第五十九話
「あ……範さん!
心配をお掛けしてすみませんでした!」
「……………………黎深様?」
白龍の力で白を基調とした内装に変化した北の離宮内にある黎深の自室。
「範さん?
ぼく、何か変なことを言いましたか……?」
己の顔を見詰めて、珍しく目を丸くする範に戸惑ってしまう黎深。
「……ホッホッホ。
黎深様がお怪我をされていないか、心配だっただけですよ」
「そうなのですね!
いつもぼくのことを心配してくれて、ありがとうございます!」
笑顔満開で素直に感謝の言葉を告げる黎深に、心の中では驚きでいっぱいの範が、チラリと黒龍たちへと視線を向ける。
「…………妾は、悪くないもん」
「お前な……」
プイッと頬を膨らませて、そっぽを向く白龍に頭を抱える黒龍。
「兄上が……可愛いくて尊い……」
「え……えっと、ありがとうございます、黄河くん。
でも、いつも一生懸命な黄河くんの方が素敵で、格好良いと思います!」
「………………攫っても良いですか?」
「黄河様……これ以上の騒ぎは勘弁してください……!」
はにかむように微笑む黎深を、ガチな目で狙い始めた黄河に、凌善が胃を押さえて呻くように呟く。
「あの……!」
「はい……?」
「夏侯さん!
いつも黄河くんと兄上を守ってくれてありがとうございます!
夏侯さんのおかげで、黄河くんと兄上は元気に過ごせていると思うのです!
だから……ぼくにできることが有ったら、何でも言ってくださいね……!」
「…………うちの子になりませんか……?」
胃を押さえる凌善を心配してなのか、一生懸命に背中を擦る黎深。
その健気な姿に、凌善の胃痛が和らぎ、常識人としての何かが揺らぐ。
「駄目に決まっているだろう、凌善!
黎深は、うちの子だ!」
凌善から引き離すように黎深を抱き上げた碧雲。
「……兄上?」
「大丈夫だ、黎深。
お前は、何処にもやらないからな!」
「はい!
嬉しいです、兄上!
ぼくも、王様になった兄上のお役に立てるように勉学も、武芸も、がんばります!」
「……っ………黎深っっ……!」
抱き上げられた黎深は、嬉しそうに碧雲へと笑顔を向ける。
その碧雲への信頼と愛情に満ちた純粋な心に、胸が張り裂けそうなほどに喜びで満ちると同時に、息苦しいほどに痛んでしまう。
「…………混ざってんな」
「……そうですわね。
中途半端な所で記憶が混ざってますから……明日には、元通りでしょう」
幼くなった黎深を囲む輪から一歩離れて、黎深を観察していた黒龍がボソリと呟けば、白龍も肯定する。
「……黒龍様、白龍様、それは……どういう……」
黒龍と白龍の言葉に、碧雲が不安げな眼差しを向ける。
そして、室内にいる人間たち全員の視線が黒龍と白龍に集中した。
「なんつーか……混ざってんだよ。
七歳の黎深を基本に、二十歳の黎深の記憶が中途半端に。」
「記憶が混ざっている……?」
今ひとつピンと来ない碧雲は、幼い黎深の顔を見詰めて首を傾げてしまう。
「…………混ざっているとは……黎深兄上が僕のことを、認識している点でしょうか……?」
黒龍の言葉に何かを考え込んでいた黄河が、おずおずと口を開いた。
「僕は、七歳の頃の兄上と面識がありません……いえ、正確に言うならば、お互いの顔を見たことは有っても言葉を交わしたことは無いはずです。
王妃が母である兄上が、地位の低い側室の幼子だった僕と同じ場所で育つことは無いですから。」
「それを言いますと、私めとも七歳の黎深様はまだ出会っておりません。
しかし、私が名乗る前に名前を呼んで頂けた。」
「俺も、十年以上前はまだペーペーの下っ端でしたから王族と面識は無いですね。
……見た感じ……感情や性格の基本が七歳の第二王子殿下に、一部の知り合いを認識する記憶だけが入っている。
いや、元々第二王子殿下は他者に対して負の感情を抱いていなかった?
……もしかして……第二王子殿下は、表面上の性格と内面の齟齬が激しいお人だった可能性も……」
ブツブツと呟く凌善の言葉が聞こえた碧雲は、微かに動揺する。
「(黎深の表面的な言動と内面の感情が違う……?)」
蘇るのは、皮肉交じりの言葉を告げながらも、決して碧雲や玉葉に自分から近寄っては来なかった黎深の姿。
「まっ、そんな所だ。
(……ぶっちゃけ、七歳の黎深をベースに、いつもの黎深の中身?
前世の記憶を取り戻した状態の中身が混ざってるって、わかりにくいよなぁ……)」
「(分かりにくすぎですわ。)」
凌善達の言葉に頷いて黒龍と白龍は、ため息をつく。
「……ならば……何故、この幼い黎深は私に対して……こんなにも……」
慕ってくれるのか……?
二十歳の黎深の記憶が微かにでも有るならば、碧雲を素直に慕ってくれる理由がわからない。
「そんなモン、黎深がお前のことを大好きだからに決まってんだろ」
「だが…………」
「ちゃんと兄貴として、大切に思ってるから離れるしか無かったんだろ。
勝手に王位がなんだって、くだらねえことで周りが囃し立てるから近付けねえ。
さっきだって、ちょっと弟として近付いたら兄貴を殺す気かって言われりゃ、離れるしかねえだろ。」
「っ……」
黎深が置かれていた状況が碧雲に突き付けられる。
「……兄上……どこか、痛いのですか……?」
「黎深……」
顔を曇らせた碧雲に抱かれたままの黎深が、幼い顔で心配そうに見上げる。
「……黎深」
「はい」
「その……黎深は悲しかったり、苦しかったことはあるかい……?
私に黎深の気持ちを教えてくれないかな?」
「…………気持ち……?」
碧雲の問い掛けに、黎深は不思議そうに目を瞬かせる。
「…………ぼくは勉学も、武芸も、兄上が同じ年の頃よりもできていないんです。
先生たちに、いつもため息をつかれてしまって……これでは、兄上のお役に立てません……」
「え……」
初めて知った事実に碧雲は目を見開く。
「兄上よりもダメな自分が悪いとわかっています。
だから、もっともっとがんばります。
でも……一つだけでいいから、いつか兄上を超えたいと思っています。」
「……っ……」
碧雲の脳裏に、あの時の……十歳の黎深が泣き叫んだ日の出来事が浮かぶ。
何度も練習してやっと魔術で咲かせたのだと、満面の笑顔で一輪の花を差し出した黎深に…………自分は、何をした?
まるで、黎深の努力を嘲笑うように、好奇心に駆られて使ってみた魔術。
碧雲が、何の努力もせずに成功させた満開の花。
「(……っ……あの日の、叫びの意味がやっと分かった……)」
幼い頃から繰り返し碧雲と比較され、劣っていると言われ続けた黎深。
碧雲は、黎深と袂を分かつことになった理由を……十年経った今、理解したのだった。
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