20話 酒場
ワインが跳ねた革鎧を前に、若い冒険者が顔面蒼白で立ち尽くしていた。手に持ったグラスを握りしめたまま、彼はひたすら謝罪を繰り返す。
「す、すみませんっ!本当にすみません!」
「おい、ゴラァ!弁償しろよ!これは王都製の高級革で十万ルクスは下らねぇんだぞ!?」
怒鳴り声。
酒場のざわめきが一瞬だけ引き、次に冷たい笑いが混じった。────誰も止めない。いつもの光景なのだろう。
悠真は、壁際の席からそれを静かに眺めていた。
ワインの染み、鎧の色、革の質感。何気なく目を細めると、視界の端に文字が浮かび上がる。
《汚染物質:発酵果汁由来(赤葡萄種)》
《素材:牛革(模造品・低耐久)》
淡い光の文字はどうやら彼にしか見えない様だ。表示された情報に悠真はわずかに眉尻を上げる。怒鳴る男の目は怒りというより「見せつけ」だった。
新入りの若者が一人、理不尽に怒鳴られる光景。酒場ではよくある話。だが会社での新人の頃の自分を思い出し、鳩尾あたりが引き締まる感覚を覚えた。
悠真はゆっくりと腰を上げ、足音を立てずに二人の間へ割って入る。
「すみません、少し見てもいいですか?」
「……なんだてめぇは」
悠真は男の問いに返事することなくワインが染みた箇所に視線を落とした。軽く指先を動かすと、彼の背後で影がふわりと揺れる。小さなスライムが鞄からから顔を出し、“ぷるん”と鳴いた。
それが革鎧に触れた瞬間、深紅の染みはみるみる吸い込まれていく。乾いた革が元の色を取り戻し、わずかに艶を放った。
「……え、え?」
「解決した様でなりよりです」
怒鳴っていた男は驚いた顔で鎧を見下ろし、何か言いたそうに対峙するが自分たちが思ったより人目を集めていることに気付いたのか、舌打ちをして去っていく。その後ろ姿を見送りながら、悠真は小さく笑った。
────そりゃ、新人からカツアゲしてるところを見られたくはないわな。牛革を高級だと言い張ってんだから。
「す、すごい……! ありがとうございます! 俺、どうしていいか分かんなくて……」
助けられた青年────肩口には『ダン』と名前らしき文字列が鎧に彫られている。男は何度も頭を下げる。あどけなさの残る顔、誠実すぎるブルーの瞳。体格は良いが、立ち振る舞いがどこか不器用に感じた。
「気にしなくていい。誰でも初めは、そうやって一杯損するものだ」
悠真は微笑んだ。
スライムが椅子の影に戻りながら、ぷるりと震える。
「よかったら、少し飲もうか。緊張もほぐれるし」
「え、いいんですか!?」
「うん。君と話してみたい」
その声は柔らかく、けれどどこか探るようでもあった。
――聞きたいのは、ダンジョンの変化じゃない。
最近この街で起きている、“人の消失”についてだ。




