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無忘探偵の偽物暴ーニセモノアバキー  作者: 厳原玄彦
1話 てんさいスティール
3/32

 探偵と聞くと、小説やドラマでは、事件性のあるものを巧みに裁く名探偵がほとんどで、やはり世間的にもそれの認識が多いわけだが、実際は案外、今、僕の身に起きているような問題も取り扱ってくれることも多い。

 無論今回の場合も、記館さんは心良く引き受けてくれたわけだった。


〈無忘探偵〉記館創子。〈完全記憶〉探偵とも呼ばれているが、名の通り、極めて高い記憶力こそが売りの探偵なのである。

 その記憶力――まさに異常と言っていいほどで、一言で表してしまえば、〈一度見たものは忘れない〉という、ある意味、超能力のそれに近いものを感じた。それに記館さん本人も、超能力でしょう、とかなんとか言っている始末だし、本当にそうかもしれない。


「一時間もあれば着きます」と、僕がある程度事情を説明したところで、どうやら記館さんは飛んでこようとしているらしい。ということは僕は、この天心邸の、それも扉の前で一時間待機しろということなのだろうか。

 一度でも天心邸から出てしまえば、二度と僕は中に入ることは叶わないかもしれない以上、確かにここにいるべきなのかもしれないが――

 ところが、扉は突然開いた。


「おや?」万丈目さんが本当に驚いた顏で僕を見つけた。「こんなところで何を……いい加減帰ったらだ? 俺様だってもう、君と天心さんの仕事はすでに終わったものとして――」

「なんだ? まだ小僧がいるのか?」


 奥から、すでに僕のことを小僧呼ばわりしている天心先生の声が聞こえた。

 くそ――これじゃあ、とりあえず正直に話すしかないな。

「つい先ほど、探偵を呼びました。この問題を解決してもらいます」

「探偵? 何を言っているのやら。この問題はすでに解決したじゃないですか」

「別に万丈目さんは帰っていただいても構いませんよ。僕にとってはまだ、この問題は解決していませんから」


 後ろに信頼できる人がいると、こんなにも心強いとは思わず、本当に思わず挑発的なことを言った。そして万丈目さんもそれでかなり気を悪くしたらしく、出ようとしていた部屋に引き返して、高級なソファに態度悪く座った。扉は閉じかけているものの、まだ開かれたままである。


「這入ってきたまえ」天心先生が言うと、僕はもう一度、この気持ち悪い空間に足を入れた。こればっかりは、たとえ後ろに探偵がいようが気持ち悪いままだった。


「はあ――仕方ありませんね」と、万丈目さんがため息を吐くと、それを見てか、天心先生が「金は多く払ってやる」と言うものだから、万丈目さんは子供のように目を光らせて――と言ってもサングラスでよく見えない――明らかに喜んでいた。


 天心先生は、どうやら万丈目さんの扱いをよく心得ているようだ。

 金の件だが――当たり前だけど探偵だってタダじゃない。それ相応の金は払わなければいけないのだが、背に腹は代えられない。僕はネット絵師という肩書で、実質的にフリーターなのだが、だとすればお金も大してないわけで(一応アルバイトをしているが、それもとっかえひっかえという始末)、そういう目線から見ると、記館さんはとても良心的なのだ。


 そもそも絶対に忘れない――というそれは、事件解決に関して言えば、これほど信頼できるものはないわけだけれど、守秘義務的な方向で見れば、かなり危険視されるわけだ。知ってしまえば忘れない。これは相手側はそうだが、依頼者側にも不利な部分は多い。

 記館さんはそれを理解しているので、周りの探偵に比べると、かなり依頼金は少ない方なのだ。

 金持ちにとって〈金積万屋〉が切り札だとすれば、貧乏人にとっては〈無忘探偵〉こそが切り札なのである。



 それから四十分ほど経ってから、一人でに突然扉が開いたかと思ったが、それはどうやら記館さんのせいだった。そういえば、直前に天心先生が誰かと連絡をとっていたが、あれはここに入る許可というわけか。

 赤のポニーテイルに、服装はそれより深い赤のロングコート。幸い、そのズボンの方は黒く、全身赤とまではいかないものの、しかしそれは真紅の探偵という表現が最も適切な姿だった。


「こんにちは。はじめまして。私、記館創子と申します」

 と、礼儀正しくお辞儀をしてから、記館さんは部屋の中に入って、まずこの異様な空間を見渡した。それから、僕を見て、笑顔を見せた。どうやら記館さんにとって、この空間はそれほど気持ち悪くないようだ。

 今度はくるりと、天心先生と万丈目さんの方を向き、移動して、二人にそれぞれ名刺を渡して、万丈目さんとは交換していた。


 僕はすでに、一度助けられたことがあって、名刺をもらう必要もないので(記館さんが忘れるはずがない)、そのまま記館さんはソファに座った。何も言われずとも高級なソファに座るあたり、少し図太い性格なのだろう。あるいはただの無恥だが。


「それでは、この問題ですが――」


 と、記館さんが始めようとしたところで、万丈目さんが口を挟んだ。


「ちょっと待ってくれ。これ、無忘探偵ってなんだ? 〈何も忘れないその記憶力があなたの問題解決に役立ちます!〉って、これは一体どういうことですか?」

「どういうことって、そのままですよ。私の、なんというか、特別な記憶力とでもいうのでしょうか。ともかく、私は過大評価しているわけでもなく、本当に〈無忘探偵〉ですよ」


「おいおい、待ってくれ」と、今度は天心さんが割り込む。「それじゃ、俺の秘密も駄々漏れになる可能性があるんじゃないか? そりゃあ、やましいことはないにしたって、俺にだって世間に隠したいことはあるがな」


 もはや本性を隠すつもりはないようで、僕と話していた頃の、あるいはテレビに出ている彼とは全く別人である。とはいえ、彼の言っていることは概ね正しく、誰にだって――それも天心先生ほどの有名人であればなおさら、隠したい事はあるに違いないのだ。


「いえいえ、その点は大丈夫ですよ。私のこの記憶力、確かに守秘義務という観点から見てしまえば、とても都合が悪く思いますが、実は、私の記憶は消すこともできるんです」

「ええ!?」「なんですって?」「なんだと?」


 三人が同時に驚きの声を上げる。その中でも僕の驚きが一番大きく、声も自然と荒くなった。

 何故なら、そんなことは聞いたこともないからだ。記館さんは探偵業界の中でもかなり有名な方で、探偵に詳しい人なら彼女を知らない人はいないだろうくらいなのだが、それでもそんな情報は一つとして回ったことがないのである。

 僕のそんな驚きを理解したのか、記館さんは続けた。


「この情報は世間には秘密ですので、何卒、その辺はお願いします。まあ、ギブアンドテイクというものです。私もあなた方の秘密を握るわけですから、それ相応の秘密はあなた方に教えておこうということです」


 納得のいく言葉だったが、しかし僕は、前に助けてもらったとき、そんなことは一つも言っていなかった。まあ――かなり前なので、もしかしたら最近になって、記館さんも記憶の消し方に気付いたのかもしれない。その辺は、記館さんを信じるしかないということだろう。


「まだ信じられませんね。だったら、その方法とやらを教えていただきたい」

「勿論ですとも。そこまで教えて、ようやくギブアンドテイクが成り立つと思っていますから」


 そう言って、記館さんは立ち上がる。すると、突然僕の方に近付くと、僕の顏にめちゃくちゃ顏を近づけて――一つ間違えたらキスしてしまうくらいに――、十秒くらいだろうか、しばらくその状態が続くと、眩しいくらいの笑顔を見せてから、もう一度離れた。

 …………。一体何の意味があったんだ。


「簡単ですよ。私の何処かに触れて、消してほしい記憶を想像すればいいんです。そうすれば、勝手に消えてくれます」

「それが何の信用もできないと言っているのだよ」と、天心さん。「試してみたまえ」

「構いません。では――依頼人だと何の信頼も得られないでしょうから、万丈目さん、万条目さんの異名はこの名刺によると〈金積万屋〉ですね。それでは、私からこの情報を消してください」

「はッ……それだと、記館探偵が誤魔化せば済む話じゃないんですか?」


 確かにそうだ。しかしだとしたら、記館さんの信頼はどうやっても勝ち取れないのではないだろうか。記憶なんてものはその人個人にしか分からないものだから、このままだとどうやっても証明できない。


「しょうがありませんね」と、記館さんが言うと、記館さんのその小さな鞄から、なんと札束がどさどさと出てきた――

 なんだ、これ。買収ってやつか? でもこれだと、万丈目さんは百歩譲って信頼を勝ち取れたとしても、もともと大富豪の天心さんの信頼は勝ち取るどころか、二度と手に入れられないものになる。


「五百万あります」

「ほお、で?」


 天心さんはやはり余裕の様子だ。万丈目さんは若干ながら目を光らせているような気もするが、これもサングラスの上からなので、憶測にすぎない。


「今からこれを賭けてゲームをしましょう」

「というと?」

「ルールは簡単。まず、適当に何か簡単な合言葉を私に告げてください。そしてそれから、先ほどの方法でその記憶を消し去る。その後に、その合言葉がなんであったか私に問うてください。そして、私が見事間違えれば、この五百万は差し上げます――けれど、もし私が正解してしまった場合は、天心さん、あなたから五百万頂きます」


 その手段は、まさに最後の手段だっただろう。

 そしてこの場合、かなり有効な手段であるに違いないのである。何故ならば、お金を愛する万丈目さんにとって、何のデメリットもないからだ。記館さんが間違えた場合、五百万をもらい、さらに記憶が消えることを知る。記館さんが正解した場合、記館さんの信頼度は塵同然まで成り下がり、さらに万丈目さんが失うものは何もない。

 そして大富豪の天心先生にとって――五百万など、はした金。

 勿論記館さんにとっては、貴重な五百万である。ここで失えば、大損もいいところだろう。そして同様に、正解した場合の五百万はこれ以上にないくらい喜ばしいものである。

 依頼人のために、五百万を失う人間など、普通いるだろうか。いや、いない。存在するはずがない。金とは自分のためにある――と、以前記館自身も言っていた。記憶を失わない彼女が、その言葉を忘れるはずもないのだから、今回もそのはずだ。

 だとすればこれは、記館さん自身のための出費。


「いいだろう」


 と、天心先生は言った。続けて万丈目さんも認める。

 僕はもう完全に蚊帳の外だが、しかしまあ、この場合は仕方ないだろう。記館さんが言っていたように、信頼を勝ち取るためだ。それこそが勝利につながる。

 にしても、信頼のために五百万も失うのには、記館さんよりも僕に抵抗があった。


「ちょっと、記館さん。いいんですか? 五百万も――」


 記館さんにか聞こえないくらいの声で囁く。


「大丈夫ですよ。正解すれば、五百万円ももらえるのですから」

「…………」


 僕は少し勘違いをしていたが、どうやら記館さん、このゲームに勝つつもりらしい。まあ確かに、五百万もらえるというのであれば、是非もないことだが、それではこの依頼は失敗に終わるも同然なのだが……ああ、僕の依頼金より何倍も多いのだから、当然といえば当然か。

 勝つつもりって――能力の件は嘘ってことなのだろうか。


「でははじめましょう」

「じゃあ、俺様が合言葉を決めよう。特別隠す理由はないから、このまま言ってもいいんですね?」

「ええ、勿論です。むしろ全員が共有することで、このゲームが八百長ではないという証明にもなりますから」

「それじゃあ――〈あいことば〉」

「はい?」僕が思わず聞き返す。

「ですから、合言葉は〈あいことば〉だということです」


 成程。

 確かに、合言葉が〈あいことば〉というのは、かなり簡単ではあるが、それだけに盲点だろう。開かずの扉の前で合言葉を聞かれても、まさか〈あいことば〉と答えるものはいないと思う。それがたとえ、名探偵でも――だ。


「〈あいことば〉ですね。〈あいことば〉。分かりました」


 記館さんが一度聞いたら忘れるはずもないが、まあ、演出というものだろう。何度か繰り返してから、万丈目さんに近付いた。

 というところで、万丈目さんが記館さんの右肩に左手を乗せる。そして目を瞑り――この行為は多分意味はないだろう――、それから何か祈るようにして、左手を記館さんの右肩から離した。

 これが意外と緊張感があって、何かの儀式のように思われたが、それはこの異様な空間が演出させているものだろう。


「じゃあ、問題だ」と、間髪入れずに万丈目さんが言った。「俺の異名は何だ?」

「え?」と、思わず僕は言ってしまったが、どうやら小さすぎる驚きだったようで、聞こえなかったらしい。

 確かに驚きは小さかったが、それは隠せるものではなかった。何故ならその質問は、最初に記館さんが提案した問題だからだ。

 だとすれば、万丈目さんはその記憶、ようは自分の異名に関する記憶を消したのだろうか? そうだとしても、結局どちらの記憶を消そうとも同じだろう。無駄な引っ掻け問題だ。何も変わらない……が、まあ、これも演出の一種なのかもしれない。

 記館さんは何を思ったのか笑顔を見せる。

 運命の瞬間――と、思ったのだが、まさに瞬間で、あっさりと記館さんは答えてしまった。


「〈金積万屋〉――ですよね」

 記館さんは言い当ててしまった。

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