ブルーライトニング 第64章
お茶会が終わり、高野がいとまを告げた。ルーナは高野の誘いを辞し、ソレイユとともにサムの車で海軍基地へ戻ることになった。帰り際、高野は玲子の手を取り、
「娘たちを助けてくれて、本当にありがとう。マルスのことは、これからもよろしく頼みます」
「はい」
そう言って、高野たちは迎えの車に乗り込む。瑞穂と守は、近くのトラムステーションまで並んで歩いていった。
「玲子、今日はお疲れさま。疲れてない?」とアリスがたずねる。
「いえ、楽しかったです。ソレイユとダグラス社以外の場所で会えたなんて、とても新鮮で」
「そうね。シティからの通達も出たから、もうシティにも住めるのだけれど」
そこへ、話を聞いていたメアリが割り込んだ。
「だったら、うちに住んでもらったら?」
アリスは苦笑して、娘に向き直る。
「そうしてもいいんだけどね。肝心のソレイユが、シティに戻る気がないのよ。あの子にもいろいろ思うところがあるの」
「そうなの」
メアリは残念そうに肩を落とす。
「またソレイユのところへ行けるときがあったら、メアリも誘うわ」と玲子が言うと、
「うん、お願い」とメアリは顔を上げ、ぱっと表情を明るくした。
屋敷に入ると、アリスがさっそく声をかける。
「玲子、夕食までには時間があるから、お風呂に入ってきなさい。汗びっしょりでしょう?」
「そうするわ、おばさん」
「メアリも入ってきなさい」
「はーい」
メアリは一人で自分の部屋に駆けていく。
玲子も客間に戻ると、マルスと自分の着替えを手に取り、立ち上がった。
「マルス、一緒にお風呂に入ろう」
「えっ?」
マルスが、きょとんとした顔で玲子を見上げる。
「一緒に、お風呂に入ろう」
「あの、でも、ぼく、ロボットだよ」
いかにも戸惑った様子だ。その反応の理由は、玲子にもわかっていた。人間のプライベートな場所には踏み込まない。ロボットにとって、それは基本的な制御のひとつなのだ。マルスがやって来た日の夜、一緒のベッドに寝るときに少しだけ抵抗していたのも、そのせいだ。
「私が『いい』って言ったら、いいの。さあ、行こう」
我ながら、少しずるいな、と玲子は思う。自分の言うことに、マルスが逆らえないことを、よく知っていた。それでも、しばし迷った末に、マルスは観念したようについてきた。
「自分で洗えるよ」とマルスが遠慮がちに言うのを、
「いいの。おとなしくしてなさい」と制し、玲子はマルスの髪を洗い始めた。人間の髪と違い、濡れてもべたつかず、髪型もほとんど崩れない。かといって固すぎるわけでもなく、お湯を流せば、水はすっと流れ落ちる。
「マルスの髪と肌って、水をよくはじくのね。なんだか、みずみずしい感じがするわ。ちょっと、うらやましい」
「表面にコーティングしてあるんだって。アンドロイドは、みんなそうだよ」
「そうなんだ」
ふと、玲子はマルスの足に目を留めた。左の太ももに、ひとところだけ水をうまくはじかない部分がある。まるで細長い裂傷のように。
「マルス、この左足、どうかしたの?」
玲子が指先でその部分をなぞると、マルスは「ああ、ここ」とうなずいた。
「この前、リヨン大統領が狙撃されたとき、レーザーを偏向しきれなくて、足に当たったんだ」
「大丈夫なの? それに、今まで気がつかなかった」
「皮膚をちょっとえぐられただけだし、大丈夫だよ。とりあえず補修してあるから、目立たないでしょ?」
「そうね。ぬれてないと、まったくわからない」
傷の部分だけが、水をきれいにはじかないので、余計に目立つ。
「直らないの?」
「大規模修理で全身の皮膚を張り替えないといけないから、しばらくは無理かな。ぼくの体を一から作り直すようなことがあれば別だけど」
「そう。マルスのことはわかっているつもりだったけど、まだまだだなあ」
「だって、ぼく、お姉ちゃんに言わなかったもの。わかるはずないよ」
「そっか」
玲子は少し寂しそうに目を伏せた。それでも、自分とマルスの体をていねいに洗い流し、マルスを促して湯船につかる。湯面に浮かぶ波を見ながら、玲子はマルスの髪をなでた。
「でもね、マルス。私には話してほしかったな。隠し事をされてるってわかると、かえって心配になるもの」
「ごめんなさい。隠すつもりじゃなかったんだけど」
「うん、わかってる。私が聞かなかったからね」
マルスの視線が、まっすぐこちらを向いている。玲子は、そう感じた。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「お風呂、ぼくと一緒でよかったの?」
「いいよ。本当はね、前からやってみたかったの。由美子とも一緒に入ってたし」
玲子は、少しだけ照れくさそうに笑った。妹の由美子が生きていたときのことを、少し思い出したのだ。
「でもね、マルスが、私が着替えるときは部屋を出て行ったり、ベッドの上で背を向けてたりするから、ちょっと遠慮してたの。でも、もう遠慮しない。私のしたいように、かわいがることにしたわ」
「そう」
「だから、マルスも遠慮しなくていいよ。ねっ?」
「うん、わかった」
玲子は、そっとマルスの頬に触れた。
「ええ、それでいいわ」
「じゃあ、お姉ちゃんの髪は、ぼくが洗うね」
「えー、それはちょっと不安だなあ」
玲子は苦笑いする。が、
「ぼくが洗うの」
なぜかマルスも、そこだけは譲らなかった。
「わかったわ。じゃあ、お願いね」
マルスの手際は決して良くはなかったが、幸い、玲子の髪はそれほど長くない。どうにか「洗った」と言える程度には形になった。お湯をかけるときの勢いが少々乱暴だったのも、玲子にはむしろ微笑ましく思えた。
洗い終えると、玲子は髪をタオルでまとめる。さすがにこれはマルスには任せられない。マルスも、自分の手には負えないと悟ったのか、素直に眺めているだけだった。
それでも、玲子は、マルスとの心の距離が、ぐっと近づいた気がしていた。




