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サフィニア視点
ふたごは忌み子である。
ゆえに優秀な方を残して、もう片方は処分しなければ家に不幸を招く。
それがサフィニアの生まれた土地に古くから続く伝承であり、未だ廃れることなく根強く残る風習のひとつであった。
そんな土地で奇しくもふたごの妹として生まれたサフィニアは、数百年前の世ならば、生まれてすぐに極秘裏に殺される運命だった。
しかしときの流れとともに世情が変化し、産まれて間もない子とはいえ、生を受けた者を殺すことに抵抗感を示す者も多くなると、今度は世間の目が厳しくなった。
ゆえに、ふたごが産まれた場合、劣る方の子を神に捧げるという名目で、教会に寄付金と共に預けるのが主流とへと変わった、現在――。
本来なら産まれてすぐに教会に預けられる運命だったサフィニアだが、わけあって七歳になる年まで実家で姉と一緒に育てられた。
両親が慈悲をかけたという話ならばよかったのだが、サフィニアは姉と姿形が鏡写しであり、産まれた直後に優劣をつけることができなかったからという、単純な理由からだった。
両親は将来的にはどちらかの娘は捨てるつもりがあり、その証拠に、出生届はひとり分しか提出されなかった。
『サフィニア』
それが姉の名前であり、自分の名前でもあった。
少し成長すれば差が出るだろう。そうやって屋敷の奥で生かされることになったふたごだったが、思考回路や行動、好み、言葉を話すタイミングまでもがまったく一緒という具合に、両親の思惑を裏切りながら、示し合わせたかのようにふたり揃って少しずつ大きくなった。
物心がつくと、自分たちの置かれている環境が見えて来るようになる。お互いが支えだったふたりは、互いに抜きん出ることがないように、優劣がつけられないよう、能力や振る舞いや性格を調整して他人と接するようになった。
それでもサフィニアはわかっていた。
いつか捨てられるは自分の方だと。
この家に必要ないのは、きっと自分なのだと。
ふたごだからこそ、姉が自分に合わせてくれていることを、誰よりもよく理解していた。
そうして、そのときが訪れた。
いい加減痺れを切らした両親は、とうとう妹の方のサフィニアに見切りをつけ教会へと預けた。
そこで家族とは縁が切れるはずだったが、両親には打算もあったのだろう。手元に残した姉の方になにかあったとき、妹の方をすぐに呼び寄せることができるようにと、ふたりが入れ替わったとしても周りに悟られないよう、月に一、二度、姉妹に交流を持たせる機会を与えた。
そうしてふたごは、下級貴族令嬢のサフィニアと、シスターのサフィニアとなった。
「神父様、わたしは必要のない子ですか?」
それが幼い頃のサフィニアの口癖だった。
「必要のない人間などいないよ」
好々爺という表現がふさわしい、白いたっぷりとした髭を持つ神父様は、いつもそう言ってしわのあるの大きな骨ばった手でサフィニアの頭を撫でてくれる。嬉しいけれど、今ほしいのはそれではなかった。
「だったらどうして、わたしは捨てられたのですか?」
「おまえの親の気持ちは私にはわからないよ。だが、神のなさることには必ず意味があるものだ。いいかい、サフィニア。神が、乗り越えられない者に試練を与えることはない。つらいことがあっても、おまえならば、困難を乗り越えられると神は信じておられるのだよ」
神父様の言うことはよく理解できなくても、サフィニアを励ましていることだけは伝わってきた。
「気になることがあるのなら、まずは自分で調べてみるといい。神は私たちに、知恵を与えてくださったからね。いっぱい考えて答えが出たら、私に教えておくれ」
にこにこする神父様に手を引かれて、サフィニアは教会にある小さな書庫に向かうと、そこには先客がいた。エスターが窓を開け放ち、ぶつぶつと文句を言いながらはたきをかけていた。
エスターは一年前に出家したばかりの男の子だ。兄弟子みたいなものだと紹介されたが、少し歳が離れているのでこれまであまり話したことはなかった。
エスターがはたきを古い本に容赦なくぶつけると、ばふばふと音を立てて埃が舞い上がる。キラキラ部屋を漂う埃が綺麗だと眺めていると、神父様はちょっとだけ笑みを深めながら声をかけた。
「エスター」
「うわっ、神父様!」
「ここにある本の中には、古くてほかには現存していない貴重な資料なんかもある。粗雑に扱っては、ばちが当たる。誰も見ていないと思っていても、神は人の行いをすべて見ているのだから――」
「すみませんっ! はたきはもっと丁寧にかけます!」
説教が長引きそうなのを敏感に察して、賢しいエスターは神父様の気を別の方へと向けた。
「それよりも、神父様。サフィニアを連れて、なにかお探しですか?」
神父様が手を繋いだサフィニアを見下ろして表情を和らげたのを確認したエスターは、あからさまに胸を撫で下ろしていた。
「ああ、そうそう。エスター、ちょうどいい。サフィニアの調べものを手伝ってやってくれないか?」
「そんなちっせーガキ……いえ、小さな子が、なにを調べることがあるんですか?」
神父様が笑みを濃くすると、いつもエスターが震え上がるのが不思議だった。神父様は優しいから、そんなに怯えなくてもいいのにと思う。
「この地の信仰や風習についてだ。エスター、おまえが一番詳しかろう」
エスターは、むっと唇をへの字に曲げたが、神父様に背を押されて前に出てきたサフィニアを見て、諦めたようにため息をついた。
「こんな子供が、真実を知るのは酷だと思いますよ、俺は」
「サフィニアが前に進むために必要なことなのだよ」
頼んだよ、と残して、神父様は行ってしまった。
残されたサフィニアは、どうしよう? と、小首を傾げながらエスターを見上げた。
エスターは面倒そうにしながらも、サフィニアの相手をしてくれるようで、手に持っていたはたきを一旦テーブルへと置いた。
「……で? なにを知りたいんだ?」
サフィニアは神父様にしたのと同じ質問をした。
「わたしは必要のない子?」
エスターは、はっ、と鼻で笑った。
「なんだそのくだらない質問は。いいか? 自分がこの世に必要な存在かどうかを決めるのは他人じゃない。自分自身だ」
「だったらどうして、わたしは捨てられたの?」
続け様にそう問いかけると、エスターは一瞬怯んだが、サフィニアの肩を掴んで、目線を合わせてはっきりとこう言い聞かせた。
「いいか、よく聞け。おまえが悪いから捨てられたんじゃない。間違っているのは、おまえの親とその周りの人間だ。自分が悪いみたいなこと、二度と言うな」
「……どういうこと?」
これを見ろと、エスターは本棚から抜き取った分厚い本をテーブルの上で開いた。
サフィニアは、よいしょと椅子に登ろうとするがうまくいかず、エスターに支えてもらってなんとか座面へと腰を下ろした。
「……おまえ、足短いな」
ぽそりとつぶやかれたその言葉にショックを受けつつ、促されるまま本を覗き込んだ。
しかし難しい言葉と表現ばかりで、サフィニアにはそこに書かれている半分も理解できなかった。
読めないと正直に伝えると、エスターは面倒くさそうにしながらも朗読してくれた。
それでも意味がよくわからないと言うと、彼なりに噛み砕きながら、要約してくれた。
「ふたごは忌み子だなんて伝わっているのは、この国の中でもこの地域だけだ。ここはその昔、かなり貧しい土地だったから、ふたごが産まれると食い扶持が増えて養いきれずに、その家はますます困窮した。根底にあったのは貧しさと食糧難。当時の状況ならば、仕方なかった部分もあるかもしれないけど、今は違う。だからおまえが捨てられたのは、くだらない固定観念に囚われ、古くから伝わることだからとそれを信じて疑わない愚かな大人たちのせいだ」
エスターの言うことはサフィニアにはやはり難しく、ちょっとしか理解できなかった。
彼が言うには、サフィニアが捨てられた原因は、古くから続く言い伝えのせいらしい。
だけどサフィニアは思うのだ。
もし自分が姉よりも優れて産まれていたら、捨てられるのは自分ではなく姉だったのではないか、と。
だからやっぱり、悪いのはサフィニアなのだ。
「ちなみに俺の場合は、家の跡取りを戦の際に徴兵されないようにしたのがはじまりらしい。戦に行って帰って来ないのが普通の世の中だったから、貴重な男手を国に取られないよう隠したかったんだろうが、これだって今の世には合っていない、くだらない風習だ」
エスターは普段から下町風の砕けた言葉を使うことが多いが、それよりもずっと語気が荒い。表情は変わらないのに、とても怒っているようにも見えた。
「俺がここに来たのは、ナスラン聖教では偽りを罪としているからだ」
「いつわり……?」
「嘘をついたり、ごまかしたりすること。……ここでは俺は本当の自分でいられる。おまえだってそうだ。ナスラ様は、子供は誰もが等しく尊い存在だとおっしゃっている。神は、誰よりもおまえの存在を認めてくださっている。感謝しろよ」
だからしっかりと仕えろと言われたが、見えない神様にどう仕えればいいのか、まるでわからなかった。
だけど神様は、サフィニアにここにいてもいいよと言ってくれているらしい。
聞こえないけれど、神父様やエスターがそう言うのならきっとそうなのだろう。
サフィニアは毎日見えない神様に祈りながら、いつも同じことを心の中で問いかけていた。
(わたしは必要のない子ですか?)
どれだけ待っても、神様からの答えはない。
サフィニアはいろんな人に同じことを訊いた。
だけどどれも、サフィニアがほしかった言葉ではなかった。
だからいつしか言わなくなった。
わたしは必要のない子ですか、と。
だから――。
「きみはただ、私の妻としてここにいてくれるだけでいい。それだけで助かる」
そう言われたとき、サフィニアはひどく驚いたのだ。
幼い頃のサフィニアが求めていた言葉を、お互いのことなどなにも知らない、ほとんど初対面の相手に、これほどあっさりと言ってもらえたことに。
直前まで恐怖で震えていたことも忘れて相手を見上げた。
サフィニアの夫となった人。
冷たい相貌の、目を見張るような美しい男の人。
サフィニアは、なぜ自分が捨てられたのかを知りたかったわけではなかった。
必要な子だよ、と、誰かに言ってほしかっただけだった。
本当にただ、それだけだった。
たぶん彼にとっては、さほど深い意味のない言葉だったのだろう。
それでもサフィニアは、その瞬間、幼い頃の自分の心が報われたような気がしたのだった。
神父様(78) サフィニアの親代わり
次もサフィニアの過去編です
その次からまたシリウス視点に戻ります




