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四話目

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 ニコラスと会う日、妙に空は晴れていた。雲ひとつない晴天は何の障害もなく、太陽に向かっていけそうなほどだ。

 通された中庭にニコラスが立っていた。軍服姿ではない。白い正装に身を包んだニコラスはどこからどうみても貴族だった。それに胸が詰まる。

 ニコラスはレベッカの姿を見つけると、大きく目を見開いた。分不相応のものを着ているレベッカに驚いているようだ。それに恥ずかしくなってレベッカはニコラスに近づけなかった。視線を逸らし、立ち竦んでいると、ゆっくりとニコラスが近づく気配がした。


 芝生を踏む音が近づいて止まる。視線の先にはニコラスの靴があった。


「レベッカ…」


 感慨深げに呼ばれた名前に胸が苦しくなり、レベッカはゆっくりと顔を上げる。そこには変わらない笑顔の友の姿があった。


「ニコラス…」


 そう呼ぶとくしゃっと嬉しそうにニコラスが笑う。


「そう呼ばれるのは久しぶりだな。最近は肩書きで呼ばれることが多かったから」


 瞳を揺らすニコラスにレベッカははっとした。彼はもう気安く呼べる立場の人間ではない。爵位を与えられた立派な貴族だ。


「失礼しました。ミューズ伯…」

「いいんだ!」


 ニコラスが不意に語気を強めたので、レベッカがびくりと震える。ニコラスは苦しそうに眉を潜めながら弱々しい声で言う。


「ごめん…でも、昔みたいに呼んでくれ。お願いだから」


 その声と言葉にレベッカは頷いた。


「わかった、ニコラス」


 そう言うとニコラスは心の底からホッとしたような顔をした。そして、中庭にあるテーブルに招かれた。しばらくして使用人たちがケーキとお菓子のタワーを運んでくる。そしてあたたかなお茶も。それを当たり前のような顔で見つめているニコラスはもう遠い人なのだなと、レベッカは改めて感じた。


「ここのケーキは美味しいんだ」

「そうか…頂きます」


 一口、フルーツがたっぷりと乗ったタルトを口に運ぶ。フルーツの酸味とタルト生地の甘さがマッチして上品な味がした。しかし、レベッカの舌は感動はしなかった。美味しいが口に合わない。それもニコラスとの間に溝を感じる一つだった。


「どう?」

「あぁ、美味しいよ」

「よかった」


 無邪気に笑いかけるニコラスは昔と変わらないのに環境が変わるだけでこうも違いを感じてしまうのかと、レベッカは不思議な気持ちでいた。


「今日のレベッカは綺麗だ。びっくりした」

「そ、そうか?」


 不意に褒められ、恥ずかしさで胸が高まる。


「おせじなんて言うな。似合わないと自分でも感じている」

「…そんなことない」


 その瞳はアイザックと同じ熱を孕んだ瞳だった。なぜ、そんな瞳でみるのかレベッカには理解ができなかった。


「綺麗だ。まるでどこかの令嬢みたいに」


 その言葉を少し前に言われていたらレベッカは舞い上がっていただろう。しかし、そんな浮かれた気分にはなれない。ただ、褒められたことが恥ずかしいだけだった。


「レベッカ…故郷に戻るって本当か?」

「あぁ…」

「ここに残る選択肢はないのか?」


 問われている意味が分からずレベッカはニコラスを見つめる。ニコラスは熱く真剣な瞳のままだ。


「なぜ、そんなことを…」


 ニコラスにとってレベッカは過去の存在だ。そうなるよう突き放し、違う道を歩んだはずだ。進む道は今さら交わらないはずだ。


「レベッカがそばに居なくなって痛感した。お前にどれだけ助けられていたか。だから…もし、またこうして会えるなら会いたいんだ」


 気弱に伏せられた瞳。その顔はかつて王女に恋したものの動けずにいた幼いニコラスの姿と同じだった。あの時はレベッカが無理やり手を引いた。しかし、今はその手をとることはできない。


「気弱だな、ニコラス」


 レベッカは過去を振り払い、ニコラスを見据える。その声は冷たく怒気を孕んでいた。


「それでも数多の戦いを潜り抜けた男の発言か。誰かに手を引かれなければお前は人生を切り開けないのか」


 風が二人の間を吹き抜ける。髪を揺らした風がおさまると、ニコラスは不意におかしそうに笑い出す。その場違いな笑いにレベッカが眉を潜めた。


「いや、すまない…やっぱり、レベッカだ。レベッカといるといいな」

「なんだ、それは…」

「すまない。そんな風に叱咤されたかったんだ」


 笑うニコラスにレベッカはますます理解不能になる。それを察してか、ニコラスは視線を右に外し語りだした。


「ずっと勝つことが当たり前の世界にいたからさ。突然、称賛の嵐にさらされて戸惑ったんだ」


 ニコラスはお茶を無意味にスプーンでかき混ぜながら回る水面を見つめ続けた。


「それに英雄だと言われてもやっぱりレベッカのことが脳裏を過って…俺がしたことではないのに思ってしまうんだ」


 カランとティーカップにスプーンが当たり止まると、水面が元の静けさをゆっくり取り戻す。スプーンから垂れた一滴が落ち、最後の波を立てた。


「何を気負うことがある…」


 レベッカは声を振り絞るように出した。込み上げるのは怒りの感情だ。その感情のままにレベッカは立ち上がる。


「お前は英雄だろう、ニコラス! 少なくとも私はお前のおかげで命が救われた! お前に助けられなかったら、今、私はここにいない! こんな風にドレスを着ることなんてなかった! お前が私の命を繋いだんだ!」


 はーはーと肩を上下させながらレベッカはありったけの声で叫んだ。ポカンとするニコラスに見据えながら、また椅子に座る。冷めてしまったお茶を乾いた喉に流し込んだ。勢いよく流し込んだものだから少しむせる。決まりがつかない。


「ごほっ…ともかくだ! 今日はそのお礼を言いに来た。感謝している、ニコラス」


 もっと心を込めて言う予定だった言葉は憮然としたものになってしまった。それにニコラスはくっくっくっと肩を震わせて笑い出す。涙目になりながら笑いだしたニコラスにむせたのをそんなに笑わなくても…とレベッカは思った。


「ははっ。そっか、俺はレベッカにとっては英雄か…」

「そうだ。英雄だ。だから、胸を張れ。堂々としてろ」


 それにニコラスはふわっと無邪気に微笑んだ。



 出されたお菓子を食べきり、見送られる途中、ニコラスが不意にレベッカに話しかける。


「なぁ、レベッカ。もし、お前が英雄になっていたらどうなっていたかな」

「まだ言うか。私は英雄ではない。あれはお前が命令し、私が遂行した。それだけだ」


 そう言葉を紡いだニコラスの瞳には炎がくすぶっているようだった。チリチリと消し炭になってもまだ燃える感情はレベッカにも経験があった。しかし、レベッカの炎は消えていた。今は煙も立っていない。完全に消えて炭となっている。


「そっか。そうだな」


 ふっと寂しそうなニコラスの横顔の共にレベッカは真顔で言う。


「なんだ、夫婦間がうまくいかないのか? あんなに幸せそうな顔をしていたのに」

「え?」

「結婚パレードの時、見たことのない幸せな顔をしていた」


 笑えなかったパレードのことを思い出す。しかし、今は違う。心から言える。炎は消えたのだから。


「結婚おめでとう、ニコラス」


 その言葉にニコラスは穏やかな顔で「ありがとう」と笑った。




 そして、見送りが終わった所でレベッカはニコラスに手を差しのべた。


「じゃあな」


 その手をしっかりとニコラスは握り返した。


「またな」

「あぁ、また」


 さよならは言わなかった。その別れ方で良いとレベッカは心から思った。そして、それぞれの道を歩き出す。交わりたくないと思っていた道だが、いつか交わってもいいのかもしれない。かけがえのない友人として再会を。


 晴れた空の下、レベッカの心は澄み渡っていた。



 家に戻ったレベッカは扉が開いていることに気づく。その理由に今日は怒る気にはなれなかった。


「よぉ、話はどうだった?」


 変わらない態度アイザックに一つ息を吐き出すと、レベッカは話し出す。


「さよならは言わなかった。だが、結婚おめでとうは言えた」

「そっか。そりゃあ、よかったな」


 アイザックがよく頑張ったなと頭を撫でぐりまわす。それがこそばゆかった。


 きっと、アイザックがいなればこんな風に清々しい気持ちでニコラスとは向き合えなかった。火種は消え、新な灯火が心にはついている。その灯火はニコラスのそれと似ているようで全く別物だった。例えるならホット・チョコレートのような甘い炎。それをアイザックに伝えようと思っていた。


「あ、あのな…アイザック。話が…」


 するとアイザックは長い指をレベッカの唇に付けた。しーっと子供を静かにさせるしぐさにレベッカは黙ってしまう。


「それは、また今度、聞くよ」

「今度って…」

「俺にも色々あんだよ。こーみえてもな」


 カラカラと笑ったアイザックにレベッカはますます分からなくなる。


「ま、お前は一度、故郷に戻れ」

「は?」

「お前にはボケーッとする時間が必要なんだよ。色々、あったんだから」


 がしがしとやや乱暴に頭を撫でられる。


「故郷でいい子で待ってろ。迎えに行ってやっから」


 その言葉は腑に落ちなかった。だが、これまでのアイザックの態度から何か本当にあるかもしれないとレベッカは思った。ただ、離れるのはやはり寂しかった。


「迎えにくるんだぞ、必ず」


 アイザックの服を少しだけ掴んでレベッカは頬を膨らませて言う。それにアイザックはまた乱暴に頭を撫でて「あぁ」と笑った。



 汽車に乗り何年かぶりの故郷の地を踏む。故郷の風景は変わらなかった。

 音信不通だったにもかかわらず、両親は優しく出迎えてくれた。それがレベッカの心を更に柔らかくほぐしていく。


 迎えにくると言ったが、アイザックはその後、二ヶ月は連絡も何もなかった。レベッカのアイザックへの気持ちは日に日に募っていく。寂しくてアイザックが作ったミートパイやポトフなどを作ってみたが、味が全く違っていて落ち込んだ。


 星を見上げ、アイザックを思う。


 また好きだと伝えられずにこの炎は消えてしまうのだろうか。


 そんな切ない思いを抱え眠った次の日、レベッカは待ちわびた人と再会する。




「よぉ、いい子にしてたか?」

「アイザック…」


 アイザックを見たら涙が溢れてきた。涙を流すのなんて、何年ぶりだろう。


「馬鹿、泣くなって」

「だって…」


 会えた喜びでレベッカは頭がぐちゃぐちゃだった。ただ、分かるのは『好き』という燃える炎のみ。今度はちゃんと伝えたい。好きな人に好きだと。


「好き…会いたかった」


 初めて口にした愛の言葉は小さく震えていた。それ以上、何も言えずにレベッカは顔を覆う。アイザックはレベッカを抱きよせ、幸せにそうに笑った。


「言ったからには覚悟しとけ。デロデロに甘やかしてやっから」

「デロデロにって…」

「そのまんまの意味だ。毎日、俺の作った料理を食べて、ぷくぷくに太らせてやる」

「太るのか? 太りすぎはちょっと…」

「それから耳がとろけるくらい愛してるって囁いてやる」

「……ほどほどにしてくれ」


 耳まで真っ赤になったレベッカを愛しそうに見つめ、アイザックは続ける。


「後は、レベッカをモデルにした物語を書きてぇな」

「え?」


 顔を上げたレベッカの頬をアイザックの指がなぞる。


「ずっと考えてた。レベッカが主人公の物語を。困難に立ち向かう女の子の話だ。もちろん、結末はハッピーエンドだ。無精髭の王子様と」


 ニカッと笑ったアイザックにレベッカは口を尖らせる。


「無精髭はないんじゃないか?」

「俺とお前の話だから、いーんだよ。あ、そうだ。キャロットケーキ焼いて持ってきたんだ。食うか?」


 アイザックの言葉にレベッカは目を爛々と輝かせた。もちろん答えはイエスだ。


 家に入った二人はレベッカの両親に驚かれつつ招き入れられ、皆で食卓を囲んだ。


 そこにあるのは、キャロットケーキ

 ホット・チョコレート


 そして、リスのように頬いっぱい口を動かすレベッカの姿だった。



 王女様と英雄は結婚した。

 幸せな結末に置いていかれたレベッカを待っていたのは無精髭を生やした王子様と美味しい料理だった。

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