33
シリウス視点に戻ります
一時間の臨時休憩を利用して、シリウスは先の視察にあたり、全行程におけるおおよその予算の算出をするために、過去に王族が同地域に訪れた際の費用の内訳を参照するという名目で資料保管庫へ赴いていた。
保管庫の担当官たちは、黙々と資料を探すシリウスを遠巻きにしながら、なにやらひそひそしている。
「……様、ぬい……話……」
「……ぐるみ……って……」
「……過重労働……が……」
「まだ若……、……そうに……」
過重労働という単語だけはしっかりと聞き取れた。王太子が発狂して仕事を放り出した噂がこんな場所にまで広がっているのかもしれない。
事実である以上否定しても意味がないので、やれやれと思いながら、参考になりそうな資料を次々ピックアップしていく。
さくさくと資料を回収して目を通しながらさらに選別していると、どこかで見たような覚えのある資料が出てきて、なんとなくパラパラとめくる。そこには逃亡した王太子妃の捕獲のためにかかった全費用の内訳が事細かく記されていた。作成したのはほかでもない、自分だった。どうりで見覚えがあるはずだ。懐かしい。
金の流れを読めば王太子の行動履歴が詳細に読み取れるものの、王太子妃がどのような行程を経て田舎の教会にたどり着いたのかの記載は当然だが一切ない。
単純に旅費として見てもそれなりの金額に上るのだが、彼女は細心の注意を払って、綿密な計画を立てて逃亡を図ったらしく、実家を出るときも幾ばくかの金銭しか持って行かなかったと聞いている。
やたら頭が回る人なので、金目のものを移動しながらその都度売るというような、すぐに足がつきそうな愚かな真似はしなかった。
だからこそ居場所の特定に骨が折れたのだが、最終的に発見できたのは、彼女の顔を知っていた貴族からの善意の目撃情報が寄せられたからだった。運が彼女を見放したとしか言いようがない。
しかし彼女は一体どのような方法で王都を脱出したのだろうか。つてのある行商人の荷馬車に隠れて行くのが一番無難な気もするが、盗賊に狙われる可能性は跳ね上がる。
(そういえば……あれは確か、第二王子が留学先に出発した頃合いだったはず)
王族の移動だ。普段よりも警備はそちらに割かれており、誰も彼女が逃亡したことに気づかなかった。あえてそのタイミングを狙っていたのだろうが、結果的になにごともなかったからよかったものの、仮にも貴族令嬢があの辺鄙な土地までよくひとりで無事にたどり着けたものだ。
(……いや、あの人が安全面を考慮せず無策で行動するだろうか?)
すべてにおいて完璧に計画を練っていたはず。
(そう考えると、むしろ第二王子の……)
「シリウス様」
戸口から声をかけられて、なにか掴めそうだったのに、考えていたことがすべて霧散してしまった。八つ当たりぎみに振り返ると、殿下についているはずの近衛がすぐ真後ろに立っていて、軽く心臓が止まりかけた。
前に執務室の前でアナと会話してくれていた、あの彼だ。せめて足音を響かせるなり、気配を出して近づいてきてほしかった。胸に手を置くと心臓がばくばくしていたが、平静を装って問いかけた。
「殿下が戻りましたか?」
「いえ。殿下はまだ妃殿下のサロンにおります」
(あのまま妃殿下のサロンに押し入ったのか……なんて迷惑な)
そういうところが嫌われる要因だというのにと呆れたが、すぐにサフィニアが王太子妃に呼び出しを受けていたことを思い出して彼へと尋ねた。
「妃殿下と約束をしていた私の妻子がどうしているか、ご存知ありませんか?」
「そのことでお耳に入れておくべきかと、こちらに伺いました」
シリウスは資料を棚へと置く。もしかするとサフィニアとアナは王太子が出て行くまでどこかの部屋で放置されているのかもしれない。
「私の妻と娘はどこに?」
迎えに行くつもりで問うと、彼自身もなぜそうなったのかわからないという顔で答えた。
「どうやら、イザーク殿下のお部屋に招かれたようで」
「……は?」
「念のためご報告をと」
それだけ告げるためにわざわざ抜け出して来てくれたらしい彼を質問責めにして引き止めるわけにもいかず、礼を言って見送るしかなかった。
護衛騎士が職務から離れる際には代わりを立てなければいけない決まりがあるので、彼の代わりとなる者がちゃんと務めているのだろうが、そこまでしてシリウスに教えにきてくれたのだと思うと、またしても彼の好感度が上がるのは当然のことだった。
サフィニアがアナのことを、無条件で受け入れてくれる人にしか話しに行かないと言っていたのは、あながち間違いではないのかもしれない。
(いや、今はそんなことよりも)
シリウスは保管庫を後にし、王族の居住区へと急ぎ向かった。
第二王子の側近たちとは最低限の面識こそあるがまったく親しくはないので、門前払いされることも想定し、まずは免罪符代わりの王太子の確保が先決だ。
ちょうど英気を養い終えたらしい王太子がサロンから出てきたところで、間髪をいれずに捕獲した。
「あなたのせいで、妃殿下と面会予定だった私の妻子が、なぜか第二王子殿下の部屋に招かれているそうなのですが」
「は? なんで?」
「なぜか訊きたいのはこちらです。迎えに行くので顔を貸してください」
「扱いが酷くないか? 王太子だぞ?」
「職務を放棄するような者に、王太子を名乗る資格はありません」
「辛辣」
「顔だけでも貸してください。私にはつてなどないので」
「……仕方ないな」
言い方がやや恩着せがましい。元はと言えば王太子のせいであり、同時に毛玉さんで我慢させることができずに逃亡を許してしまったシリウスの失態でもある。
便利な王太子の顔を利用して目的地へと難なく到着すると、シリウスはそのドアをノックした。人払いされたのか、ドアの両脇には第二王子つきの側近たちが控えていて、神妙な面持ちでこちらを見ていたが咎められることはなかった。
それをいいことに、王太子は入室の許可を待つことなく、我が物顔でそのドアを開ける。いくら兄弟だからといってその無作法はいかがなものか。呆れながらもちゃっかり王太子の後に続くシリウスは、入室してすぐに、ソファにかけたサフィニアと目が合った。
少しこわばった表情をしているが、妻の無事な姿にほっとしたのも束の間、シリウスはイザークの前で足踏みするアナを目にして眩暈で倒れそうになった。
王太子ならまだしも、あの娘は王族相手に一体なにをやらかしているのか。
イザークは兄の来訪にまったく気づいていないのか、それとも興味がないのか、目の前のアナに意識を向けたままでいる。その手がおもむろに娘へと伸ばされようとするのを目にしたシリウスは、考えるよりも先に口が動いた。
「アナ!」
アナはじだじだするのをやめて、きょとんとした顔で振り返り、シリウスの顔……いや、おそらく足を見つけると、一目散に駆けてきた。
「パパー!」
嬉しそうに足にしがみつく娘を見下ろしながら、シリウスは唐突に思った。足だけで人物の特定ができるのは、もはや特技と言っていいのではないかと。
「パパ、だっこー」
アナが両手を広げて抱っこの催促をするので、シリウスは慣れた仕草で抱き上げた。なにをしでかすかわからない不安を抱えているよりは、娘を丸ごと抱えている方が重くても安心だ。
その間にも王太子は気ままにソファへとかけて、無神経にクッションやら小物やらを物色している。
さすがにその存在を無視できなくなったのか、イザークは面倒なやつが来たという顔を隠すことなく嘆息した。
「入室の許可をしていませんよ、兄上」
「固いことを言うなよ、兄弟だろう」
「そういう問題では、ないのですけれど……」
兄弟であろうと、微妙な立場であることを自覚している第二王子と、その辺り警戒心皆無の能天気な王太子とでは、会話が噛み合うはずもない。
イザーク側からしてみれば王太子に勝手気ままに部屋に出入りされては警備関係が不安だろうし、逆に、これが側近であるシリウスの妻子を利用して王太子を呼び寄せるための謀だったらどうする気だったのかという苦言も込められている。
イザークの懸念は理解できるものの、シリウスはやはり王太子の側近なので、彼の真意も汲み取れるのだ。王太子にとってはあくまでも弟であり、政敵ではないのだ。
それにいろいろ考えた上で、なんとかなるだろうと実行してなんとかなってしまうのが王太子だ。
現時点で第二王子個人が王太子を陥れる予定はないだろうと、側近たちの意見も一致している。
ならばなぜサフィニアとアナを招いたのかという疑問が残るわけだが、ある程度の予想はつく。とはいえ気軽に訊ける立場にはないので、空気に徹したままサフィニアの傍らに立つと、アナを抱いていない方の手を差し出した。彼女は王族たちの顔色を窺いながらも手に手を重ねて立ち上がった。
「我々はこれで失礼します」
王太子だけ残して帰ろうとしたが、そううまくことは運ばなかった。
「来たばかりだろう? シリウス、おまえも座れ」
「ここは僕の部屋です、兄上」
「だけどおまえだって、なにか用があってシリウスの妻子を招いたんだろう? 勝手に連れて帰られたら困らないのか? それとも、もう用事は済んだのか?」
イザークが不快そうに押し黙る。用は済んだとも言えないが、王太子のいるところではしたくない話、といったところか。
「ところでその手に持っているのはなんだ? 招待状か?」
「これは……兄上には関係ありません」
イザークがさっとそれをポケットにしまうが、なぜだろう、ものすごく見覚えがある気がするのだが。
アナに疑惑の目を向けると、得意げに小さな指を三本立てて見せつけてきた。
「あなねー、みっつなの」
すべてを察したシリウスは、頭痛を堪えるように眉根を寄せて瞑目した。誕生日パーティーの招待状を持って来ただけでは飽き足らず、王族相手に配ってしまったらしい。
(子供のしたことだから大目に見てはくれると思うが……)
早めに王族や目上の人に対する振る舞い方を教えた方がいいのかもしれない。
とはいえ一番の問題は、唯一の人間の友達が王族ということでもあるのだが。
とりあえずこの娘がまたなにかしでかす前に、この場から遠ざけておくのが先決だ。
「妻と娘は妃殿下との面会がありますので、これで失礼させていただきます」
「ああ、そういえばそうだったな。行っていいぞ」
「ですからここは僕の部屋で…………はぁ」
なにを言っても無駄だと諦めたのか、イザークはため息をついてそれ以上の口論は放棄した。うなだれるように伏せた横顔からは疲労感がにじんでいる。よく見ると顔色があまりよくなさそうで、シリウスは色々と申し訳なくなった。
ひとまずサフィニアたちを連れて退出しようと踵を返そうとしたとき、腕の中のアナが降りたいとごねた。仕方ないので降ろしてやると、その一瞬の隙をつくようにイザークの前までとことこ走って行ってしまった。
(あの娘は!)
「ばん、めっ、よ?」
そう言われた彼は困惑している。シリウスも意味がわからず、申し訳ありませんと低姿勢で謝罪しながらアナを回収して、サフィニアのところに戻ると小声で訳を求めた。
「なんの呪文だ?」
「わたしにもよくわかりませんが……人間を食べてしまうような悪い狼でも、撃ち殺してはだめ、という意味みたいです」
アナが赤いフードつきのポンチョを身につけていたこともあり、最近読んだ絵本の話だとすぐに察しがついた。アナは動物が好きなので、どうにも動物贔屓なところがあるが、実際問題、人の味を覚えた獣は生かしておけば大惨事になりかねないので殺処分が妥当ではある。
なぜそんな話を第二王子相手に振ったのかは理解できなかったが、王太子相手に下僕と言ったときのような、明らかに不敬なことを口走るよりはずっとましな発言だったので肩の力を抜いた。さすがに絵本の話に怒りはしないだろう。
それにしても。
「あの絵本の狩人は狼を撃ち殺してはいなかった気がするのだが……」
腹を裂いて助けたのではなかったか。
(それはそれで残酷な話だが)
「わたしが知っているのは、狩人さんはいませんでしたし、おばあさんも女の子も助かりませんでした」
救いがない。
(……もう少し絵本の選別に気を遣うよう執事長に言おう)
いっそお姫様が登場するような女の子向けの物語だけでいい気がする。教訓話はアナには向いていない。
「ばん、めっ」
まだ言っている。
「もしかして……悪人を裁くのは人ではなく神であるべき、と言いたいのか?」
そう問いかけるとアナはきょとんとした。
「なぜきょとんとする」
アナの言いたいことを理解するには退行するしかない。それは逆立ちしても不可能なので、代わりにアナの成長を願った。
これ以上居座るとなにを口走るかわかったものではない。
一旦アナをサフィニアに預け、丁重に挨拶した。
「私は妻と子を妃殿下のサロンまで送って参ります」
「ああ、終わったら帰って来いよ」
「ですから、兄上。ここは僕の部屋です」
懲りずにそう言ったイザークの目線の先にアナがいることを気にしながら、ふたりを王太子妃のサロンへと無事に送り届けたシリウスは、今度は王太子を迎えに急ぎ来た道を引き返した。
↓ひそひそ話の内容
「シリウス様、ぬいぐるみと話ができるのだとか……」
「ぬいぐるみと話せるってそれ……」
「きっと過重労働で精神がおかしくなってしまわれたのだろう」
「まだ若いのに、かわいそうに……」




