F・Awake
夜の23時。ビルの屋上。
昔はこのあたりも、もう少し明るかったらしい。
国家公務員の仕事は、だいたいこの時間から始まる。
タバコをくゆらせながら物思いにふけっていると、イヤーピースから短い電子音が鳴った。
『こちらVIGIL。アウロ、応答できますか?』
聞き慣れた、抑揚のない声。
「休みで黄昏中のアウロです。どうぞ」
『仕事です、アウロ』
「あれ、聞いてなかった? 今日休みなんだけど。……まさか俺に会いたくてたまらない感じ? リンちゃん?」
『東国第五区でフォレスト感染が確認されました』
「話し続けないでよ。俺、休みなんだって」
『レヴァンからの命令です』
「おっさんからか……。それで、階層は?」
『第一階層です』
「おいおい、若い女の子じゃねえならパスだよ」
『法案三十五条に抵触する発言です。懲戒免職になりますよ』
「つれないねぇ、リンちゃんは」
『グローブを着用し、速やかにスリープしてください』
「いやだね」
わずかな沈黙。
『では一つだけ、良い情報を』
「え、なになに? 帰ったらいいことしてくれるとか?」
『手当込みで上乗せとのことです』
アウロはタバコを踏み消した。
「それを先に言おうよ。国家予算、愛してる」
『最低です』
「清く正しい公務員だろ?」
軽口を叩きながら、胸ポケットからグローブを取り出す。
黒い革。左右一対。
コインをはめ込む。
――ジョブ:拳闘士
――ロール:カウンター
――スペシャル:今回は温存
「いってくるよ、りーんちゃん」
『支援します』
次の瞬間、世界が歪んだ。
廊下が伸び、天井が曲がる。
着地。コンクリートの匂い。
そこは古い町並みだった。
昭和の看板。錆びたシャッター。夕焼けが、やけに赤い。
「やっぱ浅いな」
遠くで誰かが座り込んでいる。
小さな背中。白髪の老人。
「……まだ、終わってない」
その前に立つ影。若い兵士。
軍帽を深くかぶり、顔は黒く塗り潰されている。
「過去の亡霊ってやつか」
アウロは老人の元へ駆け寄る。
「おい、爺さん。立てるか」
「……貴様は誰じゃ」
「貴様はやめろって。俺はアウロ。ただのアウロだ」
「アウロ……?」
「今あんたはフォレストの中にいる。ここから出たきゃ俺の言うこと聞け」
「随分な物言いじゃな」
「対フォレスト特殊部隊、VIGIL。国家公務員だ」
「ヴィジル?」
「ああ、言いづらいよな。要はあんたを起こす連中だ」
老人を物陰に座らせる。
兵士がゆっくり近づいてくる。
「どうすればいいんじゃ」
「簡単だ。あいつを俺が倒す。あんたは動くな」
兵士が拳銃を抜く。
「やる気だな。せっかちな青二才だ」
『アウロ、人間型フォレストです』
「これなら五分もあれば十分だ。勝利の女神もついてるしな」
拳を握る。
「戦うとするか」
銃口がこちらを向く。
乾いた銃声。
弾丸が一直線に飛ぶ。
アウロは避けない。
拳で弾を弾く。
衝撃が骨を震わせる。
「いてぇな」
『被弾率上昇』
「当たってねぇ」
次々に放たれる銃弾。
弾き、受け、逸らす。
完全には避けない。
後ろで老人が息を呑む。
兵士が銃を持ち替える。
長い銃身。
「あれは危険じゃ……奴は狙撃兵じゃ」
「大丈夫だ。あんたは起こしてやる」
発砲。
骨の奥まで響く衝撃。
「……十分か」
口の端から血を拭う。
「カウンターの嫌なとこはこれだよな」
兵士が最後の一発を撃つ。
「二十九発」
銃声が止む。
「もういい」
拳を構える。
「武器なんて使ってる時点で、俺には勝てねえ」
兵士が引き金を引く。
弾は出ない。装填切れ。
「ロールスキル――リリース、一割」
空気が震える。
溜め込んだ衝撃が解放される。
地面を蹴る。
「一発目」
腹へ拳。
「二発目」
至近距離のボディ。
「遠くで撃つな」
右拳を振り上げる。
「近くで殴れ」
アッパー。
軍帽が宙を舞う。
黒塗りが剥がれ、若い顔が一瞬だけ見える。
崩壊。
「よし、終わりだ。帰るぞ、爺さん」
「彼は……どうなった」
「知るかよ。でもまあ、もうあんたの前には出てこねえ」
老人の顔が少し歪む。
「……大事なやつだったのか?」
老人は口を閉じる。
アウロは視線を逸らす。
「いい。言わなくていい。知られたくないもんの一つや二つ、誰にでもある」
手を差し出す。
老人が握り返す。
「リンちゃん、頼む」
『階層崩壊を確認。帰還プロセス開始』
世界が白く崩れ始める。
「ありがとうな、ヴィジル……のアウロだったか」
「気にすんな。仕事だ」
白に包まれながら、アウロは小さく笑う。
「俺らはこうも呼ばれてる」
「なんじゃ?」
「F・Awake」




