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80 番外編34 報連相は大事、その伝え方はもっと大事かもしれない



 王太子の執務室へと出勤するために城内を歩いていたシリウスは、やたらと周囲から視線を浴びていることに気づき、眉根を寄せた。


 普段から多種多様な煩わしい視線を向けられがちなシリウスだが、今日はいつにも増して不躾な視線が多く感じられる。


 怯えた目を向けられるのはまだ許容範囲内であり、それで傷つくのはシリウスの心だけで、身体的ダメージはほぼないが、欲に塗れた熱視線はだめだ。精神的だけでなく、後々肉体的にも被害が及ぶ危険性がある。


 そういうわけで可能ならば気配を消して歩きたいところなのだが、残念ながらそのような技術を習得できるはずもなく、あらゆる人の目に晒されているわけだが、慣れたシリウスでも今日の視線はどうにも居心地が悪いものだった。


 もしやアナがいたずらでなにかしたのではと疑い、髪に触れたり、服装を改めて見直したりするが、おかしなところは特に見当たらない。


 普段となにひとつ変わらないが、強いて挙げるのならば、若干だけ髪を切った。しかしそれも毛先を揃えただけのことであり、シリウス自身もその変化に気づかないようなミリ単位の誤差を周りが気づくとも思えない。内心首を捻り続けながら執務室へ一番乗りで入室し、仕事の準備をはじめていると、側近たちも続々と出勤してきた。


 側近たちはいつも通りシリウスに朝の挨拶をし、シリウスも普段通りに挨拶を返した直後、なせかことごとく二度見されたが、側近たちがシリウスを二度見することはわりとよくある反応なので気にせずにいると、王太子があくび混じりにやって来た。


「おはようございます、殿下」


「ああ、シリウス。おはよ――」


 自分の椅子にかけた王太子がシリウスへと何気なく目をやってから、やたらと大業な仕草で二度見し、だめ押しの三度見をかましてから仰天した。


「ど、どうしたシリウス!?」


「どうした、とは?」


 反対に問いかけると、王太子は腕組みをしながらシリウスの顔をまじまじと観察し、悩んだ後に、キリッとした顔つきで指摘した。


「さては、化粧水を変えたな?」


「使っていませんが?」


 なぜ化粧水を使っている前提なのか。


「いやいや! そんなわけないだろう!? なんだその艶々の美肌は! 化粧水だけでなく保湿クリームとかも塗りたくっているだろう!」


 あまりにも乾燥が酷ければジェノベーゼ・オリジナルを使用することもあるが、それ以外は特に使ったことはない。


 シリウスは不思議に思いながら自分の頰に触れるが、普段と特に変わない質感だ。


 側近たちも王太子に同意してこくこくうなずいてはいるが、残念ながら彼らの疑問への回答を待ち合わせてはいなかった。


「一度鏡を見ろ!」


「見た上で言わせてもらいますが、いつもと変わりありません」


 朝、鏡は見てきているのだ。その時点では特におかしな点はなかった。城についてからも、あまりに注目されるので鏡や窓ガラスに映る自分の姿を確認したりもしていたが、やはりこれといって思い当たる箇所は見つからない。


「そんなはずないだろう? どういうことなんだ?」


「こちらが聞きたいです」


 どうもこうも王太子の言っている意味が本当にわからないのだ。


 妙な沈黙に包まれたところに、王太子妃からメッセージカードが届いたことで空気が変わった。


 恋文か! と浮き足だってカードを開いた王太子だったが、そこには王妃と王太子妃の連名で、『シリウス・バロウが使っているのはどこの化粧水かを聞いておくように』とだけ記されていたことで再び執務室は沈黙に包まれた。


 恋文どころか、愛情のかけらもない、ただの指令文である。


 シリウスは改めて、先ほど王太子へと返した言葉をもう一度繰り返した。


「使っていませんが?」


 仮に使っていたのだとしてもだ、サフィニア経由で王太子妃に献上されているはずである。


「化粧水ではないですが、単純に休み明けだからではないでしょうか?」


 栄養のある食事をし、十分な睡眠を取ったことにより健康状態がよくなったというのなら、肌艶がよくなったのもうなずける話だ。


「いや、これまでの休み明けのシリウスとは明らかに違…………はっ! ま、まさか……!」


 ぱっとシリウスを見た王太子が、急ににやりとする。


「大臣たちをぎゃふんと言わせる決定的な弱みでも握ったか!?」


「残念ながら追い落とせるような弱みは握っておりませんし、ぎゃふん、などと言う人間を見たこともありません」


 とはいえそれが事実だとしたら、悩みの種が減る分、肌艶がよくなってもおかしくはないが。


 もしそれで肌艶がよくなっていたのだとしたら、王太子妃たちへの説明はどうしたのだろうか。大臣の弱みを握って脅してください、と正直に言うわけにもいかないだろう。


 期待した分がっかりしたのか、王太子は脱力しながら書類が山積みの執務机に頬杖をついた。


「だったらもう、とうとう嫁と同衾したとか、そういう類の下世話な話しか思いつかないが……清廉潔白な乙女のシリウスだしな……」


「……」


 王太子のつぶやきに心当たりがあり過ぎたシリウスは瞠目し、そして目を伏せると無言のまま口元に手を当てた。


 幸いにも動揺が顔に出るタイプではなかったため王太子は気づいていないが、もしかするとそれが答えなのかもしれない。


 最愛の妻ととうとう結ばれたのだから、心身ともに状態が向上していても不思議ではない。肌艶もよくなるわけである。


 アナがお泊まりから帰って来るとわかっていたので、父親と母親である自分たちの立ち位置へと自然と戻っていたが、あのままもう少し夫妻として朝のひとときを過ごしたかった。


 思えば目覚めて最初に目にした妻の寝顔。見慣れていたはずなのに、いつもよりも美しく輝いて見えた。


 シリウスにここまで変化が現れているのだ、もしかするとサフィニアも同じような状態になっている可能性も否めない。


 彼女が人の視線、とりわけ男の目に晒されるのかと思うと、途端に不安がもたげてくる。シリウスがいつも隣にいて牽制して回るわけにもいかないのだ。


 外を出歩くとしても執事長がそばにいるだろうし、アナと一緒ならばジェノベーゼとグスタフももれなくついてくる。カプレーゼもサフィニアに懐きはじめているので守りは万全ではあるが……。


 王太子が執務机に広げた王太子妃からの手紙を、こつこつと指で叩く音に我に返ったシリウスは、慌てて思考を切り替えた。


「とにかく、まずはシリウスの化粧水問題をどうにかしないとだな。本当になにか使っていないのか? 化粧水でなくとも、どこぞの霊峰から汲んできた天然水を使って顔を洗っているとか、なにかないのか?」


 さほど信心深くないとはいえ、霊峰の水を汲んで洗顔するほど畏れ知らずではない。


「使ってはいませんが、我が家のジェノベーゼ・オリジナルの新作がないかは訊いておきます」


 なにか新作があればそれを献上しておけばいいだろう。あの手のものの使用感は個人によって差が出るものだ。人の体質は千差万別なので効果が出ずとも咎められたりはしないだろう。


「頼んだ。ひとまず化粧水の代わりに、熱烈な恋文で返信しておこう」


 それは暖炉の火にくべられる未来しか見えないのだが。


 かわいそうなので言わないが、側近たちの目にも同じような切なさがにじんでいる。無駄になる紙とインクが憐れだ、と。


 ひとり気づいていない王太子が意気揚々とペンを手にしたとき、窓からなにかが飛び込んできた。


「なっ、刺客か!?」


 王太子が飛び上がり、即座に反応していた近衛たちが守りを固める中、かこんっ、と音を立てて窓から飛び込んで来たのは、普遍的な金属の缶。そして缶の底から伸びた白い糸。その先を目でたどったシリウスは、庭ではしゃぐ子供たちを見つけて色々と察した。


「子供たちの糸電話のようです」


「なんだ、驚かせるなよ……」


 執務室全体が弛緩する。


 シリウスは試しにぴんと糸を張るようにしてから缶を耳に当ててみると、糸を伝って缶の内側からアナの声が聞こえてきた。


『きこえたー?』


 シリウスが「聞こえた」と短く返事をすると、アナはきゃっきゃと喜び、缶をジョシュア王子に渡すのを見てシリウスも王太子へと手渡した。


『ちちうえー? きこえたー?』


「おっ、結構よく聞こえるな。ジョシュ、どうした?」


『ほうれんそうー』


「……ほうれん草?」


「報連相、ではないでしょうか?」


「ああ、報連相か」


 王太子は納得したよう缶の向こうのジョシュア王子へと機嫌よく問いかける。


「なにか報告でもあるのか?」


『ちちうえの、こわれちゃったー』


 そう言ったジョシュア王子が一旦アナに缶を渡してから、地面に置いていたなにかを両手で掴むと、よいしょと掲げて見せた。


 距離的にあまりよく見えないが、ウイスキー瓶のようなものだ。それ自体は特に破損しているようには見えず、もしそうだとしたら周りが触れることを止めただろうことを思えば、瓶にはなんら問題はない。


 一体なにを壊したのだろうと思うシリウスの横で、なにかに気づいたらしい王太子が顔面蒼白になったかと思うと、全身をガクガクと震わせはじめた。


「き、昨日徹夜して、ようやく完成したばかりの……ボトルシップが……」


(ボトルシップ……?)


 シリウスの視力では判別不可だが、ボトルシップということは、瓶の中に船の模型が入っているのだろう。それがなんらかの要因によって破損してしまったようだ。


 ショックを受けている王太子には悪いが、シリウスは今の発言、別の部分が気になった。


「趣味で徹夜する余裕がどこにあるのですか」


「俺の……死ぬ気で捻出した、二時間半ちょっとの結晶が……」


 無理して捻出した労力と費やした時間を嘆く王太子に、憐れみどころか白い目が集中する。


 五分、十分くらいの息抜きならいいが、二時間半は没頭し過ぎだ。あれを完成させるために、これまで一体どれだけの時間をかけたのか。瓶の中に船を作るその集中力を、仕事で発揮してほしかった。


 シリウスは王太子に呆れ果てながら、子供たちへと意識を移す。ジョシュア王子は叱られることを想定し、物理的距離を取って告白をした。あまりに賢い判断である。


 王太子は怒りが続かないタイプなので、ここで叱られておけば後で叱られることもないだろう。今この場で叱責を受けたところで、缶を耳から離してしまえば聞き流すことも可能だ。


 これが子供たちの発案ならば驚きではあるが、そばに執事長がいることを思えば、誰の入れ知恵であるかは明らかだった。


 王太子は缶へと喚いたり嘆いたり忙しいが、ジョシュア王子はどこ吹く風で、ボトルシップを地面へと置き、すでに終わったこととばかりの顔をしてアナとおしゃべりしながら笑っている。予想通り、缶から聞こえる王太子の声はすべて無視されている有様だ。


 普段から一喜一憂の激しい王太子のような感情的な大人にはならず、そのままなにごとにも動じない大人へと育ってほしい。


 そんなことを思いながら子供たちを見下ろしていると、サフィニアが王太子妃と連れ立ち歩いて来るのが見えた。


 王太子妃は糸電話を目にすると、ジョシュア王子へとなにをしているのかと尋ねはじめる。


 ボトルシップを指差し、執務室の窓を指差すジョシュア王子の仕草で、おそらく、ボトルシップを壊してしまったことを糸電話で王太子へと報告した、というような説明を受けたのだろう。王太子妃は窓辺で嘆く王太子をゴミでも見る目で一瞥すると、糸電話を借り受け口元に寄せた。


 すると泣き言を漏らしていた王太子が表情を一変させ、傾聴姿勢を取った。切り替えが早い。


『瓶と中身の分別、お願いね』


 王太子妃の中ではもうすでに、ボトルシップはゴミ行きが決定されているらしい。


「化粧水は……」


『その件は、もういいの』


 役立たずとばかりに、すっぱりと切り捨てた王太子妃は、ちらっとサフィニアへと目をやってから、王太子のそばに控えていたシリウスの姿を目に留めるとまなじりを吊り上げた。すでにサフィニアから化粧水を使っていない旨を訊いていたのかもしれない。なぜ化粧水を使っていないだけでこれほどにらまれないといけないのだろう。理不尽過ぎる。


『それと、言うのを忘れていたけれど、妊娠しました』


「……」


『生まれるまで寝室に入って来ないでね。あなたの存在が、一番胎教に悪いから』


 王太子だけでなく、そばにいたシリウスにも少し聞こえてしまった。すでに知っていた情報のため驚きはないが、なにも知らなかった王太子は脳内処理が追いつかずに固まってしまっている。


 これ以上王太子の情緒を不安定にさせられると困る。今日は仕事がひとつも進んでいないのだ。


 これ便利ね、とつぶやきながらジョシュア王子に缶を返すと、一方的に伝えることだけ伝えた王太子妃はさっさと行ってしまった。


 言葉の意味が脳に届くのにたっぷり一分かけた王太子が、缶を投げ出すと、窓の外へと身を乗り出しながら王太子妃の背中へと叫んだ。


「どんな妊娠報告なんだ!? もっと普通の伝え方があるだろうーー!!」


 ちょうどそこに糸電話があったから、という軽い気持ちであったことは間違いない。


 王太子に極力近寄りたくないが、そろそろ教えないとと思っていた王太子妃にとって、物理的距離を保って会話できる糸電話はこれ以上ない最善の伝え方だったのだろう。そっくりな母子である。


 もしこれが自分だったら……と想像した側近たちは身震いしていた。


 シリウスとて、妻と手を取り合える距離でその喜びを分かち合いたいものだ。


(……)


 だめだ。想像したら少しだけ頰が熱を持った。


 また肌艶がどうこう言われそうなので、さりげなく書類で隠す。


 糸に繋がれた金属の缶を経由して知らされた慶事に王太子はまだ納得がいっていないのか、ボトルシップが壊れたこと以上に喚き散らしており、缶からは子供たちのきゃっきゃとした笑い声が響いている。


「まずは素直に喜んだらいかがですか?」


「喜んではいる! が、しかし!」


 半眼となった王太子がくるりとシリウスを向いた。


「ときにシリウス」


「はい」


「なぜひとりだけ驚きもなく、澄まし顔でいる?」


 シリウスはゆっくりと側近たちを見渡した。誰も彼も驚きの表情を浮かべている。初耳という演技をし忘れたことに気づいたが、まだ弁解の余地はある。


「驚きが表情に出ないだけです。驚いています」


「本当か……?」


「ジョシュア王子に妹ができること、お喜び申し上げます」


「待て。なぜ性別を知っている?」


 アナが妹妹言うのでいつの間にか妹だと思い込んでしまっていたが、冷静に考えて現段階では医師とて性別の予測などつかないだろう。それが可能なのは、それこそ神くらいなものではないだろうか。


 シリウスが妹だと思っていた理由。元はと言えばアレである。


「グスタフがそう言っていたらしいので」


「本当に何者なんだ、グスタフ! 神なのか!?」


 神ではないが近しいものではある。グスタフを星の子だと断定できれば、の話ではあるが。


 しかしこれで王太子妃の懐妊を隠さなくてよくなったと思えば肩の荷も降りる。


「……それはさて置き、そろそろ仕事をしてください」


「無慈悲か!」


「慈悲がほしければ相手をお選びください」


 シリウスが仕事面で慈悲をかけることはないと、いい加減覚えてほしい。これもすべて王太子のためなのだ。


「ジョシュ! 作り直すからボトルシップを持って来てくれ!」


 無慈悲なシリウスへの当てつけなのか、王太子が往生際の悪いことに缶に向かってそう叫んだが、子供たちは糸電話にはもう飽きたとばかりに庭を駆け回っており、糸の先にある缶の口は地面に置かれたまま。王太子の声は、虚しくも大地へと吸収される。


「……」


 一拍置いてから、王太子は奇声を上げながら執務室を飛び出したが、行き先はわかっている。


 王太子妃のところだろう。


 シリウスと側近たちは今回ばかりは黙って見送った。


 たとえ目の前の仕事が山積みなのだとしても、妻と懐妊を喜ぶ時間くらいあってもいいだろう、と。



窓辺に垂れ下がる糸電話。シリウスが片づけようとすると、執事長の声が聞こえて来たので缶を耳へと当てる。


『今日のお帰りは遅くなりそうですね』


「ああ。そうなりそうだ」


 シリウスは肩をすくめた。


『本日の夕食はアナ様のご希望で、ほうれん草料理となっております』


 報連相に引きずられている気がする。


「なるべく早く帰れるように努力するが、待たなくていいと伝えてくれ」


『お伝えしておきます。ご無理はなさらないよう』


「わかっている。ふたりを頼む」


『もちろんです』


 庭まで出ずともこうして些細な会話ができるのは便利だなと思いながら、回収した糸電話を執務室のキャビネットへと収納した。


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― 新着の感想 ―
 王太子ことげぼくしゃんと王太子妃さんの方こそ、グスタフくんの啓示よりも異世界七不思議♢ いやはやご懐妊おめでとうございます〜  ふふふ… 時々、おやすみぬいぐるみの後朝の朝のその後のepとは心憎くて…
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