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サフィニア視点



「ママ、おそろー」


「お揃いね」


「うれし?」


「うん、嬉しい」


 アナはサフィニアとお揃いで仕立てたポンチョを気に入ったらしく、城の回廊を歩く足取りがぴょこぴょこ軽い。


 この赤いポンチョは、シリウスがアナとサフィニアのために仕立ててくれたものだ。アナの方にはフードがついていて、今はそれをすっぽりとかぶっているので表情は見えないが、それでも見るからにご機嫌そうだ。


 ポンチョを仕立てるときに、絵本の女の子のような赤色でフードつきがいいと言い張ったのはアナだった。こだわりが強い娘なので、今日はいつものポシェットではなく、子供サイズの小さな籐のバスケットを持っている。中には王太子妃メアリーのためにアナが自ら自宅の庭で摘んだ花と、ジェノベーゼが収まっている。


 出迎えに来てくれた王太子妃つきの侍女たちに、アナは両手でバスケットを掲げて見せた。


「あなずきんちゃん、おみまいなのー」


 アナの愛らしさを前に、その場にいた全員が相好を崩し、通りすがりの者など胸を押さえて膝から頽れた。バロウ家の使用人たちもわりとこうなることが多いので、サフィニアには見慣れた光景だった。


「お見舞いではないけれど、お花、喜ぶといいね?」


「うんー! おおかみしゃん、いない?」


「うーん、どうだろう? いないかな?」


 サフィニアがからかうと、アナは辺りをきょろきょろとしだした。どうやら警戒しているつもりらしい。


 サフィニアがくすりと笑うと、それまで黙ってついてきてくれていた執事長が、アナを安心させるためにその口を開いた。


「狼くらいなら私でも倒せますよ」


「ひつじしゃん。かりー……かるー……かるるーどしゃん? ばん、めっ、よ?」


 アナの言葉が正確に解読できたらしい執事長は、にこりと微笑んだ。


「そうですね。狼を撃つのはかわいそうだと、私も思います。撃つことなく、手懐けてみせましょうか」


 きちんと言いたいことが伝わったからか、アナは嬉しそうに執事長を仰いでにこにこしている。


 田舎育ちのサフィニアには狼はなかなかの脅威ではあるが、執事長にとっては狼も犬と大差ない生き物らしい。


 同じ犬でも飼い犬と野犬とではまた違って、田舎の野犬は狼以上に凶暴であり、噛みつかれてたまに死人が出るくらいには危険な動物だった。


 なので顎の強い番犬をほしがっていたシリウスは、執事長が手懐けた野犬を飼うのが一番いいのではと思いながら、狼を手懐ける算段を立てるふたりの、ほのぼのしているのか殺伐としているのかよくわからない会話に耳を傾けながら廊下の先へと進んでいく。


 王太子妃のサロンは基本的に女性しか出入りできないので、執事長にはいつものように途中で別れて控室で待っていてもらうことをお願いした。


「それでは行ってきますね」


「ええ。こちらでお待ちしております」


 アナはバスケットを持っていない方の手を執事長に振ってから、しっかりサフィニアの手を握った。一度叱ったからか、きちんと手を繋ぐことを覚えたお利口な娘だ。興味を惹かれるものがあれば振り切って行ってしまうだろうが、城にもすっかりと慣れたらしく、最初の頃よりずいぶんおとなしい。


 執事長に見送られながら侍女たちに続いて歩いて行くと、今日はいつもとは違い、サロンまでの道のりの途中で別の侍女に足止めをされてしまった。


「申し訳ありません。少しの間、別室にてお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」


「なにかあったのでしょうか……?」


 侍女らは訊いても曖昧に言葉を濁す。なにか起きたのだろうかと不安に思っていると、ふいに背中から声をかけられた。


「義姉上は今、取り込み中らしいよ」


 はっとして振り返った先にいたのは、予想外の人物だった。


「第二王子殿下……?」


 第二王子イザークは、サフィニアをちらりと一瞥してから、王太子妃つきの侍女たちへと指示を出した。


「別室は用意しなくていい。彼女たちは、僕の部屋へ招く」


 ですが……、と躊躇う侍女たちをよそに、彼は自分の意見が通らないことなど露ほども考えていない王族らしい態度で、さっさと背を向け行ってしまう。


 サフィニアはしばし逡巡した。しかしここで王族の言うことに逆らい不興を買ったら、困るのはきっとシリウスだ。夫の弱った内臓を守るのも妻の役目だろう。


 それにだ。彼が姉とどんな関係だったのか、ずっと気になっていたのだ。それを知る絶好の機会。今を逃せば二度と得られないかもしれない。


 サフィニアは侍女たちに断りを入れて、きょとんとしているアナを抱っこすると、足早にイザークの後に続いた。




 第二王子の居住区にある談話室に到着すると、彼は室内から人払いをした。


「好きなところにかけて」


 周りに誰も頼れる人のいない状況で、不安をひた隠しにしながら室内をぐるりと見渡し、一番近くにあるソファにそろそろと歩み寄ったところで、アナが壁にかけられていた絵を指差した。近くで見ると言い張るので、機嫌を損ねてまた癇癪を起こしても大変だと思い、ソファから離れて今度はそちらへと足を向ける。


 金色の額縁に飾られているのは、颯爽と草原を駆ける一頭の白馬の絵だ。アナの好きな、おうましゃん、である。


 少し見たら気が済むと思ったのに、あまりにも興味津々に眺めているので、その場から動けずに困り果てたサフィニアは、念のためイザークへとひと言断りを入れておいた。


「すみません……娘は馬が好きなもので」


「……そう。習作だけれど、気に入ったのなら、好きに見ていたらいいよ」


 どうやらイザーク自身の作品らしい。習作と言うが、あまり絵画に詳しくないサフィニアでも素晴らしい作品なのがわかる。今にもこちらへと飛び出して行きそうな躍動感。それに、馬への愛情が感じられるあたたかい絵だ。


「おめめ、あか」


「赤だね。アルビノなのかな? 綺麗ね」


「うんー。じぇのべーぜ、みどり」


 アナの意識がジェノベーゼに逸れたのを機に、サフィニアはそそくさと三人がけの広々としたソファに腰を下ろした。アナは早々にサフィニアの膝から下りると、隣にお利口に座ってジェノベーゼと遊びはじめた。


 アナの様子を気にしつつ、サフィニアはようやくイザークへと意識を向ける。


 訊きたいことはたくさんあるが、まずは、メアリーのことだ。これまで急に面会がなくなることなど一度もなかっただけに、体調が悪いのだろうか、なにか悪いことでも起きたのだろうか、と後ろ向きな理由しか思い浮かばず不安で仕方ない。


「王太子妃様になにがあったのですか? 大丈夫なのでしょうか?」


「大丈夫なのではない? 兄上が発狂して、突然部屋に押し入っただけらしいから」


「あ……そういうことでしたか」


 王太子が発狂うんぬんはさて置き、メアリーになにかあったわけではないようでほっと胸を撫で下ろした。


 いくらサフィニアの方が先約だったとはいえ、相手が王太子ではそちらが優先されるのは当然のことだった。


 ならば……と、イザークを窺う。彼はもしや、予定を反故にされたサフィニアに気を遣って、わざわざ話し相手を買って出てくれたのだろうか。


(思ったよりも、優しい人なのかもしれない)


 姉のことを知っていたこともあり、アナの父親なのではと疑って実はかなり警戒していたのだが、もしかするとただの友人だったのかもしれない。


 学院に通っていたわけではない姉が、一国の王子とどう友人関係を築いたのかは相変わらず謎だが、姉はサフィニアとは違って誰とでも仲良くなれる人だった。なのでアナの性格は姉に似ている。


 そのアナはというと、人見知りはすっかりと治ったらしく、ジェノベーゼと一緒に不思議そうな目をしてイザークのことをじっと見上げているので、変なことを言って不興を買わないかハラハラしてしまう。ツインテールに結わえたその小さな頭を撫でて、アナは空気の読めるいい子だから大丈夫と自分に言い聞かせながら、サフィニアはどうにか気持ちを鎮めた。


 彼は上座のひとりがけソファに悠然とかけて、頬杖をつくと、少しだけ揶揄うような視線をこちらへとよこした。


「なにか飲む?」


 人払いされているので室内には自分たちしかいない。もしかして手ずから淹れてくれるつもりなのだろうか。それはさすがに気が引けるというか、もはや不敬だ。


「いえ……」


 お構いなく、と続けた言葉はしかし、アナの大きめのひと言によってかき消されてしまった。


「あな、いちごみるくー!」


 まさかアナがしっかり答えると思っていなかったのか、彼はひどく驚いた顔をして思わずというように身を引いた。


「申し訳ありません! いつも王太子妃様が用意してくださるもので……」


 謝罪をするサフィニアだったが、彼の視線はアナに固定されていることに気づいて口をつぐんだ。


「そうか……二歳だと、話せるのか……」


 独白のようなそのかすかなつぶやきに、なにか返すべきか迷ったが、彼の方が先に気を取り直したように身を屈めると、アナへと目線を合わせて言い聞かせた。


「よく知らない相手からもらった食べ物や飲み物は、決して口にしてはいけない。わかるね?」


 アナは理解できなかったのか、きょとんとしている。メアリーのサロンであれこれ食べさせてもらうのを楽しみにしているところがあるので、理解できたところで聞く耳を持ったかはわからないが。


 そうのんきに構えていたサフィニアの気の緩みを見透かすように、彼は眼差しに剣呑さをのせた。


「もし僕が、きみたちふたりを今ここで始末しようと思っていたら、どうするの?」


 はっと息を飲み込んでアナを守るように抱き寄せると、彼は肩をすくめて雑に手を振った。


「そうする、というわけではないよ。危害を加えるつもりもない。僕の質問にきちんと答えてくれたら、無事に義姉上の元に送り届けることを約束するよ」


「質問……ですか」


「訊きたいことがある。きみに」


 彼はサフィニアという人間そのものを見極めるかのように、すっと目を細めて、言った。


「きみの姉……サフィニア・ルッツは、どこへ行った?」


 


アナの本棚

『こぐまの靴屋さん』

『楽譜 星の子きらり』

『灰まみれ令嬢』

『ララとブラウニーの冒険』

『子供向け聖典絵本』(未読)

『(あな)ずきんちゃん』(アナが自分の名前を書いた紙をタイトルの上に貼りつけた)←NEW


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