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21話 夢



グラスの縁が軽くぶつかり、乾いた音を立てた。琥珀色の液体が揺れ、ぼやけたランプの光を割って反射する。


「俺はダンって名前っす!E級でまだヒヨッコですけど、いつかS級になって田舎の家族に楽させるのが夢っす」


笑いながらそう言った彼の声は、酒で少し掠れていた。頬はうっすら赤く、目尻の光がまだ希望を信じている色をしていた。


「……家族ねぇ。親孝行者だな」

「はは、そんなんじゃねぇっすよ。田舎じゃ冒険者なんて“死に行く馬鹿”扱いでしたし。でも俺は、あの腐った畑で一生終わるのがイヤだったんす」

「はは、ひでぇ言い方」


悠真はグラスを口に運び、薄めのウィスキーを一口含む。喉の奥に渋い熱が落ちた。この街の酒は、まるでここの人間みたいだ──安っぽくて、妙に癖が強い味が口内を潤す。


「ここに来て色々あったっすけど……。ダンジョンはやっぱり特別っすね」


飲み終わったグラスの縁を指で数度叩きながら、ダンは一人ごちる。


「子どもの頃、本で読んだんすよ。“神が封じた宝”とか“世界を創り変えた魔石”とか……そういう話に憧れたんす」


ダンは笑いながら、グラスの中の氷をかき回す。カラン、と乾いた音が、やけに響いた。


「でも現実はクソっすね!パーティーは組めねえし、依頼の報酬は雀の涙。命張っても、宿代で消える。冒険者ギルドって名前は格好いいけど、実態は“肉の市場”っす。誰が死んでも、次のやつが補充されるだけ」


とうとう酔いが回ったのか机に突っ伏してしまう青年に、悠真は小さくため息をついた。


「……それでも続けるのか」

「────当然っすよ」


ダンは少し目を細めて笑った。目の下の隈がくしゃりと歪む。


「ガキん頃から夢を追いすら出来ない状況をいくつも見てきたっす。親の事情や環境の事情でせっかく持った才能を潰していく人たちに比べたら、夢を追える環境にある俺が弱音なんか吐けないっすよ」


しばらく、二人は黙って煙をくゆらせた。隣の席の煙草から発せられる副流煙と安酒の匂いが、埃っぽい空気の中に滲む。カウンターの奥では、誰かが喧嘩を始めた。怒鳴り声と笑い声が入り混じり、壊れかけのピアノが掠れた旋律を刻む。


「その夢に殺されるとしてもか」

「冒険者のほとんどが死因は夢っすよ。俺はもう少しだけ賭けてみたいんす。運か、根性か、はたまた夢か。何に賭けてるのかは俺自身もわかんないっすけど」


彼の横顔は夢でも理想でもない、ただただ未来を力強く見据えていた。その夜の梟らしき輝く黄金の瞳に惹かれ、気付けば情報収集そっちのけで世間話を始めていた。


「……おい、飲み過ぎなんじゃねぇか。お前、酔ってきたろう」

「へへ……そうっすかね……。久しぶりに自分の話が出来てうれしーっすから。それにここの酒、強すぎて……」


 ダンはグラスを持ったまま、カウンターに突っ伏した。寝息がすぐに聞こえてくる。酒と夢を残り香として彼はあっけなく落ちた。


 悠真はゆっくりと立ち上がる。


「おいおい、もうおねんねか。……ガキかよ」


しばらく目の前の青年を見つめ、大きくため息をついた悠真は酔い潰れたダンの肩を担ぎ上げる。窓の外は夜風が重く、街灯の下に薄い霧が漂っていた。遠くで犬の鳴き声、裏路地の奥でガラスが割れる音。

 

この場所は、ダンジョンは俺が思っている以上に厳しいところなのだろう。全ての人が疲弊しきり、明日のまだ見ぬ絶望を語る。しかし隣の男は訪れるかも分からない夢を希望として語っていた。


「……起きたらちゃんと失踪事件のことについて聞かねぇとな」




ダンに肩を貸し訪れたのは、マリーの部屋がある宿屋の3階の端の部屋だ。空室の個室の扉を開けた瞬間、悠真はわずかに顔をしかめた。先日ざっと掃除はしたが、やはりダンジョンの宿屋らしく、部屋はまだ随分と年季が入っていた。


石造りの壁には細かいひびが走り、窓枠の隙間からは夜気が冷たく流れ込む。備え付けていたランプを点けると、淡い光が埃を照らして舞い上がり、まるで部屋全体が呼吸をしているようだった。天井には、冒険者たちが刻んだと思われる古いナイフ傷が薄く残っている。


「一応整理はしたんだが……。まだ改良の余地があるな」


 悠真は肩に担いだままのダンを見下ろし、苦笑した。あのまま路地裏に放り出すわけにもいかない。せめて一晩くらいは快適に眠らせてやりたい。隈をこさえた目に疲れの溜まった顔、皺と汚れの目立つ服は随分と着古されたもののように感じた。


彼はゆっくりと片手を上げ、指先で空気をなぞる。目には見えない何かが反応し、部屋の空気がわずかに震えた。


 《居心地度ポイント:未使用度200ポイント》

 《使用しますか? → はい》


 無機質な表示が頭の中に浮かび、選択した瞬間――光が壁の隙間を伝って走り抜けた。


 長年放置されて乾いた石のひびが、じわりと光に縫われるように塞がっていく。冷たい隙間風は止み、壁の内側にほんのりと温かさが広がった。やがて床板が静かに鳴り、ベッドの布がゆっくりと膨らむ。古びた藁の寝具は、白いシーツに包まれたふかふかのベッドへと姿を変えた。同時に、天井のランプが柔らかい琥珀色の光を放ち、部屋全体を包み込む。


「……よし」


悠真は満足げに息を吐いた。

今やそこは、つい先ほどまで埃だらけだったとは思えないほど、静かで暖かな空間だった。わずかに香るのは、金属のような湿り気ではなく、乾いた布と木の匂い――人の暮らしの温度。


悠真は慎重にダンをベッドに寝かせた。

酔い潰れた若者は、まるで糸の切れた操り人形のようにぐったりと動かない。しかし創られたばかりの布団をかけると、すぐに安堵したように眉を緩め、深い眠りへと落ちていった。


 悠真はその寝顔を見下ろしながら、少しだけ遠い目をした。


 「……夢の中だけでも、まともな世界が見えりゃいいがな」


 呟きはランプの光に吸い込まれ、部屋の空気に溶けた。外ではまだ、ダンジョンの奥から吹くような低い風の音が響いている。


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