第十六話 失踪
●16.失踪
桜内、戸川、白井は、療養ホテルの敷地内にある日本庭園の中を歩いていた。
「地球に戻れば、全て解決で休暇が取れると思ったが、どうも国際宇宙連合も日本政府も頼りにならない感じがしたよ」
「船長、自分らはどうなるんすか」
白井の声に池の鯉が飛び跳ねていた。
「我々の姿がマスコミや世間に知られたくないらしいから、当分の間ここにいることになるだろうな」
桜内が言いながら3人は池にかかる太鼓橋を渡る。
「寺脇の件は」
戸川が言うと、白井はピクリと反応して背筋を伸ばしていた。
「それもどうだろう。グローバル政党の力が強大だからな。たぶん国際宇宙連合を通して、寺脇のみ帰還したことが国際自由国民党と世界革新社会党に伝わってるから、何らかの動きは見せると思う」
「それじゃ、高度医療船が到着するまで安心ってことにはならないっすか」
「そういえば、寺脇は警察第二本庁舎の取り調べは終わったのか」
桜内は白井に聞いていた。
「えっ。自分は何も知らされてませんが、ここ2~3日、ホテルの駐車場に警察車両は駐車してないっすね」
白井は太鼓橋の降りきった所で、ちょっとつまずきそうになっていた。
3人が池を渡った先に枯山水があり、その縁に沿って歩いて行った。
「戸川、ドクターの容体はどうだ」
「一昨日から発熱が見られ始めました」
「機械につながれた状態で、無事に乗り切れると良いのだが」
桜内は田山を感染させた責任を感じていた。
「これが最後の山場だと私は思っています」
「わかった。それにしても春が待ち遠しいな」
桜内は近くの梅の木につぼみを探していたが、それらしいものはなかった。
「桜内船長ぉ…、あぁここにいらっしゃいましたか」
桜内を呼ぶ声がしたので、3人は振り向いた。自衛隊の制服を着た男が小走りに近寄ってきた。
「自分は防衛省情報局の田中2佐であります」
男は敬礼をしていた。桜内は面識がない男が自分の顔を知っていることにぎょっとしていた。桜内は船長の名刺を渡し軽く握手していた。
「要件を手短に申し上げますと、寺脇が姿を消しました」
田中は若干息を荒くしていた。
「どこにもいないのですか」
桜内はそんなことができるのかという表情であった。
「このところ自動運転車で警察に出頭していたのですが、今日は来てないとのことです」
「やはり頼りにならなかったか」
「マジッすか」
「でも自動ですよね」
「何らかの方法で自動を解除して手動で逃走中のようです」
「でも警察じゃなくて田中2佐が出張って来ると言うことは、ただ事ではないわけですか」
桜内が言うと田中は静かにうなずいていた。
ミニバンタイプの浮上車は交差点近くの路肩にハザードを点けて停車していた。
「GPSと付近のコンビニの防犯カメラによると、ここから手動運転で北に向かって逃走したとされます」
ハンドルに手を置く田中は、周囲を注意深く見ていた。
「警察の自動システムをオフにしているからドンベイ・ベルクハイマーの日本本社か国際自由国民党日本支部に行くなら西か南に向かうでしょう」
助手席に座る桜内も周りを見ていた。
「…寺脇は用心深いのかもしれません」
「桜内船長、寺脇について何か心当たりがありますか」
「…確か出身は千葉県の香取市だったかと思いますが」
「そちらに向かうとしたら東になりますか」
田中が言っているとハンズフリーのスマホから着信音がした。
「田中チーフ、寺脇が乗り捨てた車が下館駅近くのビジネスホテルの駐車場で見つかりました」
「了解した。引き続き君たちもいろいろな可能性も想定して足取りをつかんでくれ」
田中は車のハザードをオフにしていた。
「今、情報局が気にかけていることは、この隙に田山ドクターが拉致されるか、山脇が国際自由国民党調査室や世界革新社会党委員長局のエージェントと接触するかです」
自動運転に切り替えた田中はハンドルから手を離していた。
「うちのドクターはあのホテルにいる限り大丈夫でしょうし、山脇が世界革新社会党とは相いれないと思いますが」
「裏切りや二重スパイという可能性もあります」
「寺脇の本性は何なんでしょうか」
桜内はそこまでのことはないだろうと思っていた。ミニバンタイプの浮上車は下館に向かっていた。
「戸川、寺脇の行先について何かつかんだか」
「私は、まだ何も…ただ白井君が…」
戸川のスマホだったが、白井に手渡していた。
「もしもし、船長。寺脇さんの件っすが、まだ誰も行っていない所に、耕作放棄地を含む父親の旧実家があります」
「ん、そこは廃屋だろう。第一、そこに行く理由があるか」
「わかりません」
「現在、寺脇の父親が住んでいる都内の住居は、自分の部下が向かっています」
脇で聞いていた田中が言う。ちょうどタイミングよく田中のスマホに連絡が入った。
「チーフ、寺脇の父親は2週間前に引っ越したようです」
「引越し先はわかるか」
「近所の人の話だと田舎に引っ込むとのことでした」
「わかった。ご苦労」
田中は桜内の方を見てニヤリとした。
「白井、父親の旧実家はどこにある」
桜内はつないだままであった、白井に聞く。
「えぇー、そこは…鹿沼市の山間部っす」
「可能性が高いです。田中2佐、急ぎましょう」
桜内が言うと田中は自動を解除しアクセルを踏み込んでいた。
寺脇の父親の旧実家は廃屋ではなく、最近修繕した形跡があり人が住める状態になっていた。桜内と田中は浮上車を降りて、建物の呼び鈴を鳴らしたが、誰も出てこなかった。周囲を見て回る桜内たち。
農機具の倉庫の前で立ち止まった。
「ここを見てください。タイヤで走行する車のわだちがあります」
田中は倉庫の中から外の林道に向かってタイヤの跡が続いているのを指さしていた。
「ここに車を停めていたわけですか」
「市街地に買い物にでも行ったか、寺脇を迎えに行ったかです」
「この細いわだちは」
桜内が怪訝そうに未舗装の敷地内を見ていた。
「車椅子ですね。男の靴の足跡が脇にあるので、父親の車椅子ではないらしいです」
「あぁ、そういえば、寺脇には妹がいるとか言ってました」
「なるほど」
「田中2佐、ここで待ちますか」
「大っぴらに車を停めてここで待っていたら警戒されます。そうですね…あそこの畑の辺りで待ちますか」
田中は建物が見下ろせる位置にある畑を見ていた。
畑のあぜ道に浮上車は止まっていた。ホバリングはしていないので、車体下部から駐車脚が出ていた。
「なんか傾いていませんか」
桜内は窓を開けて外を見ていた。
「そうですね」
田中も気にし出した。
「あぁ、駐車脚がぬかるんだあぜ道に食い込んでいますよ」
桜内はこれ以上沈まないようにと、車から降りた。
「桜内船長、駐車し直します」
田中は浮上車を浮き上がらせていた。その間、桜内は建物を見下ろしていると市役所の車が訪ねて来た。
市の職員は呼び鈴を鳴らして留守だとわかると、窓の方に回り、鍵が開いていないか見て回っていた。
「窓に鍵がかかっていなかったら、入り込むつもりかな」
桜内は車の電重力板をオフにして降りてきた田中に言っていた。すぐに田中はスマホを望遠鏡モードにして見ていた。
「ん、あいつは国際自由国民党調査室の日本人エージェントの田村です。付け髭なんかつけてますが、間違いありません」
「遂に現れましたか」
「でも船長、諦めて帰っていくようです。あっ身を伏せてください。奴も自分らと同じ考えのようです」
田中の言葉に桜内も慌てて身をかがめた。
「奴もここから見張るつもりですか」
「だとすると自分らは、さらに上のあの山の尾根から見張りますか」
「田中2佐、次に誰か来たら、どうしますか」
「どうするもこうするも、また誰か来ます。…今度は訪問医の車です」
田中はスマホ越しに林道を見ていた。
「ならば裏手から回って下に行き、林道の入口で寺脇たちが戻って来るのを待ちましょう」
「その訪問医も怪しくないですか」
「はい。自分の推測ですが、世界革新社会党委員長局の日本人エージェントの可能性が高いです」
田中は素早く浮上車に乗り込み、桜内がドアを閉める直前に車を走らせ始めていた。
市道から林道に少し入った所には、かつて資材置き場だったらしい空き地があり、その板塀の陰に浮上車は停車していた。
小便がしたくなった桜内は、近くの茂みにしゃがみ込んでいた。用を足して戻って来る桜内。
「船長、あなたも便器は座るように言われてしゃがむ癖がついているんですか」
「あぁ、そういうわけではないのですが…」
桜内は言い淀んでいた。
「うちも家内が便器が汚れるからって、座って小便をしろっていうもので、でも外では立ちションといきたい…」
「あのぉ、田中2佐、ご存知と思いますが、私は後遺症で中性化しているものでして…」
「こ、これは失礼しました。余計なことを言ってしまいました」
「私は進化の最先端なんで、いずれ皆もこうなりますから」
桜内が言うと、田中はぎょっとしていた。
1時間程待っていると、軽のワーボックスカーが林道に入ってきた。倒木と枯れ枝で作ったバリケードの前で止まった。軽自動車から高齢の男性が出てきた。
「誰だよ、こんな嫌がらせをする奴は」
その男性は倒木を引きずっていた。近くの茂みから桜内と田中が出てくる。
「ちょっとお話がありまして」
桜内がやんわりと言っていた。
「話しだと、お前らか。これをやったのは」
男が詰め寄ってきた。軽自動車のスライドドアが開き寺脇が出てきた。
「父さん、その人、私を救ってくれた船長さんよ」
「あぁ、寺脇さん、突然いなくなったりして、どうしたんですか」
桜内は寺脇の方に歩み寄っていた。田中は桜内が無防備に近づこうとしているので、カバーするようにすぐ横に並んだ。
「寺脇さん、何のためにここに来たのですか」
田中はしっかりと寺脇を見据えていた。高齢の男は黙って寺脇たちを見ていた。
「父さんが引越したと言うから、難病の妹に何かあったかと思って確かめに来たのよ」
「難病の妹ですか」
桜内は軽自動車の後部座席に女性が乗っているのを確認していた。
「引越した理由は家賃が払えなくなったことだったけど、妹の病院には通えなくなったわ」
寺脇は少し安心したようだったがすぐに暗めの表情になっていた。
軽自動車の周りに集まる桜内たち。
「妹の病状は一進一退だけど、そのぉオリジナル株に感染させれば、治せると思うの」
寺脇はうっすらと目を充血させていた。
「船長、あんたのアレを見せてくれ。本当にそんな変化があるのか」
寺脇の父は桜内の股間を小バカにした目で見ていた。桜内は仕方なく、ベルトを緩め、股間が覗き見える様にした。寺脇の父は、目が飛び出しそうになっていた。
「そのぉ、後遺症とやらで本当に治るのかね。それにあんたは不老不死には見えねぇがな」
「まだ後遺症について、研究が足りないなので、わからないことやリスクはあると思います」
桜内はズボンのベルトを締め直していた。寺脇の妹は、桜内の姿に希望の光を見出しているように見えた。
「船長、ごめんなさい。父さんに感染を説得するためにも来たんだけど、皆さんをお騒がせしてしまって」
「しかし寺脇さん。国際自由国民党調査室と世界革新社会党委員長局の日本人エージェントが旧実家を訪ねてきていますが、それはなぜですか」
田中はまだ気を許していなかった。
「グルーバル政党のエージェントですか。私の動きは筒抜けなんですね。でももう私は会社や政党に振り回されたくないのです。田山ドクターと共に人類の進化について研究したいのです」
寺脇は迷いなく言い放っていた。桜内は寺脇の瞳に一点の曇りもないことを感じていた。
「ところで、妹さんいや、次女の方の訪問医は鹿沼第一クリニックですか」
桜内が寺脇の父にさりげなく聞く。
「いゃ、訪問医なんぞ頼んでねぇよ」
寺脇の父の言葉に田中はニヤリとしていた。
「間違いない。それなら、どちらも寺脇さんを拉致しようと企んでいるはずです」
田中は林道の上の方を見ていた。
「ここでノロノロしていると、奴らが降りてきますよ」
桜内は林道を車が降りてい来る音が微かに聞こえていた。
「それではグローバル政党による奪い合いになる前に、お父さんや妹さんも含めてホテルで保護しましょう。皆さん、こちらのミニバンに乗ってください」
田中はミニバンのスライドドアを開けていた。桜内と寺脇の父は妹を車椅子ごと持ち上げて乗せていた。




