9話 共鳴
掃除を再開した悠真は、部屋の中央にしゃがみ込み、スライムを見た。小さなそれは、淡い光を揺らしながら壁際の壺の裏を丁寧に磨いている。
指示を出したわけでもない。けれど、自分が見落とした汚れに、まるで察知するように動いていた。
「……お前、もしかしなくても賢いな」
悠真は骨ばった指を柔らかい表面に添え、ゆっくりと撫でた。スライムは答える様にぷるんと跳ねる。まるで「任せろ」と言っているように。
悠真は軽く息を吐き、床の拭き残しに手を伸ばす。先刻覚えた“感覚”を意識してみると、雑巾に淡い光が宿り、ほんのわずかに空気が揺れた。
────スライムと同じリズムで。
動きに合わせるように、スライムも身体を波打たせ、隣の机に取りつく。二人の動きがぴたりと呼応した瞬間、部屋全体の空気がふわりと明るくなる。
窓際のほこりが浮かび、宙で光の粒子に変わる。
足元に散らばった紙屑が、音もなく集まり、スライムの体内で吸収されていった。部屋が呼吸をしているかのように変化していく。頭上に文字が表示された。
《清掃進行率:82%》
《スライムの補助による作業進捗 +15%》
《経験値 +90》
「……あ?」
悠真は手を止めた。
頭の中に、さっきまで見たことのない表示が浮かび上がっていた。
“スライムの補助”と書かれている。
「ってことは……お前が掃除しても、俺に経験値が入るのか?」
信じがたい話だが、どうやらそうらしい。
まるでスライムが“彼の分体”のように扱われている。
興味が湧き、悠真は軽く指を鳴らした。
「棚の上、頼む」
スライムは一拍置いて、ぷるんと跳ねると、まるで理解したように棚を登り始めた。埃を吸い、拭き取り、すぐに別の場所へ移動。それを機に再び表示が現れる。
《進行率:94%》
《スライム作業 +8%》
《経験値 +40》
悠真は思わず苦笑した。
「……こりゃ便利だな。放っておいても勝手に稼いでくれる」
だが同時に、少しだけ背筋が寒くなる。
スライムが動けば動くほど、“自分のステータス”が上がる。まるで、彼の命令を基に成り立つ“システム”そのものが、彼の体内に根を張っているようだった。しばらくして部屋が完全に清められた瞬間、再び光が走る。
《清掃完了率:100%》
《エリア浄化完了》
《経験値 +180(スライム貢献分を含む)》
《レベルアップしました》
「……うわ、やっぱりか」
光が消えたあと、部屋の空気が一変していた。
重たかった空気は嘘のように軽く、さっきまでの陰りがすべて払われている。
しかしその一方で、悠真の視界には新たな情報が浮かぶ。
> 《部屋データ解析》
> 汚れ種別:鉄分残渣、体液反応、香料沈着
> 判定:対人トラブル痕跡
>毒物特定
【成分分析:覚醒薬マキナ・リーフの残留反応】
「……薬か。中毒性のあるやつだな」
思わず独り言が漏れる。
マリーが言っていた。「この部屋の住人、ギルドの子だったけど急に消えたのよ」と。
その言葉がふと蘇る。
机の上、埃に覆われた紙切れの中に、金属の光が覗いた。
拾い上げると、小さなタグ。冒険者ギルドの刻印。
刻まれた名前は──「リオ・ハース」。
悠真の胸中に、わずかな痛みが走る。
まだ確信めいたことは何もわからない。しかしその名前はここの世界で初めて出会い命を救われた恩人の名前に類似している。───ここで、何があったのだろうか。
スライム机の上を這いながら、こてんと頭(?)を傾けた。悠真は小さく息をついて、スライムの体を軽く指で撫でる。
「……お前は毒まで消せるんだな」
スライムは小さく鳴いて、彼の手に吸いついた。
生き物のぬくもりとは少し違う、ひんやりとした柔らかさ。けれど、不思議と安心する感触だった。
悠真は立ち上がり、部屋全体を見渡す。
「人間の汚れも、こうして落とせたらいいんだがなぁ」
スライムは足元で静かに震えた。その体から、小さな泡が一つ、ふわりと浮かび上がる。それが淡い光を放ちながら弾け、室内の埃が一気に沈静化した。
「……よし、今日のところはここまでだ」
悠真は掃除道具をまとめ、スライムを肩に乗せて部屋を出た。背後で、緑の部屋はすっかり清められ、夕陽の光が斜めに差し込んでいた。しかしどこか釈然としない何かが胸の奥につかえる。埃の中に落ちた金属タグだけが、かすかな鈍色を返していた。
スライムがぴたりと動きを止め、悠真の足元に寄ってくる。まるで心配してくれている様に感じ、強張っていた頬が緩まる。
「なんでもねぇよ。……今日はありがとな、助かったよ」
身を屈め、表面に親愛のキスを落とす。スライムは気持ちよさそうに震え、そして静かに消えた。
残ったのは悠真の頭の上の新たなウィンドウのみであった。
《スキルポイント +1》
《風呂エリアの強化が可能です》
【清潔状態Lv2/未解放スキル:「ヘアケア」「ボディケア」「湯の効果」】
「さて……どれに振るか、だな」
悠真は窓際に寄り、外の光を浴びながら小さく息を吐いた。掃除一つでここまで変わるとは思っていなかった。けれど、その裏で何か“大きな仕組み”が働いていることも、直感的にわかっていた。
「……あんまり深入りしない方がいい、か。あいつの言う通りなのかもな」
そう呟きながらも、彼の指先はすでに――“強化”の項目に伸びていた。




