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次の日の朝になって、僕は七時ごろに目を覚ました。一応、記館さんが九時に来るという事なので、せかせかと来客の準備をしている八時半くらいに、インターホンが鳴った。
準備中で、音がたくさん出ているのにまさか居留守が使えるわけがないので、出てみると――
「どうも」
記館さんだった。
「早くないですか?」
「早いに越したことはありませんよ」
「……そうですね」
そうだけど。
そうじゃないだろう。
とりあえず記館さんを中に入れて、もうすでに、片付け終わった部屋に案内する。
「わざわざ片づけなくても良かったんですよ」
「…………」
何故ばれた。さすがは名探偵というところか。
ていうかそこは、分かっていても触れるべきではないだろうに……。
「では、早速本題に入りましょう」
言って記館さんは、持ってきていた鞄から紙を一枚、それと鉛筆と消しゴムを取り出した。今の時代に鉛筆を使うというのは、中々珍しいなと思いつつ、彼女の説明を聞く。
「まず、兎々多さんがマンションから自殺をしようとしていたところを、神梨さんが止めました。ここが午前十時頃」と、紙に乱雑なマンションを書いて、人が地面に落ちる絵を描いている。「そしてこの後、二人でランチタイムを過ごした」
「ええ……あの、その絵、意味あるんですか?」
どう見たって、必要ない絵にしか見えない。
「…………」
黙ったぞこの人。
「あの――」
「あります」
と、もの凄い剣幕で言ってきた。何か知らないが、ムキになっているようだ。探偵らしくない、と思ったが、口には出さない。
「同時に、午前十時頃、付近のマンション近くで、泥棒にあった家があった……ふむ」
なんと記館さん、書いた紙をクシャクシャにして、ゴミ箱に入れた。
なんだかなあ。
「分からないのは、どうやって真犯人が、壊破さんの指紋を手に入れたか、ですよね」
「いえ――分からないのは、全てです」
全て?
全てとは、全部ということだろうか。
記館さんは、僕が浮かべている疑問を察したのか、さらに続けた。
「全てというのは、犯人がどのように犯行に移ったのか、その全容です」
「でも、そんなの誰でも犯行可能じゃないですか? いえ、誰でもっていうか、僕と壊破さん以外」
所詮泥棒だ。犯行自体にそこまで問題はないはずだが。
「そうではないのですよ。その警官――指差警部によると、犯人の侵入方法は不明です。恐らくは、窓ではなく、正々堂々、正面から入ったのでしょう」
そう言えば、指差警部は何も言っていなかった。それはそういうことなのだろうか? あえて何も言わなかったという可能性も、あるにはあると思うが。
「そうですね。警察なんですから、一般市民にも言えないことは多くあるはずです。となると、現場検証に出向きましょう」
さっと立ち上がって、記館さんは僕の部屋から出ていった。僕は今回、またもや助手ポジションにあるということで、文句は言わずについていく。というより、現場検証は必要だと思っていたし、文句などあるわけもないが。
文句があるとすれば、記館さんが陸上部ばりの速さで走っていくものだから、追いつけない上に、疲れ果ててしまったことだ。一方で記館さんは、少し息切れをしている程度だった。
「ふむ。走って五分というところですか」
「……記館さんが速すぎるだけですよ」
「神梨さんで測りましたから」
ぬかりねえ。
「でも、あれですね。見た感じ、窓は割れていないですね」
「割れていないから窓からは侵入していない、という考えは安直です」
と、記館さんはそこの家のインターホンを押した。
現場検証とは言っていたが、まさか話まで訊こうとしているとは、思わなかった。
『はい?』
決して若くはないだろう女性の声が、インターホンの向こうから聞こえてきた。このインターホンは古いようで、カメラがついていないから、向こうも僕らの顏は分からないままだ。
「すみません。私たち、セキュリティー会社のものでして、あなたの家が泥棒にあったと聞いて、家の調査に参りました」
さらっとしらを切った記館さんだが、そういうのは普通、アポなしでは来ないと思うんだが。
『あらそう。それはどうも。でも、間に合っているから結構よ』
疑っているのか、それともこういう人たちには最初から対応する気がないのか、いずれにせよ、拒絶された。
「間に合っていれば、泥棒なんて入りませんよ」
記館さんが強く言う。
成程、それはそうだ。
『……どれくらいかかるの?』
「それは米野上様の協力次第です」
米野上――というのは、ああ、表札を見たのか。
『ちょっと待ってて』と、同時にインターホンの通話が切れた。
記館さんの少し挑発的な、それでも正論である言葉を投げられたので、仕方なくと言ったところだろう。記館さんはまさに営業スマイルという感じで、ずっと待っている。
何も言われていないが、これは僕もそういう立ち位置でいかなければならないということだ。というわけで、とりあえずは僕も、バイトで鍛えたとびっきりの営業スマイルをしておいた。
一分も待たずして、玄関の扉が開く。
「どうぞ」と、米野上さんが言った。
声の印象通りと言うべきか、少しふくよかな女性だった。年齢は、四十前後くらいだろうか? まあ年齢は、見た目では判断つかない場合が多いので、何とも言えないが。
わりと高そうな絨毯のある、リビングに招待されて、同じく高そうなソファに座って、話す態勢になった。そこで早速、記館さんが切り出す。
「その泥棒についてですが、何処から侵入してきたのですか?」
「分かるわけないでしょ」
「ちなみにお出かけになるときは、窓は全て閉めていかれますか?」
「窓? そうねえ、大方閉めていくけど、全部を閉めたかと言われると、微妙かしら」
まあそんなところだろう。いちいち家の窓を閉めたかどうかなんて、憶えている人の方が珍しいはずだ。
「それでは、一階の窓で侵入できそうな場所は?」
「ねえさっきから窓ばっかり! 窓職人なのあなた! そんなに知りたいなら直接見れば!? 窓職人!」
それはどういうツッコミだよ。
「ではお言葉に甘えて」
と、記館さんは米野上さんの激昂もあっさり流して、家を歩き回り始めた。
僕もついていこうとしたが、行ったところで無駄だと思ったので、米野上さんと対談する形になってしまった。
無駄と分かっていても行くべきだった。
超気まずい。
「あなたも窓職人?」
と、米野上さんが言った。
どう考えても違うだろ。ていうか、記館さんは窓職人確定なのかよ。
「違いますよ。さっきも言いましたが、僕も彼女も、セキュリティー会社の人間ですよ」
これで僕も共犯というわけだ。全く、探偵が嘘吐きとは、世も末だ。
「そんなわけないでしょ」
「…………!」
僕は思わず、体を揺らした。
どういうことだ? 確かに、変な行動は多かったかもしれないが、そこまで断定するほどの要素はなかったはずだ。
「やっぱりね」
「ど、どうして分かったんですか?」
「だって、窓職人でしょ?」
思わずソファから滑り落ちた。
コントでもやっているのかこの人は。
「違いますってば」
「はいはいっと」
米野上さんはそのまま、キッチンの方へ行った。
……信用されてねえな。いや、窓職人でもこの場合、問題ないのだろうか?
ともあれ、今は記館さん待ちだ。米野上さんはどうも、コーヒーを作ってくれているみたいだし、僕は何もすることがない。
「はいどうぞ」と、米野上さんが僕にオシャレなコップを渡した。「あなたは窓見なくてもいいの?」
「もう結構ですよ」
と、記館さんが突然リビングに入るなり、言ってきた。どうやら記憶は終わったらしい――そう、恐らくだが彼女は初めから、窓を見るのではなく、この家の構造を記憶するつもりだったのだろう。だから、僕が行っても何の意味もないというわけだ。
「さあ、神梨さん、帰りましょう」
「え?」
さすがにそれは、どうなんだ? 確かにこの家の構造を記憶するのも、目的の一つだったが、あくまでそれは一つだったはずだ。
「ですから、もう充分です」
よく分からないが、記館さんが言うならそうなのだろう。僕は一応、頂いたコーヒーを一気に飲んだ。
ブラック。
超苦い。
「ご、ごちそうさまでした」
相手の返事を待たずに、僕は思いついたことを口にした。
「米野上さん、今日、出掛ける用事はありますか?」




