれて少しずつ色を増していく。自宅のあるあたりは低いアパートが並ぶ落ち着いた住宅地で、壁の色も似たり寄ったりのベージュやグレーが多い。それが駅前へ出ると、途端に看板の赤や青が目につくようになり、さらに地下鉄で都心へ寄れば、ガラス張りのビルが朝の光を拾ってやけに鋭い輝きを返していた。


 俺の通っている大学は、そのちょうど中間あたりにあった。街のにぎわいから少しだけ距離を取った場所で、かといって郊外というほどでもない。駅から歩いて十分ほど、緩やかな坂を上がった先に広めに取られた敷地と低層の建物がまとまっている。空はそれなりに抜けているし、朝の空気も都心ほどには重たくならない。


 中京学院大学 政治経済学部――名前の通り、やっていることもわりと分かりやすい。法律や行政、地域政策や福祉といった、どちらかといえば現実に直結する分野が中心で、授業の中身もどこか堅実な大学だ。公務員試験の対策講座なんかも早い段階から組み込まれていて、進路としてそちらを目指す学生が多いのも納得できる。


 高校三年の頃の俺にとっては、その分かりやすさがちょうどよかった。やりたいことが明確に決まっていたわけではないけれど、少なくとも外したくはなかったし、将来の選択肢はなるべく現実的な形で持っておきたかった。地元の新潟にも進学先はいくつかあったが、せっかくなら少し外へ出てみたいという気持ちもあった。見慣れた街を離れて、もう少し大きな流れの中に身を置いてみたい、そんなぼんやりした動機のまま、気がつけば名古屋に来ていた。


 将来何になりたいかと聞かれても、昔からはっきりとした夢を持っていたわけじゃない。

 医者とか教師とか、作文に書きやすい職業の名前が頭に浮かんだことはあったけれど、それを本気で目指そうと思ったことは一度もなかった気がする。


 高校に入って進路の話が現実味を帯びてくるにつれて、少しずつ自分の輪郭も見えてくるようになった。

人と関わるのは嫌いじゃないけれど、営業みたいに前へ出ていくタイプでもないし、かといって一つの分野へ没頭して突き詰めていくほどの集中力や熱量があるわけでもない。


 誰かの役に立つ仕事、という言い方は少しきれいすぎる気もするけれど、できれば大きな波に振り回されるよりも、同じ場所で、同じ人たちの中で、長く続いていくような仕事に就けたらいいなという気持ちは、ずっとぼんやりと胸の奥にあった。


 その“ぼんやり”が、地方公務員という進路へつながったんだと思う。


 きっかけのひとつは、高校二年のときに進路指導室でもらった資料だったと思う。県庁や市役所、町役場、警察や消防、学校事務――いくつもの採用区分と仕事内容が淡々と並べられていたその冊子の中で、なぜか市役所のページだけは少しだけ丁寧に読んでいた。“案外いいな”って思ったんだ。地元に近いところで働くこともできるし、福祉や税務やまちづくりみたいに配属によっては幅広い分野に触れられる。華やかではないけれど、ちゃんと生活の上に立っている仕事。そんな“地に足のついた働き方”のイメージが、そのときの自分にはしっくりきたのだと思う。


 もちろん現実はそんなふんわりしたイメージだけでは済まないし、安定しているからという理由だけで簡単に決めていいものでもない。それでもなんとなく進路に迷っていた俺にとって、地方公務員は“何となくでも目指す方向を決めやすい現実的な選択肢”としてちょうどよかったんだ。


 新潟に残るか県外へ出るかは、正直言ってかなり悩んだ時期があった


 家計を考えると、自宅から通える範囲の大学のほうがかなり負担が少なかったから。親も当然そこは気にしていた。俺自身も別に東京へ出て華やかな大学生活を送りたい、みたいな願望が強かったわけじゃない。でもせっかく進学するなら、新潟とはまた少し違う都市で暮らしてみたい気持ちがあったんだ。東京ほど極端に人が多すぎず、それでいて地方都市としては規模が大きく、暮らしやすそうで就職の選択肢も広い。そういう条件で見たとき、名古屋はわりとしっくりきた。


 新幹線も通っているし、地下鉄は分かりやすいし、駅前には必要な店が一通り揃っている。実際に住んでみると、その“ちょうどよさ”は想像以上だった。都会ではあるんだけど、常に全方向から情報と人と音に殴られている感じじゃない。駅前はちゃんと栄えているし、少し歩けば普通に落ち着いた住宅街になる。外食にも困らないし、スーパーもドラッグストアもそこそこ近い。東京みたいに「コンビニまで行くだけで人間の流れに飲み込まれる」みたいなことはあまりない。あと個人的には、地下鉄がまだ“覚える気になる数”で済んでいるのがありがたかった。路線図を見た瞬間に心が折れない都市というのは、地方出身の新入生にとってかなり重要である。


 駅へ着き、地下鉄の改札を抜けた。俺の通学路は住宅街を抜けて最寄り駅から東山線の支線へ乗り、そこから一度別の路線へ乗り換える。最初の頃は乗り換え案内アプリがないと不安だったくせに、慣れてくると人間って勝手なもので、「この車両だと階段が近い」とか「この時間の一本前だと微妙に混む」とか、妙な生活知識ばかり蓄積されていく。大学生の知性って、もっとこう、学問のために使われるべきなのではと思わなくもないが、現実には“いかに朝の移動で消耗しないか”のほうが優先度が高かったりする。通学とはつまり、小さな最適化の積み重ねなのだ。


 大学の最寄り駅を出ると、そこからキャンパスまでは学生の列が自然にできていた。駅前にはコンビニが二軒、牛丼チェーン、小さなカフェ、コピー機のある文房具店、それに下宿生向けの不動産屋が並んでいて、四月になると必ず“学生マンション空きあります”のポスターが増えていく。通学路は街路樹の並ぶ広めの歩道で、途中に小さな川があり、その上へかかる歩道橋から見る朝の水面は意外と綺麗だった。川沿いにはマンションと古い民家が混在していて、洗濯物とベランダの観葉植物が朝の日差しに照らされている。都市の真ん中まで行き切らない生活圏という感じで妙に落ち着くのは、新潟の住宅街にもどこか似た空気があったからかもしれない。もちろん雪の量も道幅も全然違うし、見える建物だって別物なんだけど。観光地でもなくビジネス街でもなく、誰かの生活が普通に積み重なっている場所。そういう空気の中に大学があると、自分だけが急に都会へ放り込まれた異物みたいな感じが薄れるっていうか?たぶん俺は、知らない土地でも完全な非日常ではなく、少しだけ実家の延長線みたいなものを探していたんだと思う。


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