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巨人の国へ婿入りした不遇の王子は、大きな姫君と愛を育む  作者: 犬柳


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エピローグ

 あれから、季節が一巡りした。


 その日、ビガ国の空は祝祭に相応しい晴天であった。

 華やかな装飾で彩られた王城の回廊を、侍女や侍従たちが忙しなく行き交う。

 城中がどこか浮足立ったような空気に包まれていた。


 その喧噪から少し離れた控室。白のタキシードに身を包んだシリウスは、どこかぼんやりとした気持ちで一通の封書を手にしていた。

 封筒の裏面には、祖国の父の名前が書かれていた。



 手紙をシリウスの元に届けたのは、アストラ王国からやって来た外交大使達だ。

 今日という日のため、彼らは遠路はるばるビガ国までやって来た。

 そして祝いの品と共にシリウスに渡されたのが、父からの手紙であった。


 なんだか、この手紙を読むのが少し怖かった。

 数日前に手渡されていたというのに、今日に至るまで手紙を開く勇気が出なかった。

 けれど、読むならば今しかない。この手紙を胸にしまったまま結婚式を迎えれば、きっと一生、父の本心を知る事なく終わってしまう。


 シリウスは覚悟を決めたように深く息を吸い込み、そして大きく吐き出した。

 



『我が息子 シリウスへ



 此度の婚姻の儀、心からの祝福を贈る。

 遠く離れた地で伴侶を得て、新たな歩みを始めるお前の未来に、大いなる祝福があらんことを。


 この輝かしい日に、お前の傍らでその門出を祝えぬ事が、恨めしくてならない。この身さえ思うように動けば、どれほど良かったか。


 生まれや立場のことで、お前には多くの苦労をかけた。

 私はお前に十分な後ろ盾となってやれず、この大切な婚礼にすら、家族を誰一人として参列させてやれなかった。

 お前を孤独にさせてしまった事を、私は生涯悔やみ続けるであろう。


 私は王としても、父親としても失格だった。

 お前やリリーを守る事が出来なかった。

 ベラトリックスを正しく導く事が出来なかった。

 全て、私の罪だ』


「罪……」


 シリウスの唇から、言葉がぽつりと零れ落ちた。


『幼い時分に母から引き離され、平穏な暮らしを送る事も叶わなかったお前に、どう償えば良いのか。私はいまだに分からないでいる。


 お前をビガ国に託したのは、せめてもの罪滅ぼしであった。

 情に篤く聡明なファーレン王陛下ならば、きっとお前の助けとなってくれるであろう。

 そして誠実なノーティカ王女殿下とならば、きっと手を取り合って善き夫婦となるであろう。そう思っての事だった』


「父上……」


 手紙を読み進める目が止まった。

 瘦せ衰えた病床の父の姿が、脳裏に浮かんでくる。

 

『私の代わりに参列する外交大使に、祝いの品を託した。

 そちらの国へ行っても、お前が何不自由なく健やかに暮らせるようにと祈りを込めて選ばせた。

 今の私に、父としてお前にやってやれることは、本当にこれくらいしかないのだ』


 シリウスはそっと目を閉じた。

 数日前、外交大使が祝いの品と共に王城を訪れた時の事を思い出す。

 アストラ王国の外交船にこれでもかとばかりに積み込まれた祝いの品々は、目を瞠る程の量であった。

 目録に目を通したジェレミーは「国宝級の品々をこんなにも……!?」と今にも卒倒しそうになっていた。


「本当に……仕方のない方だ」


 シリウスは、ふっと息を漏らすように笑った。

 父に対しては今も複雑な感情を抱いている。

 父として尊敬出来るような人ではなかった。

 だが、愛された記憶はある。

 ただ父はどこまでも身勝手で、どこまでも不器用な人なのだ。


 いつの間にか、手紙を持つ手に力が込められていた。

 シリウスは僅かに折れ癖がついた便箋を捲る。


『最後に、ベラトリックスについても伝えておこう。


 本来ならば、このような喜ばしい時にお前に語るべき事ではないのかもしれない。

 だがお前もまた王家の一員であった以上、知っておくべき事だと思い、あえて筆を執った』


 その文章を目にした瞬間、シリウスは僅かに息を呑んだ。

 今から約一年前。あの談判の日以降、異母姉の近況について伝え聞く事はなかった。

 シリウスは手のひらにうっすらと汗が滲むのを感じながら、黒いインクで書かれた文字に視線を向けた。


『ベラトリックスは変わらず王太女として政務を執っている。

 だが、かつてのように臣下達の信頼を集める事は叶わなくなった。


 ビガ国での出来事は、臣下達の心に深く刻まれている。

 あれに向けられる眼差しは以前とは違うと、私の忠臣から伝え聞いている。

 恐れによって従っていた者は目を逸らし、忠義によって支えていた者ほど、あれを厳しく見つめるようになった。


 ベラトリックスが全てを悔い改めたという訳ではない。

 ただ以前のように感情へ身を任せ、他者へ怒りを向ける姿は少なくなったように思う。


 臣下達の視線を意識しているのか、あるいは精霊様の御裁定を忘れられぬのか。

 その理由は、私にも分からぬ』


 シリウスはかすかに目を見開いた。

 決して改心した訳ではない。けれどほんの少しだけでも、己の言動を顧みるようになった――まさか、あの異母姉が。

 ベラトリックスをよく知るシリウスだからこそ、その変化に驚いたのだ。


『王位継承という現実は、今もなお我が国に重くのしかかっている。


 お前も知る通り、他の姉妹達に王位を担うだけの力量はない。

 故に私は、今なおベラトリックスへ国を託さねばならぬ立場にある。


 父としては、せめてあの日の出来事を胸に刻み、真に民のための王となる事を願うばかりだ。


 もはや私に出来る事は、王として導き続ける事しかない。

 この病の身で、それがいつまで叶うかは分からぬが』


 手紙の最後は、そう結ばれていた。

 シリウスの口から、重苦しい息が漏れ出る。


 アストラ王国の未来は、ベラトリックスに託さざるをえない状況にある。

 臣下の信頼を失ったまま、周囲から敬われない女王として一生国を背負っていく――それが、ベラトリックスに与えられた罰なのだと思う。

 だが、それで本当に国は立ちゆくのだろうか。苦しむのはいつだって罪なき民である。

 せめて、父が存命のうちにベラトリックスを善き方へ導いていけるように。そしてあの日自らが伝えた「為政者として国を治める事に心を砕いてほしい」という言葉が、彼女に響いているのを願うばかりだ。



 その時、控室のドアをノックする音が響いた。


「シリウス殿下、失礼いたします。ノーティカ殿下のお仕度が整ったそうです」


 ジェレミーの言葉に、シリウスは弾かれるように顔を上げた。


「そうか。それでは花嫁を迎えに行こう」


 シリウスは手紙を丁寧に畳み、再び封筒に仕舞い込んだ。

 手紙を机の上に置き、ソファから立ち上がる。

 ジェレミーがすかさず傍に来て、タキシードの襟や裾を整えた。

 

「ありがとう」

「いえ。このように凛々しいお姿を目にする事が出来て、私も嬉しい限りです」


 ジェレミーはそう言って、眩しい物を見るように目を細めた。嬉しそうで、それでいてほんの少し泣きそうでもあるその笑顔を見て、シリウスの心があたたかなもので満ち溢れた。


「シリウス殿下。初めてお仕えした日から、あなたの幸せを願ってまいりました」

「ジェレミー……」


 シリウスは涙が込み上げてきそうになるのをグッと堪えた。

 アストラ王国の離宮に居た頃からシリウスに仕えてくれていた。

 母が居なくなった時も、異母姉につらく当たられた時も、いつも寄り添って慰めてくれていた。

 ジェレミーが傍に居なければ、あの王城での暗い日々を耐える事など出来なかっただろう。


「さあ殿下、参りましょう。ノーティカ殿下がお待ちになられていますよ」


 二人は顔を見合わせ、そして控室の扉を開ける。

 シリウスは一度だけ振り返り、机の上に置かれた手紙に視線を向けた。

 息を吐き、ゆっくりと瞬きをすると、シリウスは再び視線を前へ戻した。


「ああ、行こう」




「失礼いたします。シリウス殿下が参られました」


 ジェレミーが花嫁控室の扉をノックする。

 控室の中に居たノーティカ付きの侍女が、その声に応えた。

 シリウスの鼓動が少しずつ速くなる。

 キィ……と軋むような音を立てて、重い扉が開かれる。

 

 「……っ」


 その瞬間、シリウスは言葉を失った。

 本物の精霊花を幾重にも重ね合わせたような純白のドレス。

 真珠のような光沢を放つ生地の縁は、繊細なレースで彩られている。

 ウエストから裾に向かって大きく広がるようなラインを描くドレスは、花嫁の可憐さを引き立てているようだった。

 ビガ国の至宝であるパリュールが、窓から差し込む光を受けてきらりと輝く。けれどそれ以上に、花嫁自身の輝きが部屋中を満たしていた。

 思わず触れるのを躊躇うほどの神聖な美しさに、シリウスの足はその場に縫い留められてしまう。


「……シリウス」


 鈴の音のように美しい声で名前を呼ばれ、シリウスはハッとした。


「ノーティカ……」


 愛しい花嫁の名を呼ぶ。

 それだけでノーティカは、花が綻ぶような顔で笑った。


「どう……でしょうか」


 はにかむように尋ねるノーティカに、シリウスは頬を真っ赤に染めながら答える。


「すみません……あまりにもその……貴女が美しすぎて。言葉を失っておりました」


 シリウスは、自身の心臓が今にも飛び出しそうなくらい脈打っているのを感じた。

 まるで神話に出てくる女神や妖精が、突然目の前に現れたような心持ちであった。

 耳まで真っ赤になったシリウスを見て、ノーティカはふふっと笑い声を零した。


「そのように言っていただけて嬉しいですわ。旦那様」

「……っ」


 旦那様。その言葉がシリウスの胸を打つ。

 シリウスはもう耐えられないとばかりに、両手で顔を覆った。


「そ……そのような事を言われてしまったら……どんな顔をして良いのか分からなくなってしまいます」

「ふふ、すみません」


 ノーティカは柔らかく微笑む。初めて会った時から変わらない、まるで陽の光のようなあたたかな笑顔に、シリウスの心が満たされていく。


「では……参りましょう、ノーティカ」


 シリウスは純白の手袋に包まれた手を差し出す。


「はい、シリウス」


 シルクのロンググローブで覆われた大きな手が、シリウスの小さな手の平の上に重ねられた。

 シリウスの手に導かれるようにしてノーティカは椅子から立ち上がる。

 並び立つ二人の身体の大きさは、倍ほどに違う。

 首を大きく傾けて見上げながら、シリウスはノーティカの瞳を見据えた。


「共に、幸せになりましょう」

「ええ。これからもずっと一緒に。何があってもあなたの隣に居りますわ」


 二人はお互いを見つめながら、この世の幸せを全て集めたように笑い合った。



 その時、どこからか風が吹いてきた。

 暖かな風が、ノーティカのベールをふわりと揺らす。


「あら……」

「どうしました? ノーティカ」

「精霊様も、わたくし達を祝福してくださっているみたいです」


 その言葉と同時に、二人の頭上から黄金色の光が降り注いだ。


「精霊様……ありがとうございます」


 シリウスは天を仰ぎ見た。

 勿論精霊の姿は見えない。けれどシリウスの言葉に答えるように、爽やかな風が二人の間を通り抜けていった。



 シリウスとノーティカは固く手を取り合い、祝福の光を纏いながら歩み出す。

 寄り添い合う小さな影と大きな影が、二人の後ろに長く伸びていた。


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