88 番外編42 やっぱり報連相が一番大事
とうとうこの日が訪れた。
アナ四歳の誕生日である。
長いようであっという間の一年だった。なんとも感慨深いものだ。
サフィニアの体調も戻ったものの、万一のことを考え、今年は家族で祝おうと決めてアナ本人にも納得してもらっている。
別日にアナの友人たちを招いてお茶会をすることを約束させられたが、そのあたりは執事長に任せておけばいい。どうせシリウスは事後承諾の扱いだ。
家族水入らずで過ごしてくださいと気を遣ってくれたユーリとは、午後から誕生日デートの予定となっている。庭でピクニックするだけであるのだが、シリウスとしては複雑な心境でもあった。
事前に周囲には通達してあったためか、アナ宛のプレゼントはエスターをはじめ、朝から順次届きはじめている。
シリウスの知らない名前からのプレゼントもいくつか届いているが、幼いとはいえアナにも交友関係があり、そのあたりはまだ想定の範囲内だった。アナがあちこちで作ってくる友人たちの名前すべてを、シリウスは把握しきれていないのでそこは仕方がない。その分、サフィニアが把握できているので、アナの交友関係はすべて任せきりである。
だが、サフィニアが知らず、シリウスがよく知る人物からプレゼントが届くのは、一体なぜなのか。
百歩譲って、国王陛下からはまだわかる。まぶであるジョシュア王子の祖父であり、孫と仲良くしてくれてありがとうという意味合いや、以前なくした指輪を見つけて感謝されていたりするため、その礼も兼ねているのだろう。
しかしだ。なぜ大臣からもプレゼントが届くのか。
しかもひとりではない。複数人だ。
残念ながら誰からの説明もないので、アナと大臣たちとの関係は謎のまま終わっている。
城で自由にさせ過ぎたせいだろうか。子供の好きそうなおもちゃや絵本やお菓子ばかりなので、悪意はないのだろうが、戸惑いを隠しきれずにいる。
言いたいことは多々あるが、いかに多種多様なプレゼントが届こうと、シリウスの用意したプレゼントほどアナを喜ばせるものはないだろう。
あれほど切望していた妹をプレゼントしてあげることはできなかったが、そこは父親として、プレゼント選びに一切抜かりはなく、サフィニアや執事長はもちろんのこと、使用人たちにも手伝ってもらい、事前の準備から今まで万全の体勢で臨んでいる。
早朝から、アナに気取られないようひそかに屋敷を抜け出して街へと出かけ、誰よりも早く入手したのは『ララとブラウニーシリーズ』の最新刊である、『ララとブラウニーの奇跡』だ。
開店前の書店の一番前に陣取り、後ろにぞくぞくと並びはじめる子供たちに気後れすることなく、手にした瞬間に物語の続きを知りたいと湧き上がった衝動をぐっと堪えて、プレゼント用に包装してもらった絵本。
プレゼントなのだから、最初に読むのはアナでなければならないのだが、あらすじを読んでどのような内容であるか、ある程度の概要は掴めている。
そしてそれを語るには今一度、『ララとブラウニーの冒険』を振り返らなくてはならない。
特効薬を探すために冒険の旅に出ていたときのことだ。ララたちは泥だらけで野垂れ死にかけていた少年に水を与えて助けたことがあった。
ララたちはどんな状況下にあっても、困っている人に手を差し伸ばす。冒険のときも、探検のときもそうだ。逃亡中ですら、息をするように人助をしていた心優しいお姫様とその相棒のポニー。
少年を助けたのも、数ある人助けのうちのひとつだと、シリウスはそう思っていた。
なにせ見開き二ページで五人は助けていたのだ。さらっと流し見てもおかしくはないだろう。
しかし伏線とは、回収されてはじめてそれが伏線であったと気づくものなのかもしれない。
現在逃亡中のララとブラウニーは、再びその少年と出会うことになる。以前とは逆で、国を追われたままのララたちを匿ってくれたその少年は、なんと、王位継承争いで兄王子たちから命を狙われていた他国の王子様だった! という展開からはじまるのだ。
善行を心がけていれば自分が困っているときに思わぬところから救いの手が差し伸べられ、逆に悪行ばかりを繰り返していれば誰も助けてはくれないという教訓めいた話なのか、それとも、単純にララにロマンスの予感なのか、そのあたりは読んでみないことにはわからない。
しかしララに恋愛はまだ早いのではないだろうか。そう思うのは、シリウスが娘を持つ父親だからかもしれない。もっと幼いアナにはユーリという婚約者がいるが、それはそれだ。
すでに数日前から新刊が出ることは告知されていたのだが、その発売日がアナの誕生日当日ということもあり、これを誕生日プレゼントにしようと思い立ったシリウスはとにかく目のつく範囲の人たちに箝口令を敷いた。
間違っても新刊発売がアナの耳に入らないよう、この数日は娘が屋敷から出ないよう予定を組み、今この瞬間まで、その情報統制は完璧に行われている。
このまま誰も口を滑らすことのないよう、シリウスも目を光らせているが、本当の意味で目が光るジェノベーゼの助力も欠かせない。
そのジェノベーゼはというと、カプレーゼと一緒にアナのために庭で摘んだ花を、いの一番にプレゼントしていた。
おめかしするジェノベーゼの首には去年ユーリから贈られたアナとお揃いのブレスレットがかけてあり、カプレーゼの首にも、色違いの赤いブレスレットがかけてある。昨日のうちにユーリが送ってきてくれたのだ。本当によくできた子である。
朝起きて最初にプレゼントを渡す権利はジェノベーゼたちに譲ったが、やはり一番喜ぶプレゼントは間違いなくシリウスのプレゼントだろう。それだけは揺るぎない事実だ。
新しいふりふりの衣装を身につけたアナは、起きたときからずっとご機嫌で、
「はっしゅ。まっしゅ。びっしゅ」
食卓に並ぶハッシュドポテトとマッシュポテトとビシソワーズを、にこにこしながら順に指を差していく。
「てんごく」
アナの天国はどうやら土の中にあるらしい。
じゃがいも料理だけでなく、目の前にところ狭しと並ぶのはアナの好物ばかり。
もちろん本日の主役、苺のケーキも、圧倒的存在感を放っている。
四歳だからと四段重ねとなった巨大ケーキにはところ狭しとアナ大好物の苺が載り、アイシングが施された花形のクッキーなども散らされて華やかだ。中央にはマジパンで作ったジェノベーゼとカプレーゼが置かれている。
見た目こそジェノベーゼとカプレーゼのウェディングケーキのようになってはいるが、そんなことよりも、屋敷の使用人たちを総動員しても食べ切れるのかというこの大きさだ。
料理長を筆頭に、みな張り切ったのだろう。食べきれなかった分は責任を持ってそれぞれ家へと持って帰ってもらうとして。
炎の灯る四本の蝋燭を前にしたアナは、どこか誇らしげな顔をして胸を張っている。三歳ではうまく消せなかった蝋燭の炎も、今回は自分の力で吹き消せるようになっており、それだけで成長を実感して胸が熱くなった。
こうして病気をすることもなく、健やかに育ってくれた。次の一年もそうであってほしい。
「誕生日おめでとう」
「誕生日おめでとう、アナ」
「ありがとうーー!」
元気な娘はケーキにスプーンを突っ込んで頬張る。今日ばかりは細かいことは口にせず、喉の奥へと押し込んだ。せっかくの誕生日にうるさいことを言って雰囲気を壊したくはない。
「なにか抱負などはあるか?」
シリウスの問いかけに、口周りと鼻の頭にクリームをつけたアナが小首を傾げる。
「ほーぷ?」
「大きくは外れていないが、ホープではなく、抱負。四歳はどんな一年にしたいのか、ということだ」
サフィニアに綺麗に顔を拭いてもらったアナは、ぱっと手のひらを掲げた。
「あな、よっつ!」
「そうだ。よっつだ」
指もきちんと四本立っている。少しずつ成長しているが、質問の答えは返ってこない。これはシリウスの言い方が悪かったようで、サフィニアがわかりやすいようにアナへと要約してくれた。
「四歳になったアナは、なにをしたい? 四歳は、なにができるようになるかな?」
「よんしゃいはね、じぇのべーぜと、おそらとべる」
ジェノベーゼと走ると言っていた三歳のときよりも望みもグレードアップしてはいるが、難しいことに変わりはない。
ジェノベーゼ単体では飛べるのだが、アナを乗せてとなると、まだまだ成長が必要だ。
もちろんアナのではなく、ジェノベーゼの成長が、だが。
「四歳のアナは、なにをがんばりたい?」
さらにサフィニアが訊くと、アナはちょっと考えてから思いつくものがあったのか、笑顔を見せてはっきりと言った。
「ごいりょく、ふやす」
なぜ語彙力などという言葉を知っているのだろうか。語彙力を知っている時点で、もう十分だ。
「……語彙力はそこそこあるから、計算とかにしておきなさい」
これ以上よくわからない言葉は覚えなくてもいいというスタンスのシリウスに、アナは頰を膨らませる。
「パパといっぱい、おしゃべりするのー」
そういうことなら話は変わってくる。
シリウスは意見を見事に百八十度ひっくり返した。
娘が話し相手に指名してくれたのだ。いくらでも話し相手になるのが父親というものだろう。
計算など得意な人間に任せておけばいい。互いを尊重し理解し合うのに必要なのは、やはり数字ではなく言語能力。つまり語彙力だ。
思春期には男親を毛嫌いして挨拶ひとつ交わしてくれなくなると、周りから散々聞かされている。幼いうちにたくさん話しておかなければ、成長などあっという間だ。実際、三歳のアナとはもう話せなくなってしまった。四歳のアナとだって、五歳になったら話せなくなってしまう。時間とは有限なのだ。
「できる限り、たくさん話そう」
アナはぱっと顔を輝かせてうなずくと、嬉しそうにサフィニアを見た。
「ママともねー、いーっぱい、おしゃべりするー」
「いっぱいおしゃべりしようね」
サフィニアも目元を潤ませるほど感激している。
「じぇのべーせとも、おしゃべりするー」
ジェノベーゼとの意思疎通に言葉は不要だが、アナが話しかけるとジェノベーゼも嬉しそうなので、ぬいぐるみに話しかけることは必要なことなのかもしれない。植物に話しかける人もいるのだから、ぬいぐるみに話しかけても問題はないだろう。
間延びした話し方は残っているが、発音自体はしっかりとしてきた。“さ”が“しゃ”になってしまうのも、そろそろ聞き納めかもしれない。
(……それはそれで寂しいな)
しんみりした気持ちを払い、そのときはアナの成長を素直に喜ぼうと決めて問いかける。
「ほかにはなにかないか? なにか挑戦してみたいことなどはないか?」
うーん、と悩むアナは、眼前に並ぶ料理へと目を落とし、なにか思いついたらしい。大きな声で挑戦してみたいことを口にした。
「ぴりから!」
「ピリ辛……? 辛いものに挑戦したい、ということか?」
アナの食事からは刺激物は排除されているが、辛味はまだ早いのではないだろうか。あれはつまるところ、刺激による痛みなのだ。娘には少しも痛い思いなどさせたくはないというのが親心ではあるが、辛いからこそおいしい料理があるというのも事実である。
「まずはマッシュポテトに少し胡椒を振るところからはじめなさい」
サフィニアに確認を取ると、ほんの少しなら、と了承をもらったので、試しにアナのマッシュポテトに、ごくわずかだけ胡椒を振ってやると、瞳を煌めかせてひと口食べた。
シリウスはサフィニアと不安な面持ちでその様子をじっと見つめていたが、アナはなぜか噛まずに飲んだ。
噛まなかったせいで胡椒を感じられずに首を捻っている。
「少量とはいえ、噛まないとだめだろう」
「まっしゅ、のみものなの……」
マッシュポテトは飲み物だったらしい。そんな言い分、はじめて聞いた。マッシュポテトが飲み物なら、その横にあるビシソワーズはどうなるのか。
「アナ、噛まないとだめよ」
サフィニアから教育的指導が入り、今度はちょっと噛んで食べていたが、胡椒は口の中で行方不明になったのか不思議そうな顔をしている。
「これ、ぴりから、ちがったかも……」
胡椒はアナが求めるピリ辛ではなかったようだ。
ピリ辛は追々ということで、ただのマッシュポテトで我慢してもらうことにして。
抱負らしい抱負は出てこなかったが、今すぐには思い浮かばないかもしれない。四歳の間にゆっくりと考えていけばいいということで、気を取り直し、シリウスは背もたれの隙間に隠していたプレゼントを取り出した。
「アナ。これは私からの誕生日プレゼントだ」
すっと包みを差し出すと、受け取ったアナはその大きさや触り心地ですぐに絵本だとピンと来たらしく、にこにこしながらシリウスを見上げて訊いた。
「おひめしゃまのえほん?」
「お姫様の絵本だ」
お姫様が主役の絵本と知るとより一層笑みが増して、包装を破く勢いも増す。
包装を破く癖は一年では直らなかったが、自然とできるようになるまで何年でも待とう。
ビリビリとなった包装紙をさっと回収してくれる執事長に、目で感謝を伝えておいた。
「おひめしゃま、だあれー? だあれかなー?」
「誰かな? アナの知っているお姫様だといいね」
中身がなにか知っているサフィニアも、アナの喜ぶ顔を想像して頰を緩めている。
そうして現れた絵本の表紙を目にしたアナは、じっくり五秒ほど動きを止めて、苦難に立ち向かうように天から降り注ぐ光へと向かって駆けるララとブラウニーを凝視したまま、両手をぺちりと頰に当てると、大絶叫した。
「ららーーーーっ!?」
叫ぶ癖も直らなかったなと、遠い目をするシリウスは、アナが声を発している間、手のひらで耳を塞いでやり過ごした。もうアナの甲高い声の対応にも慣れたものだ。
「あな、しらないの。なんでなの?」
大歓喜のアナの疑問にサフィニアが優しく答える。
「アナをびっくりさせようと思って、パパが朝から走って買いに行ってくれたのよ」
正確に言うのなら走ったのは馬車の馬たちだが、開店まで待って入手してきたのは確かにシリウスだ。
「パパ、うらとりひき、した……?」
どこの誰と裏取引したのか。『ララとブラウニー』の絵本に違法性はない。五歳の子供とポニーに過酷な運命を背負わせていることに関しては違法スレスレな気もするが、内容がどうあれ裏取引はしていない。強いて挙げるのなら、アナに情報を伏せたことくらいだ。
今日発売の正規品であることを伝えれば、アナは驚きのまま絵本を抱きしめた。
「ましゃかなの」
「嬉しいか?」
「うんー! らら、よむの!」
アナは誕生日パーティーそっちのけで、早速表紙を開きはじめた。
「おひめしゃまはねー、だれでも、なれるの」
「……そうか」
アナがなにか哲学的なことを言い出した。……いや、ララの台詞か。
「こころがねー、きれいだと、なれるの」
心の綺麗な子はみんなお姫様になれるらしい。
「大人は綺麗な心をなくしてしまうから無理だな」
「ちがうの。おとな、わすれただけなの」
大人は純粋な心を忘れているだけらしい。
「パパ、そしつあるの。だいじょーぶよ?」
これは喜ぶべきところなのだろうか。
「パパ、こころきれい」
心がないとまで言われる人間なのだが。
だがしかし、周りからの心象が最悪でも、娘からの心象がよければそれでいい。
シリウスはお姫様になる気もなければ、周りも納得しないだろうが、気にかけてくれたアナのためにもありがたく受け取っておくことにした。
ページをめくる度に一喜一憂するアナとともに、覗き込んでいるシリウスとサフィニアもそれぞれ驚いたり感動したりしながら読み進める。
ララとブラウニーは助けてくれた他国の王子様と一緒に調べていくうちに、とある伝承へとたどり着く。ララの祖国は古の時代、次代の王が真の王となるに相応しい人間であるかどうかを、神が試していたというのだ。
ララはブラウニーとともに、神によって思考を操られる国民たちの心を取り戻すために、試練を乗り越え奇跡を起こす――。
シリウスは物語を目で追いながら愕然としていた。
黒幕がまさかの神だったのだ。てっきり宰相あたりが王位簒奪を狙っているのだと思っていたのだが、その次元ではなかった。
ララを逃した牢番のように、ララの純粋な心に触れた者たちから順に正気を取り戻していく。
巻末の次回予告、『そして少女は伝説に――』の一文が気になり過ぎて、シリウスは早くも続きを求めてしまっているが、アナは読了後の充足感に満ちた余韻に浸っている。
「あなも、きせき、おこすの……!」
なにか突拍子もない、シリウスの手に負えないようなことをしでかしそうな気がしたので、素早くフォークでケーキを掬ってアナの口元へと持っていった。
「奇跡は今度にして、今はケーキを食べたらどうだ?」
単純なアナはにこにこしながら口を開き、ケーキを頬張る。
「奇跡よりもケーキの方がいいだろう?」
「うんー。けーき、おいしー」
「苺も食べなさい」
だめ押しで苺を食べさせて、アナの思考を食欲へと引き寄せることに成功した。
「あなもねー、パパにぷれぜんと、あるの」
「プレゼント?」
「プレゼントをくれた人にお礼の品を用意して、お礼状も書いたのよね?」
「そうなのー」
差し出されたのは見覚えのあるカプレーゼプレミアム。にんじんのチャームは水色だ。目印のためのチャームなので、現実にない色でもそこは構わないらしい。
しかしだ。もしアナが誕生日プレゼントのお礼の品として化粧水を用意していることがどこかから漏れていたのだとしたら、この化粧水ほしさに大臣たちがこぞってアナに誕生日プレゼントを送ってきたのではないかと疑ってしまう。
使う機会はなさそうだがありがとうと受け取り、今度はお礼状を開く。そこには『パパ、ぷれぜんと、ありがとうございます。あな・ばろう』の文字。四歳になったばかりの子が、まさかここまで用意しているとは思っていなかった。
「ありがとう。上手く書けているな」
ユーリと手紙のやり取りをしているので、それが文字の練習になっているのだろう。
「パパのおしごと、おてつだい、できる?」
その心遣いは嬉しいが、大人になったら嫌というほど仕事をすることになるのだ。アナは今は好きなことをして、毎日を楽しんでいてくれる方が嬉しい。それが父親としての本音だ。
王太子の補佐としての本音は、猫の手でもいいから人手がほしい。この際、ぬいぐるみの手でもいいところにまできている。
シリウスの本音はさて置き、アナのほしい答えは、きっとこれだろう。
「今度書類を作成するときは、アナにも手伝ってもらうか」
アナは満面の笑みを浮かべると、シリウスとサフィニアの手を握った。
「おたんじょーび、パパとママいっしょで、うれしー」
「ママも嬉しい。生まれてきてくれてありがとう、アナ」
サフィニアがアナを抱きしめると、くすぐったかったのか、きゃっきゃと笑う。
「ママも、ありがとうー」
産んだのは自分ではないが、それを言うことのできないサフィニアは複雑な表情をしている。だが娘の言葉にはまだ続きがあった。
「ママも、うまれてくれて、ありがとうー」
瞠目したサフィニアが、ぐっ、と眉間に力を入れて涙を堪えるのが見えた。
産んでくれてありがとう、ではなく、生まれてくれてありがとう。
アナはそう言われて嬉しかったから、同じ言葉で返しただけなのだろうが、それは彼女がなによりほしかった言葉ではないだろうか。
母娘の時間を邪魔することなく見守っていると、アナはにこにこしながらシリウスの手をきゅっと指で握る。
「パパとおたんじょーび、にかいめ」
嬉しそうにそう言ったアナの言葉にシリウスの胸は思いがけずに衝かれた。
確かにシリウスがアナを祝ったのは二度目だ。二歳のときは誕生日すら知らず、その前はアナの父親ですらなかった。
しかしアナはそれを知らない。
「パパ、あなのおたんじょーび、おしごとだった?」
仕事が忙しくて誕生日を祝えなかっただけで、父親でなかった時期があったなど、知らなくていい。……今は、まだ。
「……そうだ。すまない」
過去のことは今さらどうにもできないが、申し訳なさから謝るとアナは笑顔のまま首を振った。
「パパのおしごと、だいじなの。あな、しってるの」
シリウスがどんな仕事をしているか正確に理解しているわけではないのだろう。それでもシリウスが大事な仕事をしているのだと信じてくれている。
「……これからは毎年きちんと祝うと約束する。仕事で忙しいときもあると思うが、どれだけ遅くなっても、必ず当日に、誕生日おめでとうと言いに来る」
「ぷれぜんとは?」
やはり子供にとってはプレゼントの有無が最重要らしいと、シリウスは苦笑した。
「もちろん、プレゼントを持ってだ」
誕生日なのに、プレゼントなしでははじまらない。
何歳になってもプレゼントを持って祝いに行くと約束する。
破ったらお馬さんごっこ千回だ。たとえ仕事が入ったのだとしても、死ぬ気で誕生日に間に合うよう帰って来ると心に誓った。
そんなシリウスとアナの様子を優しい瞳で静観していたサフィニアが、そっと切り出した。
「実はママからも、アナにプレゼントがあるの」
サフィニアのプレゼントの中身を知る者としては、プレゼントを渡す順番を間違った気がしてならない。
つい後先考えずに先に渡してしまったが、サフィニアのプレゼントを待ってからの方がよかっただろうか。そう思ったところでもう遅くはあるのだが。
アナはにこにこしながら、プレゼントのリボンを引っ張る。毛糸の靴下というところまでは知ってはいるが、そのデザインだけが気がかりだ。
アナの美的センスのお眼鏡に叶わなくとも、絵本ですっかりと大満足となっているため、多少変なデザインでもうやむやにしてくれることだろう。ララは偉大だ。
「これ、なあにー?」
「開けてのお楽しみよ」
アナは例のごとく包装を豪快に破り捨てて箱を開ける。中に入っていたのはやはり毛糸の靴下だったが、めずらしく余計なデザイン性を見せることなく、シンプルに純白だ。
しかしデザイン性に問題はないのだが、そのサイズには疑問がある。アナが履くには小さ過ぎるのだ。
アナはことりと首を傾げ、自分の手にはめてみる。しかしそれは手袋ではなく靴下のため、しっくりとこなかったのかすぐに外すと、ジェノベーゼと目が合い、ぱっと顔を輝かせた。
「じぇのべーぜのだったー」
なるほどジェノベーゼの靴下だったのかと思ったシリウスだが、ジェノベーゼに履かせるにはやや大きい気もする。
それにジェノベーゼの分を用意するのなら、カプレーゼにも一緒に靴下を用意しそうなものだが。
戸惑うジェノベーゼに靴下を履かせてみたアナだが、やはりびたりとはまらない。アナはジェノベーゼと顔を見合わせ、小首を傾げ合っている。
「ママ、ひんとー」
「ヒントね。これはジェノベーゼの靴下でも、カプレーゼの靴下でもありません」
次はカプレーゼに履かせてみようとしていたアナは、うーん? と悩みはじめ、サフィニアがもうひとつヒントを出した。
「この靴下は、アナが赤ちゃんのときに履いていたものと、同じ大きさです」
実は裏に赤ちゃん人形でも準備してあるのだろうかと思っていると、アナが両手をぺちりと頰に当てて、歓喜の大絶叫を放った。
「いもうとなのーーっ!?」
アナがぬか喜びする前に早くなんの靴下であるのかの答えを出してほしいのだが、サフィニアはにこにこしているだけだ。シリウスが目で訴えるが、伝わらない。なぜだ。
「あわわなのー! あな、おねぇしゃん? おねぇしゃんなの?」
「そうよ。アナはお姉さんになるの」
(……うん?)
「きゃーー!」
アナがジェノベーゼとカプレーゼと抱き合って大喜びする。
ひとり状況についていけないシリウスをよそに、執事長をはじめとする使用人たちが盛大な拍手でアナの気持ちを盛り上げた。
「……」
一旦状況を整理させてほしい。
アナがお姉さんになる。
お姉さんになるということは、妹ができたということで。
アナの妹ということは、それはシリウスとサフィニアの子供ということにほかならず――。
「……!?」
それは、つまり……そういうことなのだろうか。
サフィニアが妊娠した、ということなのか。
「!?!?」
声も出ないほど驚いているのはシリウスだけで……いや、歓喜真っ只中のアナと、目をまん丸にしているジェノベーゼも知らなかったとは思うが……それ以外。
今一度周囲の顔を見渡す。そこに驚きはひとつもない。それはまるで、王太子妃の懐妊を知らされた王太子の横で驚きもなく聞いていたシリウスのようで……。
おそらく、全員が知っていた。
そうでなければ、アナのように大騒ぎするか、ジェノベーゼのようにびっくり顔になるか、シリウスのように固まっているはずなのだ。
アナに伏せていた理由はわかる。誕生日のプレゼントとして情報解禁したかったのだろう。
だが、なぜシリウスまで知らされていないのか。
そこは教えてくれていてもいいのではないか。
王太子妃が王太子に懐妊報告をしたとき、側から見ていたシリウスは、報連相は大事だがその伝え方はもっと大事だと確かに思った。
だがやはり、大前提として、報連相がなにより一番大事なのではないだろうか。
「いもうとなのーーっ!」
言いたいことはたくさんある。
しかし大騒ぎするアナの笑顔に水を差すことはできず。
じわじわと喜びが満ちてくるまでの短くない時間、シリウスは微動だにせず、喜びの舞いを踊るアナを見ながら放心し続けたのだった。
人が喜ぶことは知っていても言わない意地悪なグスタフ
真っ先に気づいてサフィニアのお腹のそばにいたカプレーゼ
まったく気づかなかったジェノベーゼ




