御恩と奉公
部屋に入るなり私は掛布団を頭からかぶって丸くなった。膝を畳み、自分の両肩をぎゅっと抱きしめ、可能な限り小さくなる。
一人になった途端、胸がいっぱいになった。お腹の奥底から様々な感情が大きく膨れ上がり、とめどなくあふれて漏れ出しそうになる。体全体を縮こめて圧迫し、嗚咽一つ漏らすものかとかを食いしばった。
でもきっと声を出したら朧と十六夜という二人がやってくるだろう。心配をしてくれるだろうけれど、今の顔を見られるのは嫌だったしこんなことになっているということを九朗に知られたくもなかった。
花月院家に生まれ、異能の力を持たなかった自分には結婚などに縁がないか、あるいは家のために政略結婚をさせられるのだろうと諦めていた。事実、妹の入内を成功させるために、父と父の後妻に厄介払いをさせられそうになった。
そんな自分が面と向かって異性に求婚されたのだ。相手はかつての使用人ともいえる九朗。剣術の稽古相手、そして夜の間の警備係、ちょっとした話し相手。今の今まで異性と意識していなかった相手からの求婚は、私を混乱の渦に突き落とした。
嬉しくなかったわけではない。人から思われること、必要とされることなど諦めていた自分にとって、妻にと乞われるのは初めてのことでありここにいてよいのだと許しを得た気分にもなった。
まっすぐ私を見つめ、妻になって欲しいと言った九朗の顔を思い出すと、胸の奥がほんのり温かくなる気がすると同時に頬が熱くなる。そして大きな獣の本性から人型になった大柄な九朗の姿を思い浮かべると、私の鼓動は一層大きく、速くなった。
いつもの姿の九朗よりずっと背が高く、髪も、手足も長い。はだけた着物から胸が覗く様は、妖艶とも言え目のやりどころに困るほどだった。生まれて初めて、異性というものを至近距離で見てしまったという罪悪感すら湧く。
でも、ここにいてほしいと言った彼の言葉の続きがどうしても引っかかった。
ここにいてくれるだけでいい、何もしなくていい、という九朗の言葉だけは受け入れることができなかったのだ。
花月院の離れに閉じ込められている間のことは九朗も良く知っているはずだ。その生活を、ここでまた続けろというつもりなのだろうか。
肉親が会いにきてくれるわけでもなく、日に二度運ばれてくる食事を待つだけの日々。用事を言いつけられた女中はその言伝を正確に伝えては来るがそれだけで、世間話の一つもできない。
与えられた本を読み、部屋の掃除や繕いもので時間が過ぎていくのをただ待っていた。なんだったら仕事を言いつけられてこき使われるほうがマシだったかもしれないと、子どものころに呼んだ童話を思い出していたくらいだ。
たまに母屋に呼ばれて顔を合せる光希と、ほんのひと時話すことがどれほど嬉しかったか。
でも、それ以外にも自分が楽しみにしていたことがあった。
期待もされず、いないものとして扱われたあの日々の中、月夜の晩や空が白み始めたころに行った剣術の稽古。九朗が竹刀を持ってきてくれてから、ただ無為に過ごしていた毎日が変わったのを思い出す。
「九朗が屋敷に来てから、どれくらい後だったっけ……」
くろすけを助けた後、しばらくしてから夜に九朗が離れへやってくるようになった。はじめのうちはなんで父が今更離れに警備などを入れたのだろうと疑問だった。そして九朗に促されるままに夜は雨戸を閉めて床についていたけれど、そのうち彼の仕事が気になって話しかけてみたのだ。
他人との会話に飢えていたんだろうと今なら分かる。一回声をかけてみたらもう止まらなかった。九朗はこちらの質問に嫌な顔をせずにいろいろ答えてくれ、そして暇を持て余しているのならと一本の竹刀をくれた。
夜な夜な体を動かすようになると、滅入っていた気分が晴れた。お福さんと話をすることができなくても、くろすけに話しかけることができたし夜になれば九朗が来ると思えば気がまぎれた。
九朗はたくさん剣術の稽古に付き合ってくれたし、望めば私好みの本も持ってきてくれた。おかげで閉じ込められていた日々も、読み書きなどには困らなかったし生活に張り合いができていたのだろう。
そうか、と私は全身をこわばらせていた力を抜いた。
あの日々は、閉じ込められて無為に過ごしていたのではなかった。外に出るという自由はなかったけれど、九朗がずっとそばにいてくれたのだ。大神として帝都を守らなくてはいけないはずの彼が、ずっと私を気遣っていてくれたことにはっとする。
そしてあの夜、妹のためとはいえ私が望まない結婚をすることを聞いて、そこから攫って助けてくれたのだ。そのせいで力を使い果たして寝込むようなことになったというのに、また今夜も私を助けてくれたじゃないか。
あの閉じ込められていた日々から助けてくれた恩を、そして望まぬ結婚や命の危険から助けてくれた恩を、言葉尻一つで無下にしていいわけがないだろう。
九朗は私がいなければ力の回復がままならないという。ということは帝都の守りも薄くなってしまう。今日のように無理をしてまた力を使い果たしてしまえば、今度大きな物の怪に会ったら倒されてしまうかもしれない。
九朗の手は冷たく、顔色も白くなっていた。生気に欠ける顔が、怪我などして苦痛に歪んだところを想像してぞっとした。
そんな九朗は見たくない。
九朗が力を取り戻すということは、彼が苦しまないということだろう。そしてそうすれば帝都は物の怪から守られる。ということは、だ。皇子様のところへ行くはずの光希も物の怪から守られるということだ。
であれば、私のやるべきことは一つである。
「九朗、私はあなたの妻になります」
翌日の夜。
ばつが悪そうな顔をしながら夕餉を前にした少年姿の九朗に、私は三つ指をついて宣言した。給仕のために隣についている朧も十六夜も、ぽかんとしているが構わない。
「お、お嬢さん? ほんと? いや、妻になってってお願いしたのはこっちだけど、でもまさか本当に? 嬉しいけど、いいの? 本当に?」
「だって、私がいないと力が戻らないんでしょう?」
言い出しっぺのはずの九朗があからさまに狼狽える。しかし恩義に報いなければと心に誓った私の考えは変わらない。
色素の薄い瞳をじっと見据え、そして深々と頭を下げた。
「大神様。今まで大神様より私が受けた御恩は決して忘れません。異能も持たない私のような人間が大神様のお力になれるとあれば本望にございます」
「ちょ、ちょっとお嬢さん。待って、顔上げて。あと大神様って呼ぶの、やめようよ」
「いいえ、大神様。ただの人風情が神様に嫁入りするとなれば節度を弁えねばなりません。これより不肖、花月院朔乃は命に代えても大神様にお仕えいたします」
「ちょっと待てって。命に代えてお仕えするって、そうじゃなくって!」
慌てたように九朗が両手を前でぶんぶんと振り回した。それを見た朧が、旦那様だめですと言いながら押さえつける。まだあまり力が出ないのか、小さな童の腕で簡単に押さえられてしまう九朗の細い腕は白いままだ。
「旦那様、旦那様、お嫁様のお話、ちゃんと聞いて?」
「ちょっと、朧……痛いって」
「旦那様、旦那様、ごはん、危ないから落ち着いて?」
ええ、と情けない声を上げて九朗は朧を睨んだけれど、童姿の眷属は意に介した様子もない。大暴れになって零されては困ると、十六夜は素早く夕餉の膳を九朗の前から避けている。
なかなかに良い世話役である。
なんだ、と私はほっとした。一人で閉じ込められるわけではない。一緒にいてくれる者たちがいる。会話もあるではないか。そして私がやるべき「仕事」もある。
私は傍らに置いておいた竹刀袋から愛刀を抜いた。そして取り押さえられている九朗に向かってそれを捧げ持つ。
「大神様のお力が戻るまで、戻ってからも力が出ない日は私が全力でお守りします。これより妻となります故、大神様を旦那様とお呼びするご無礼をお許しください。どうぞ末永く、よろしくお願い申し上げます」
「だから、守らなくていいって! 守るのは俺の仕事なんだから!」
「御恩に報いるため、頑張ります!」
「お嬢さんってば!」
古の侍のごとく忠誠を誓った私に対し、九朗は思い切り眉尻を下げてため息を一つ吐いたのだった。
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