第26章 幸福な絵
卒業式を終えたその二時間後、リーチェはギフティーやマートン卿と共に船上の人となっていた。
二年前に国を出るときに乗った、男爵家所有の貨物船の乗り心地とは全く違った。
まあ船の用途が違うのだから当たり前なのだが。
学生アパートとほぼ変わらない広さの個室で寛ぎながら、リーチェは留学していた二年間に母国で起こっていた様々な出来事を二人から聞かされた。
それは驚きの連続だったのだが、その中でも最も大きな衝撃を受けたのは、やはり王弟一家の顛末だった。
「もしかしたら、今ごろ発表されているかもしれないなあ。
王弟が王位継承権を剥奪されて臣籍降下されて男爵になるって」
「男爵って、我が家と同じなの? 王弟殿下が…… しかも領地無し」
「うん。これからは仮住まいで自給自足生活。でも一年は指導してもらえるというのだから、何とか生きていけるんじゃない?」
ギフティーは子供のころのように、ニコニコと無邪気な笑顔を浮かべてそう言った。面白がっているのが丸分かりだった。
アレン殿下の愛人にならずに済んだことは何よりだったが、想定外過ぎる話にただただ呆気に取られた。
「王族が国民に対して詐欺行為をしたのだから、さすがに王太后殿下だって庇いきれなかったのだろう。
最初から本物かどうか分からないのを承知して購入した絵を、本物だと称して展示して拝観料を取っていたんだからな」
「何故お金を取ったのかしら? 縁起ものとして購入されたのなら、お部屋に飾って置くだけで良かったでしょうに。
もし誰かに自慢したかったのならば、お知り合いの方にだけお見せすれば問題にはならなかったのではないの?」
「元々贅沢し過ぎていて、予算を超えた分は王太后殿下から補填してもらっていたらしい。
ところが、今回の絵の購入に関しては高額過ぎて無理だったのだろう。
それで仕方なく王家の財務部から借り入れたらしいのだが、返済計画を提出するようにと迫られて、かなり追い込まれていたみたいなんだよね」
「たしかに我が家にも相当な金額の賠償を要求してきたと父から聞いているわ。そんなに素晴らしい絵だったの?」
「エンディラ画伯の絵なんだが、昨年亡くなられたせいで、どの作品もかなり値が上がっているんだ。
その中でも『木漏れ日の少年』は初期の作品で、これまでその所在が不明だったから、余計に話題になっていたんだよ。
持っていると運勢が上がるという風評もあったからなおさらね」
「つまりその幸運を呼ぶアイテム欲しさに、借金までしてそんな高額な絵を購入したというの?」
あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れてそう言うと、彼は頷いた。
「そうなんだ。でも、返済を迫られて仕方なく個展を開いてお金を得ようとしたんだろうね。
君の父上との賠償金の交渉も、マスコミに知られてしまって、思うように進まなくて焦っていようだし。
例の絵だけ、本物かどうかは不明と記しておけばこんな問題にはならなかったと思うよ。
それ以外の王弟の美術品は、どれも本物だったみたいだから。
だけど、今一番話題になる絵を宣伝に使って、集客力を上げたいと考えたのだろうね」
「でも、なぜそんな幸運を呼ぶだなんて噂を信じて、そんな贋作の可能性があるものを購入したのかしら。
しかも鑑定をしないまま、本物だと偽ってお金を取るなんて、もしもの場合は王家の面子を潰すことになるのよ。
それに、そもそもその絵を人様に見せていたということは、水没の被害なんて大したことではなかったと、自ら言っているようなものじゃない」
「そのことなんだけれど、額縁の一部が水に濡れただけで、絵自体は全く損傷がなかったようだよ」
「何それ! それも詐欺じゃない」
「全くだよね。お金欲しさと、君に対する嫌がらせだったのだろう。
そんな不誠実であくどいことばかりしているから運に見放されるのだ。なぜそのことに気付かないのかが謎だよね。
その姿勢を改めないと、いくら開運グッズを買い漁っても運なってやって来ないのに。
あの噂は眉唾ものだったのかと、彼は嘆いていたみたいだけど、幸運を呼ぶというその噂は本当のことだと僕は思うな。
まあそれは、本物の絵の方に関してだけれど」
ギフティーの言葉をリーチェは意外に感じた。彼は科学者でリアリストだと思っていたからだ。
しかし、本当のリアリストだったら目の前のことだけを信じて、新しい発見はできないものなのかもしれない。
そう考えると、科学者はむしろリアリストではないのかもしれない。次々と新しい発見をする人達なのだから。そうリーチェは思った。
それにしても、一体何を根拠に幸運を呼ぶという話を信じているのだろう。彼女が不思議に思っていると、ギフティーが続けてこう言った。
「そして、その絵自身も運が良いと僕は思うんだよね」
「?」
言っている意味が分からず彼女が首を捻ると、すかさず彼はこう言葉を続けた。
「だってさ、色々な変遷を経た挙句、蚤の市に並べられていたんだよ。本来ならただ同然で叩き売られて、最後は燃料にされていてもおかしくなかったんだ。
それなのに店主がダメ元でふっかけたその値段を値切ることなく、目利きの少女が買ってくれた。
そのおかげでその絵はようやく正当な評価を受けられることになったのだよ。
これって本当に運がいいと思わないかい?」
「えっ?」
話の意図が見えずにリーチェが頭に疑問符を浮かべていると、それまで黙っていたマートン卿が口を挟んだ。
「そして、その少女によって最終的にオーウェン家にたどり着いたのですから、あの絵にとってこれほど幸運なことはなかったでしょうね。
オーウェン家の宝物庫は、王家や王立博物館よりもさらに、美術品の保存や管理には最適な場所ですからね」
「えっ?」
「君が僕の十四歳の誕生日に贈ってくれたあの絵が、エンディラ画伯が描いた『木漏れ日の少年』なんだよ」
「えっ?」
「つまりあれが本物だったんだよ」
それを聞いてリーチェは目を丸くした。三年前にギフティーに贈った絵は、確かに蚤の市で買った絵だった。
値段はそれなりにしたが、それはほとんど額縁代だと店主は言っていた。
そのとき彼女はエンディラ画伯のことは知らなかったし、そもそもその絵が本物か贋作かなんて考えてもいなかった。
淡い木漏れ日の中で、太い木の幹にもたれて眠る少年の絵を見て幸せな気分になった。
ギフティーが気持ち良さそうに昼寝をしていた姿によく似ていたからだ。
しかもその少年の着ているベストの色が、彼からの入学の祝いで贈られたネックレスのマラカイトとよく似た色だった。
その服が少年を邪気から守り、大切に保護しているように感じたのだ。
リーチェは自分がいつまでもずっとギフティーを見守る存在でいたいと以前からそう思っていた。そしてその気持ちが、その絵を目にした瞬間にさらに強くなった。
だからこそその絵を買い求め、彼に贈ったのだ。
作者が誰なのか、価値がどれくらいあるのかなんて全く頭になかった。彼女が気に入り、贈る相手に相応しい品だと思った。だから購入しただけだった。
「でも、どうしてそんな名画が蚤の市で売られていたのかしら?」
「その理由はトップシークレットで国際問題になるから他言無用だよ。
実はね、テクネーシ王国の中に、大掛かりな贋作作りをしている詐欺集団が存在していたんだ。
そいつらは本物の絵をまず手に入れて、腕のいい絵描きにかなり精巧な贋作を作らせていたんだ。
それを高値で一度販売した後で、それは贋作だったと買い手に告げ、それをバラされたくなければ本物を買えと、さらにお金を要求していたんだ。
美術品コレクターと名乗っている、無駄にプライドの高い貴族達にとって、贋作を買わされることは何よりも恥だ。
それゆえにその犯罪グループの要求に応じてしまったんだろうね」
「誰か一人でもそれを拒否して通報していれば、被害は広がらなくて済んだでしょうに」
「全くだよね。
そして、その贋作詐欺を捕まえるきっかけになったのが、君からもらったあの絵だったというわけさ」
「・・・・・・」
それを聞いたリーチェは、今日何度目か分からない衝撃を受けたのだった。




