ブルーライトニング 第18章 マルスの危機
マルスを処分すべし。ダグラス社の経営監査委員会がそのような流れに変わりつつあり、プレスト海軍は対応を迫られる。サムはそれを覆す策を提案するのだった。
アルトシティからの帰途、サムはケンからの連絡を受けた。
「経営監査委員会が、マルスの解体を言い出してきた」
サムの血の気が引いた。経営監査委員会は、経営陣に対して強い圧力を持つ。スミス博士がそこを動かしたということは、マルスの処分に本気になっている証拠だった。
「経営監査委員会が主張している根拠は何だ?」
「マルスが家事用機能を持っていないから、人間と共存できない、というんだ」
「監査委員会の委員長は母さんだろう」
「多勢に無勢で話にならない」
ふつふつと怒りがわいてくる。家事用機能がなんだ。それが、なんだというのだ。
「俺の家で、家庭生活に何の問題もないことを証明してやる!」
サムはきっぱりと言い切った。だが、ケンの声は冷静だった。
「それはダメだと経営監査委員会は言っている。委員長の家や、マルス運用責任者の家では、公平な評価にならないってね」
「ちっ」とサムは舌打ちした。ならば!
「マルスを玲子に預けるというのは、どうだ?」
「また、思い切ったことを。それ、軍司令部が認めるのかい?」
「俺が責任を持って司令部を説得する。軍が求めているのは、あくまでマルス型アンドロイドの量産だ。マルス1人くらい、玲子のところへ行かせてもいい」
「そもそも、そのペアリングが成立するのか?」
「マルスは玲子のことを好いている。玲子も、まんざらでもなさそうだ。問題ない」
「わかった。父さんと母さんに相談する」
そう言って、ケンは通信を切った。
サムは帰還すると、その足でスコット司令のオフィスへ顔を出した。
「まずいことになった」
スコット司令は険しい顔で切り出した。サムは自分の考えを口にする。
「しかし、個人的なことを申せば、母はそんな話を了承しません」
司令官オフィスの打ち合わせ机を囲み、スコットと川崎は揃ってため息をついた。川崎が言葉を継ぐ。
「たしかに、あなたのお母様はマルスの処分には反対しています。しかし、ダグラス社の経営監査委員会は“違約金を払ってもマルスを処分すべし”という流れになっているのです。監査委員会の決定は多数決です。このままでは、マルスが危うい」
スコットも苦い表情を浮かべる。
「君の言う“玲子さんに預ける”という話だが、マルスは君をマスターにしている。それをいきなり玲子さんに変えるわけにはいかんだろう」
サムは一度息を吐き、それから口を開いた。
「重大なことを、まだ報告していませんでした。マルスはもう、玲子をマスター認証しています」
「なんだと?」
「マルスがアルトシティを守ったのも、すべて玲子のためです」
スコットと川崎は、思わず顔を見合わせた。川崎が補足するように言う。
「ニーナも同じことを言っていましたよ。ニーナも“玲子を悲しませたくない”という、それだけの理由で戦ったと。ただ」
川崎はサムに視線を向けた。
「なぜ、マルスが玲子さんのことを知っているのですか?」
「玲子がソレイユに会いに来た日、偶然、マルスを連れていた私と出くわしたんです。ソレイユは玲子に、私がアルトシティに遠征することを話していて、玲子は私の身を案じていました。重苦しい雰囲気に耐えきれず、つい、マルスを玲子の膝の上に放り投げてしまいました」
スコットの表情がわずかに引きつる。だがサムは気づかず、続けた。
「玲子に抱かれたマルスは、そのとき玲子のことを好きになったようです。私も、“好きになっていい”と言いました。玲子には、それだけの価値があると」
そのサムの一言が、マルスが玲子をマスター認証することにつながったことをスコットと川崎は理解した。
スコットは表情を押し殺し、低い声で言った。
「マルスのことはわかった。しかし、これ以上玲子さんに負担をかけるのは好ましくない」
「いえ、玲子は負担には思わないでしょう。少なくとも、短期間の間は。マルスに出会ったその夜は、すごく上機嫌だったと聞いています」
川崎が笑みを浮かべる。
「あなたのお母様も、同じようなことを言われていましたよ。もっとも、誰に預けるか具体的には言いませんでしたがね。“とりあえず、相談しないといけない”と。まあ、あなたのお母様も、同じ人に預けようとしているのでしょう」
スコットは心配そうに眉をひそめた。
「先生、本当に大丈夫なのだろうか?」
対照的に、川崎の声音には迷いがなかった。
「玲子さんは、今もソレイユの親友であり続けています。その意志の強さは並ではありません。そのことを鑑みれば、大丈夫だと思います。少なくとも、委員会にレポートを提出するまでの短期間であれば」
スコットは首を横に振る。
「私は、その“短期間”では終わらないと思うがね。少なくとも、玲子さんがマルスを手放したがらないだろう」
「それならば、マルスを早々に退役させればよろしい」
川崎は迷いなく言い切った。
「西郷が納得するか?」
スコットの問いに、川崎は笑みを浮かべて答える。
「あの男は、目的のためには手段を選びません。彼の目的は、マルス型アンドロイドの量産と配備です」
今度はスコットが苦笑した。
「たしかに、あの男ならそう考えるな」
スコットはぽんと自分の頭を叩き、結論を口にする。
「よし、その手で行こう。もっとも、玲子さんの気持ちが最優先だがな」
「むろん、その通りです。しかし、玲子なら引き受けるでしょう」
サムがそう言うと、スコットはなおも煮え切らない表情で言った。
「たしかに、玲子さんは断らないだろう。しかし、こうも玲子さんにいろいろ押しつけるのは、気が引けるな」
「今回は、玲子のためにもなると思います。マルスはきっと、玲子にとってかけがえのない存在になります」
ビーッ、とサムのハンディが鳴った。緊急コールである。
「なんだ? ノーマか?」
ノーマの報告を聞いて、サムは蒼白になった。
「わかった。すぐ行く」
スコットが怪訝そうに尋ねる。
「何かあったのかね」
「その、マルスが模擬戦でゼムにボコボコにされたそうで。フォローに行きます」
「君にも、いろいろ手間をかけさせるな。玲子さんの件は、私たちと君のお母さんとで話しておく。あとは任せたまえ」
「よろしくお願いします」
サムは足早にオフィスを出て行った。
訓練室では、サムが片膝をつき、両腕でマルスを抱きかかえ、子どもをあやすように背中をポンポンと叩いていた。訓練に立ち会っていたソレイユもノーマも、ただ立ち尽くしている。
「ゼム、少しくらい手加減してくれ」
サムはゼムに言った。ゼムは2メートルあまりの戦闘用メタロイドである。4年前に開発された高性能メタロイドで、マルスの性能を支える技術、アクティブリレーションや高機動制御システムを実装した初のメタロイドで、いわばマルスの兄にあたる。
訓練室の壁はぶよぶよした緩衝材に覆われているので、激突しても致命傷は負わない。とはいえ、模擬戦とはいえ壁にたたきつけられ続けたマルスは、あまりにも不憫だった。サムの言葉にゼムはまったく悪びれずに答える。
「能力のある者に、手加減などふさわしくありません。いや、マルスは、手加減できるほど弱くはない」
「全力で戦わないといけなかったのか?」
「そうです。しかし、マルスは期待した性能を満たしていません。設計母体となったJ-9タイプの能力を、わずかに下回る」
「そう、なのか」
「ですが、それは無理もないことだろうと思います。マルスの解体を議論しているような状況ではね」
ゼムの言葉には、かすかな皮肉が混じっていた。サムは背筋に冷たいものを感じる。そんなサムの心中を気にかける様子もなく、ゼムは続けた。
「ですが、今のマルスでも十分に強い。ダグラス大佐。マルスは、我らライトニングファントムのリーダーにふさわしい。マルスを我々のリーダーとして認めてください」
サムは反射的に、
「はあ?、いきなり何を言うんだ」
と口にした。
(いや、そのためにマルスを作ったんだ)と、すぐに思い出す。
「マルスならいいのか?」
サムが確かめると、ゼムは即答した。
「マルスなら、“ブルーライトニング”の名を引き継ぐ資格があります」
ゼムはマルスに向き直り、
「マルス、君のマスターが我らがマスターだ。我らライトニングファントムは、君のマスターに従う」
「ええと、玲子さんに?」
マルスの問いに、ゼムは当然のように答える。
「そうだ」
(おいおい、俺の立場はどうなるんだ)とサムは心の中でつぶやいた。
ゼムはさらに、ソレイユへと顔を向ける。
「ソレイユ、マルスに君の戦い方を教えてほしい」
「私は、マルスやあなたたちほど強くはないけど」
「ソレイユの戦い方は、美しく、無駄がない。マルスにも学ぶところは多いはずだ。ぜひ、お願いしたい」
「わかったわ」
ソレイユが頷くと、ゼムは再びマルスに声をかけた。
「マルス、君は我々より強くなる。その日を楽しみにしている」
ビーッ、と再びサムのハンディが鳴った。
「次から次へと」
サムがうんざりしたようにつぶやく。今度も、非常事態の報せだった。
2026年8月2日加筆




