閑話 ~ジークの恩返し・蛇足編②~
「あああああ……!」
ジークは自室の机へ顔を伏せていた。
昨夜は屋敷へ戻ってからも、なかなか眠りにつくことができなかった。目を閉じるたびに、エドワードの頬へ口づけた瞬間が鮮明によみがえってくるのだ。
あのときは、何か礼をしなければならないと思った。
いや、それだけではない。
一日を終えてしまえば、次にいつ二人で会えるのか分からない。そのまま別れるのが、なぜかひどく惜しく感じられた。
だからといって、どうしてあのような行動に出たのか。
自分でも説明できない。
「私は、なぜあんなことを……!」
冷静になって考えてみれば、ずいぶん大胆な真似をしたものだ。
しかも、動揺のあまり「社交辞令」などという意味の分からない言い訳までしてしまった。エドワードは納得した様子だったが、もし彼が貴族社会について誰かに確認すれば、すぐに嘘だと分かってしまう。
そうなったら、どのような顔をして会えばいいのだろう。
ジークは机に伏せたまま、横に置かれている青い魔石へ目を向けた。昨日、ナーリの魔石店でもらったものだ。
使い道など、何も決めていない。自分は魔石を動力とする武器も道具も持っていないため、本来なら受け取る必要もなかった。それでも、同じ石をエドワードが持っていると思うと、不思議と手放す気にはなれなかった。
「社交辞令……社交辞令だからな」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、魔石を指先でつまみ上げる。淡い青色の光が、窓から差し込む日の光を受けて静かに揺れていた。
「何が社交辞令なのです?」
突然、背後から声をかけられ、ジークは飛び上がるように顔を上げた。
振り返ると、部屋の入り口にタキシード姿のドラグが立っている。蛇竜との戦いで受けた右肩の傷は衛生兵の治癒魔法でふさがっていたが、まだ痛むのか、そちらの腕はだらんと下げたままだ。
「ドラグ! 入るときは扉を叩け!」
第三騎士団副団長であるドラグは、私の専属執事でもある。幼いころに父が亡くなってからは父親代わりとなり面倒を見てくれた。
「叩きましたぞ。三回ほど」
「聞こえなかった!」
「でしょうな。ずいぶん真剣に机へ向かっていたようですから」
ドラグは部屋へ入ると、ジークの手元にある青い魔石へ目を向けた。
「その魔石はどうしたのです?」
「昨日、魔石店でもらった」
「ヴァルカン殿からですかな?」
「正確には、店の者からだ! エドワードが買ったものと同じ魔石を一つずつもらっただけで、あいつから贈られたわけではない!」
「左様ですか」
ドラグはそれ以上何も言わず、なぜか満足そうに何度かうなずいた。
「なんだ、その顔は」
「御礼はうまくいったようですな」
「……ああ。エドワードも、楽しかったと言ってくれた」
「それはなにより」
「そうだな」
その言葉を口にすると、昨夜のエドワードの表情が思い浮かんだ。
丘の上で礼を伝えたとき、彼は珍しく穏やかな顔で笑っていた。今日のことを心に刻んでおくと言われた瞬間、苦労して予定を考えたことなど、すべてどうでもよくなるほど胸が満たされた。
エドワードが楽しかったと言ってくれた。
それだけで十分だったはずなのに、別れ際には、もう少しだけ何かを残しておきたいと思ってしまった。
「それで、何が社交辞令だったのです?」
「聞いていたのか!?」
「廊下まで聞こえていましたぞ」
「何でもない! 忘れろ!」
「そうですか。ヴァルカン殿に何かしたのかと思いましたが」
ジークは青い魔石を握り締め、顔をそらした。
「……頬に口づけした」
「なるほど……」
ドラグは驚くでもなく、ただ静かにうなずいた。
その反応が、かえってジークを落ち着かなくさせる。
「もっと何かないのか!?」
「何かとは?」
「驚くとか、怒るとか、呆れるとかだ!」
「お互いに嫌がっていないのなら、私めが口を挟むことでもないでしょう」
「互いに、とは何だ。私が勝手にしただけだぞ」
「ヴァルカン殿は嫌がりましたか?」
ジークは昨夜の様子を思い返した。
エドワードは確かに驚いていた。だが、怒ってはいなかった。それどころか、別れ際には普段より少し柔らかな声で「またな」と言ってくれたような気がする。
「……嫌がってはいなかったと思う」
「なら、問題ないかと」
「問題はある! あいつに変な女だと思われたかもしれないだろう!」
ジークが立ち上がろうとすると、ドラグはそれを手で制した。
「少なくとも、ヴァルカン殿はジーク様を嫌ってはいない。昨日一日を共に過ごし、楽しかったと言ったのなら、それで十分では?」
「それは、そうだが……」
「次に会ったときも、普段どおりに接すればいいのですよ」
「できると思うか?」
「ええ」
ドラグは小さく笑うと、部屋を出ていく。
一人残されたジークは、しばらく閉じた扉をにらんでいたが、やがて力が抜けたように椅子へ座り直した。
手の中では、青い魔石が静かに輝いている。
「次に会ったとき、か……」
エドワードは研究に夢中になると、何日も研究所から出てこないことがある。次に会えるのは一週間後か、それとも一か月後か。昨日の礼は終わったため、こちらから呼び出す理由もない。
あまり頻繁に訪ねると、余計なことを勘ぐられるかもしれないしな。特にミラは妙に察しが良い。昨日のことを知られれば、何を言われるか分かったものではない。
「しばらくは、会わない方がいいかもしれんな」
そう口にした直後、扉を叩く音が聞こえた。
今度ははっきりと二回。
「誰だ?」
「ジーク様、つい先ほど、手紙が届きましたぞ」
妙に嬉しそうなドラグの声だった。
ジークが入室を許可すると、ドラグは一通の封筒を手に部屋へ入ってきた。
「差出人は、ヴァルカ……いえ、エドワード様です」
「エドワードから!?」
「机に置いておいてくれ」
「かしこまりました」
できる限り平静を装ったつもりだったが、ドラグが退室するまでの時間が妙に長く感じられた。
扉が閉まった瞬間、ジークは封筒へ手を伸ばす。勢いのまま破らないよう慎重に封を開け、中の手紙を取り出した。
そこには、エドワードらしい簡潔な文字が並んでいた。
【昨日の礼がしたい。参考までに君の行きたい場所を教えてくれ。】
ジークは手紙を持ったまま、しばらく動けなかった。
やがて腰を落とし、椅子へ深く座り込む。
「私の、行きたい場所……」
そんなことを言われても、すぐには思いつかない。……返事を出すのは少し先になりそうだ。
ジークは机の上へ手紙を広げ、その隣へ青い魔石を置いた。淡い光を放つ魔石は、まるで遠く離れたもう一つの石へ呼びかけるように、かすかな明滅を繰り返している。
エドワードの研究所にある魔石も、今頃、同じように光っているのかもしれない。
「社交辞令では、ないからな……」
今度は誰にも聞こえないほど小さな声で、ジークはそうつぶやいた。
読んでいただきありがとうございます!
日常回終了! 11/5(木) 第二章再開予定です。
色々あって今週末投稿ができない可能性があります。もしその場合は11/5(木)にお知らせします。




