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プロローグ

教室という空間は、もはや学び舎ではない。


そこは、人間が人間を捕食するために設えられた、密閉された檻だ。


いじめるという事。


それは永久に無くならない。

社会で人間関係を構築する上で、それは必要不可欠だからだ。

弱い他者を虐げ、自分を強く見せる事だけが、

人間にとって最大の防御になる。

人は自分を守るため、自分より弱い何かを攻撃し、それを周囲にアピールしなくてはいけない。

それこそがいじめの真実である。別に相手を恨んでいるわけではない。ただ、そこに弱い者がいるから利用する。だだそれだけの事。


僕、ゆうきにとって、一日が始まるということは、排泄物のように無価値な自分を、彼らの娯楽のために差し出す儀式に過ぎない。

空気は澱んでいる。雄二の放つ粗暴な汗の臭いと、えりかが撒き散らす安っぽい香水の匂いが混ざり合い、僕の喉の奥を常に締め付けていた。

「なあゆうき、今日も『エサ』の時間だぞ」

休み時間、雄二が太い指で僕の髪を掴み、無理やり引き起こす。彼の背後で、えりかがスマートフォンを構えて楽しげに笑った。

最初の『遊び』は、僕の昼食だ。

えりかが僕の弁当箱を奪い、蓋を開ける。彼女はニヤニヤと笑いながら、周囲のゴミ箱から拾い集めた食べ残しや、掃除用具入れの床にこびりついていた黒ずんだ泥水を、丁寧に、愛情を込めるかのように僕の弁当の中へ混ぜ込んだ。

「ほら、食えよ。栄養満点だろ?」

雄二が僕の頭を机に押し付ける。逆らう術はない。抵抗すれば、今度は指を折られるか、階段から突き落とされるだけだ。僕はその異臭を放つヘドロを、涙をこらえながら咀嚼した。口の中に広がる腐敗と泥の味。えりかはその醜態を、まるで珍しい獣を見るような軽蔑の眼差しで録画し続け、クラスのグループチャットへ「今日の面白い動画」としてアップロードした。

次の『遊び』は、もっと陰湿だった。

放課後、僕を男子トイレの個室に引きずり込むと、彼らは僕を床に這いつくばらせた。雄二は僕の顔を便器の縁に押し当て、洗浄ブラシの汚水で僕のシャツを洗うように命じた。

「お前の服、汚いからさ。綺麗にしてやるよ」

えりかが僕の背中にヒールを突き立てる。鋭い痛みが脊髄を駆け上がる。屈辱で視界が歪む中、僕は自分の着ているシャツで、他人の排泄物がこびりついた床を拭き上げさせられた。彼らはそれを爆笑しながら眺め、時には僕の頭に水をかけ、床の汚物と共に僕を蹂躙した。

最後の一撃は、僕が唯一守り抜こうとしていた、亡き母の形見のペンダントを壊したことだった。

えりかがそれをもぎ取り、雄二が無造作に踏み砕いた。金属が悲鳴を上げ、僕の大切な記憶がコンクリートの床に散らばる。

「……あ」

僕の声は枯れ果てていた。

雄二は砕け散った破片を指で弄び、「これ、お前の人生とおんなじで脆いな」と笑った。

彼らにとって、僕の人生も、母との思い出も、全ては踏み潰して笑うための「玩具」に過ぎないのだ。

僕の心の中で、何かが完全に凍りついた。

悲しみも、怒りも、恐怖さえも、その瞬間すべてが消え失せ、底知れぬ静寂だけが残った。

放課後。屋上の扉を開ける。

夕日は血のように赤く、校舎を不気味な影で塗りつぶしていた。

フェンスの向こう側。そこにあるのは、永遠の無だ。

僕は冷たい鉄柵に手をかけ、足をかけた。ふわりと体が浮く感覚。このまま重力に身を任せれば、全てが楽になる。母の元へ行ける。あの二人と関わる必要もなくなる。

……しかし。

眼下に見える街並みが、ふと歪んで見えた。

彼らが明日も笑い、美味しい食事をし、愛を語り、青春という甘美な言葉を享受する姿が、脳裏に焼き付いて離れない。

(……僕だけが、ここで死ぬのか?)

(僕だけが、何も成し遂げず、ゴミとして処理されるのか?)

違う。

それは、死ぬことよりも何倍も恐ろしい「敗北」だ。

僕が死んだところで、雄二は「あいつ、弱かったな」と笑い、えりかは「迷惑な死に方だね」とSNSに書き込むだろう。彼らの日常は一ミリも揺るがない。その事実に、僕の全身の血液が逆流するほど沸騰した。

僕はフェンスから足を下ろした。

靴の裏についた砂が、コンクリートと擦れる乾いた音がした。

「殺す」

それは、ただの復讐ではない。僕を『人間』の枠組みから引き摺り下ろした彼らに、同じ景色を見せるための、僕という男の最後の聖戦だ。

この屋上から飛び降りるのは、僕ではない。

彼らの日常だ。

僕は、壊れたペンダントの破片をポケットにしまい込み、静かに屋上を後にした。

もう、いじめられっ子の僕はいない。ここから始まるのは、ただの捕食者による、緩やかな解体の物語だ。

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