サブクエスト4 失った光
この回はクエスト5-1、5-2の時間軸におけるトルカの話です。
「ん……」
集の大陸、ディエヴェテ島。
人気の無い、ただ波の音だけが聞こえる海岸で、トルカは目を覚ました。
「ここ、どこ……?」
目覚めたばかりでぼんやりする意識の中、身体を起こして周囲を見回す。
前方には森、左右には砂浜、背後は海。シンヤの姿もフィンの姿も、ピスの姿も見当たらない。
「みん、な……?」
意識がはっきりしていき、現状を把握するにつれて、トルカの胸中に、彼女が久しく忘れていた孤独と死に対する恐怖心が姿を現す。
「や、だ……みんな……やだ……嫌だ……!」
魔術の扱いのみを修練してきた魔法使いは、壁役となる前衛の存在がなければ強さを発揮することができない。
振り切れたステータスを持つ彼女であれば、尚更である。
いくら彼女の魔法が強力であろうとも、複数の相手に攻められたり、彼女が魔法を撃つまでに攻撃が可能な魔物と遭遇してしまえば、勝ち目は無い。
もし魔物をやり過ごせたとしても、水と食料の問題がある。
森の民は肉を摂取しなくても死ぬ事はないため、そこらの草の葉や根を食べれば食いつなぐ事は可能である。
しかし、水はそうもいかない。
海水は当然飲めたものではないため、川を探す必要がある。
持っていた薬草は海水で全て駄目になっていたものの、飲み水は無事であったため、数日は凌ぐことができる。
だが、あくまで数日。水源を確保出来ない限りは、死神が来るまでのカウントを遅らせるだけのものに過ぎない。
「シンヤ……フィン……ピス…………みんな……どこ……?」
トルカが孤独に放浪する経験は、これが初めてではない。
ワーテルに辿り着くまでの長い放浪、マイティドッグからの追放……これを含めれば3度目、すぐさまシンヤに拾われた形となるマイティドッグからの追放を抜いたとしても、今回の状況は2度目になる。
どこからどのようにして彷徨い歩いた記憶はおぼろげにしか無くとも、いかにして飢えを凌いだかの記憶と、サバイバルの知識はある程度残っていた。
しかし、彼女は知ってしまっていた。
毎日のように食べた好物のパンケーキの味を。
傍に信頼できる人がいるという安息を。
シンヤとフィンとピスという心の拠り所を。
彼らからもらった沢山の幸せを。
初めて掴んだ安息と幸福という名の光は、孤独と死という闇をより黒く深く、恐ろしいものにしてしまったのである。
二度と手放すまいとした大事なものを失ってしまった不安と焦りと悲しみは、彼女の心に大きな影を落とした。
「みんな……ぐすっ、ひっく……」
トルカの目から涙が溢れる。
最初の一滴が流れ落ちたら、後はもう止まらなかった。
トルカは泣いた。声は出なかったが、肩を震わせ、大粒の涙を流し続けた。
それは雨のように、彼女のマフラーを、マントを濡らし、孤独と恐怖でぐしゃぐしゃになった心を濡らしていった。
泣いている場合じゃない事は分かっていた。
しかし、涙を止める事はできなかった。
トルカには、声を抑えることが精一杯だった。
……………………
………………
ひとしきり泣いた後のトルカは、落ち着きを取り戻していた。
泣いてばかりはいられない。生きて、また皆と巡り合う。
トルカはそう決心した。
「みんなを、探さなきゃ……」
立ち上がって歩こうとすると、よろめいて尻餅をつく。
「…………重い」
自身の格好を確かめると、マントやローブが海水を含んで重くなっていた事にトルカは気付く。
暫し座って考え込んだ後、服を全て脱ぎ、絞って水分を出して最低限の服以外は海岸の端に置き、海岸に落ちている木材の破片や枝を集める。
人の気配はしないが、魔物の気配もまたしなかった。
トルカは海岸でただ1人、動き回る。
非力な彼女は数を持ち運ぶことができない。
何度も何度も往復して、木材や枝をかき集めた。
……………………
………………
日が暮れるまで作業を繰り返し、トルカの前にはこんもりと積まれた枝の山が出来上がる。
それを半分に分け、片方の山は自分の前に、もう片方は自分の隣に置き、自身の前に置いた山の周囲に濡れた服を置く。
「唸れ炎よ、ファイア……」
目の前の枝の山に魔法で火を点け、焚き火を行う。
着火を確認すると、トルカは座って焚き火を眺め、時折枝を焚き火に放り込む。
「あたたかい……」
旅の記憶を頼りに作った焚き火を、トルカはじっと見つめる。
闇と孤独の中、小さくとも暖かく明るいその炎は、トルカの心に安らぎをもたらした。
それに呼応して空腹を覚えたトルカは、道具を入れていた鞄の中身をひっくり返す。
海水で駄目になった薬草を焚き火の中へ放り投げ、棒状のビスケットのような携帯食料の入った袋と蜂蜜の入った瓶を取り出す。
魔法によって厳重に保管されていた蜂蜜は無事であったが、携帯食料は海水を含んでふやけていた。
携帯食料に蜂蜜をかけ、もそもそとそれを食べる。
状態の悪さからくる携帯食料のまずさを蜂蜜で強引に打ち消そうとした、誰が食べても美味しくないと言いそうな代物であったが、それでも彼女の空腹を満たすものとしては機能していた。
冷たい食事だった。
食事を終え、使えない道具を焚き火に放り込み、飲み水を口に含み、マントを火に近づけて乾かす。
慣れない肉体労働で疲労が蓄積したトルカに、眠気が襲いかかる。
すぐにでも目を閉じてしまいたかったが、そうすれば魔物に襲われるとひとたまりもない。
トルカは気力を振り絞り、頰や手を時折つねって意識を保とうとした。
しかし、急速に肥大化していく睡魔には勝てず、トルカの意識は次第にあやふやになっていく。
限界を感じたトルカは、マントにくるまって目を閉じた。
……………………
………………
翌日。
身体の節々に痛みを感じながらも、トルカは立ち上がる。
魔物に襲われなかったものの、睡眠環境は良いとはいえず、満足いく休息は取れなかった。
どうにか乾いたローブの砂を払って着ると、マントをバサリと振って砂を落とし、帽子とマフラーを着用し、腰に差していた杖を手に持って森へと向かう。
森の中は鬱蒼としており、陽の光は競い合うように伸びた枝葉に隠れて地面まで届いていない。
枝葉が揺れる音は聞こえるものの、動物や魔物の声や音はしない。
自分1人が取り残されたかのような静寂に不安を抱きつつも、トルカは足を進める。
森の民とは本来、名が示す通り森の中で生活を送っていた種族である。
時や文明が進んで森を離れていっても、森の中の安心感は種族の遺伝子に刻み込まれている。
それはトルカも例外ではなく、森林の澄んだ空気や、木々や枝葉の揺れる音、様々な緑で彩られた景色に、見知った場所に来たような安心感と既視感を感じていた。
風に揺れる木々の合間を、トルカは歩く。
静寂の中に、孤独な足音が小さく響いていく。
トルカは、世界から隔絶されたような気分だった。
……………………
………………
休憩を挟み、野草を採取しつつ探索すること数時間。
トルカは木にもたれて座り、取った野草の葉ををかじる。
厚紙のような食感と楔のように舌から離れないエグ味。
それでも、トルカにとっては海水でふやけた携帯食料よりは美味しく感じられた。
「パンケーキ……」
食後のデザート代わりの蜂蜜を舐めながら、トルカは過去の冒険に想いを馳せる。
暖かい食事、好物のパンケーキ、シンヤとフィンとピスのいる賑やかな食卓……
この場には、何もなかった。
甘いはずの蜂蜜は、どことなくしょっぱく感じられた。
トルカが孤独に苛まれていると、不意に近くの茂みがガサリと鳴る。
驚いたトルカが音のした茂みを覗くと、茂みの向こうには猪の魔物が餌を探して歩いている姿があった。
相手は魔物ではあるが、この森にいるのは自分だけではない事を知り、少しホッとするトルカであった。
トルカは静かにその場を離れ、また歩き出す。
……………………
………………
夜。
朽ちた倒木のそばで焚き火を作り、夕食の野草を食べるトルカ。
昼に食べた野草とは違い、こちらはエグ味も少なく、葉も食べやすい食感であり、若干苦いながらも食用としては問題無い味だった。
トルカはふと思い立って野草を焚き火にかざしてみる。
ほんのり焼き目が付いたが、味に大した違いは無かった。
空虚な食事を終え、木の隅に丸まり、マントで身を隠すようにして横になるトルカ。
シンヤ達と夢の中だけでも出会えるよう願いながら、彼女は眠りについた。
……………………
………………
「なんで……みんな……」
トルカはそれから1週間探索を続けたが成果は無く、不安と苛立ちを募らせていた。
シンヤとフィンは別の島へ流されたため見つかるはずなど無いのだが、トルカはそんな事を知る由も無い。
孤独と不安と恐怖で心を凍らせていくトルカに追い討ちをかけたのは、4日目から引いた風邪による体調の悪化。
遭難初日、服が乾ききっていなかった事により低下した体温が発端となり、免疫力の低下、ウイルスの増殖と連鎖し、風邪を引き起こしたのだ。
4日目はなんとか身体を動かして森を探索したが、5日目以降は歩くのも辛くなり、マントの中でうずくまったまま身動きが取れないでいた。
「ケホッ、ケホッ……」
熱でぼんやりとする頭、経年劣化した人形のように軋む関節、痛む喉に止まらぬ咳、氷の魔力によって冷え込む身体。
通常より多く魔力を持つ人型種族の子供は体調を崩しやすかったり、風邪などで身体機能に異常が生じた場合、それが長引きやすい傾向にある。これは過剰な魔力が身体の免疫機能を阻害するためだ。
後者の傾向が強いトルカにおいては、狙われればひとたまりもない今の状況が少なくともあと2〜3日は続く事になる。
まさに、絶望的な状況だった。
うずくまりながらも、聞き耳を立てて周囲の様子を伺うトルカ。
木々のざわめきだけが響き、体調も相まって眠りにつきそうになった時、何かの足音を拾う。
トルカはピクリと耳を動かし、彼女が所持する金と銀の杖のうち、金色の杖を握り締める。
早鐘を打つ心臓の音を邪魔に思いながらも耳に意識を集中し、どこから何が来るかを推測する。
1つ、2つ、3つと足音は増え、更にトルカに近付いていく。
更に話し声も聞こえてきた事から、トルカは足音の正体を人だと確信する。
しかし、安心は出来なかった。
聞こえるのは幼い女の子と青年の声。
男はシンヤと年が近いように思えるが、どう考えてもシンヤではなく、フィンやピスと思しき声も聞こえない。
シンヤ達と共に旅をするうちに、他人に対する恐怖心は少しずつ薄れてきてはいた。
だが、それはシンヤとフィンという、自身の味方になってくれる存在がいたからと、2人が敵意を持つかどうかで安全かどうかを確認している、という面があった。
再び1人になってしまい、保護してくれる存在も、安全性の物差しも失ってしまったトルカが他人を信じるには、マイティドッグ時代に負った心の傷ははあまりにも大きかった。
それに加え、身体の不調と磨り減った精神のおかげで冷静な判断が出来ず攻撃的になっていたトルカには、近付いてくる人間に助けを求めるという選択肢は頭の片隅にも存在しなかった。
息を殺し、杖を握り締め、来るかもしれない襲撃に備える。
「…………!」
「……! ……!」
声と足音はトルカに近づいてくる。
マントから顔を出したい気持ちと不調から来る荒い息を必死で抑え、魔法を撃つタイミングを探る。
一歩、また一歩、人間の集団はトルカに近づいていく。
杖を握り締めるトルカの手が震える。
冴えきった目は眠りを遠ざけ、火照りの治らぬ頭は正気を奪い、張り裂けんばかりに鼓動を打つ心臓は凍えた心に棘を植え付ける。
人間の集団の足音と話し声はトルカに近付いていき……
「ごしゅじーん、おなかすいたー」
「飯の時間はまだだぞー」
「えー」
「みんなー! はやくはやくー!」
「やれやれ、イチゴは元気じゃのう」
……通り過ぎていった。
遠ざかる足音に安堵のため息を漏らし、張り詰めた緊張の糸が切れて身体の力が抜けるトルカ。
しかし、その安息は突如止まった足音によって瓦解する。
話し声と共に足音は再び近付き、そのうちの1つがトルカへと駆け寄り、それを追うようにして足音が近づいてくる。
再び全身に力が入り、杖をぐっと握り締めるトルカ。
「ごしゅじんさまー、これなにー?」
「いや……ちょっと分からないかな……」
「焚き火の跡があるのう。それに、この布の中から魔力を感じるわい」
「ほんとだー」
完全にバレた。
トルカの緊張はピークに達し、杖を握る手が震え始める。
「唸れ……炎よ……」
トルカは詠唱を始め、奇襲のタイミングを伺う。
「なあ……死体じゃ、ないよな?」
「それは無いじゃろう。乱れはあるが、死体にしては魔力が活発じゃ」
「魔物?」
「魔物はこんなことせんじゃろう」
「めくるねー!」
「あ、ちょっ……」
女の子の声と共に、トルカの存在を秘匿していた布に手がかかる。
刹那、
「ファイア!!」
トルカはマントを掴んで起き上がり、通常よりも大きい火炎弾を放つ。
「うわっ!?」
あらぬ方向に飛んだ自身の魔法を見ず、トルカは一目散に駆け出し、逃げる。
「あ、待ってよー!」
追いかける少女の声と足音。
判断力を失い、全てが敵に見えていたトルカ。
今にももつれそうな足を懸命に動かし、茂みの中を走る。
「待ってってばー!」
追いかける声は続き、確認していた足音も全てこちらへ向かってきている。
しかも、それらはトルカの足より速く、追いつかれるのは時間の問題だった。
「む、いかん! そっちは……!」
トルカが茂みを抜けた先に見たのは、フォレストウルフの群れ。
「!」
足元が斜面になっていた事に気付かなかったトルカは、足を滑らせて転ぶ。
身体を起こそうとするも、疲労と不調で力が出ず、それすらもままならない。
フォレストウルフはトルカの存在に気付き、彼女に襲いかかる。
トルカが顔を上げた時、フォレストウルフの牙は眼前まで迫り、そしてーーーー
ーーーートルカの意識は、闇に消えた。




