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「優ちゃんで最後っスよー! 急いで急いで!」
(小笠原に言われると腹立つなッ)
「まだギリギリ間に合うだろうが。お前が早起きなんて珍しい事してると俺が怪我しそうで嫌だ」
「いろいろ意味わかんねえっスけど!? でも全体的に酷い!」
「いいからお前も先に乗ってろ!」
全員がバスに向かったのを見届けてから、俺は女将さんに挨拶を済ませる。
「それではお風呂だけご用意してお待ちしてますね」
「ええ。宜しくお願いします」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
女将さんに見送られながら、俺もバスに乗り込んだ。
榊さんが仕切ってくれていたこともあり、無事に宿を出発する。
行先は、旧軽井沢。
二日目にして漸く観光らしい観光ができる。
「で、何で朝遅くなったんスか? 優ちゃんが寝坊とか、ないっスよねえ……?」
後ろの座席に座っている小笠原が、半分身を乗り出して俺に小声で話しかけて来た。
ギクリ。
一瞬身構えてしまった事に舌打ちしそうになる。
(朝の事、っつか……昨日のことすら思い出すのも億劫なんだよっ)
と、心の中で訴えたところで伝わるわけも無く……。
「どうしたんスか? 言えないようなことでもあったんスか??」
「いちいちうるせぇなーお前は……」
「優ちゃんが白状してくれないからっスよ。言っちゃった方が楽になるっスよ?」
「どこの組の奴だ」
ヤクザのような訊き方につい突っ込みを入れてから、俺は嘆息しながら朝のことを思い出す――
―― 一時間程前。
寝返りを打とうとしたら、体が動かなくて目が覚めた。
(――!? そ、そうだった……!)
目の前に榊さんの顔があって一気に頭が覚醒した。
(確か背中を向けて寝たはず…)
状況からして、俺が寝ている間に寝返りを打ったか、あるいは榊さんが一度起きて俺の身体の向きを変えたかのどちらかだ。
(起こした方がいいんだろうけど、この状態で起きられても嫌だな。そっと抜け出す……――いや! 動いたら絶対起きるよな)
動こうとして止めた俺は、目の前の顔を眺めながら小さく溜息を零した。
(ふーん? こうして間近で見ると、整った顔してんだな。ま、まあ悪くは無いとは思ってたけど……こんなにちゃんと見た事なかったし、見るの嫌だったし?)
前に一緒に働いていた時のことを思い出す。
最初は意識なんてしていなかったが、悪い意味で意識するようになってからは目を見て話すのを避けるようになった気がする。
(そもそも、この距離自体初なわけだし、知らなかったことがあったとしても可笑しくはないよな……うん)
それより、ずっとこの状態のままでいるのはキツイものがある。
(そろそろ起きないと拙い時間じゃないのか? 時計、時計……)
抱き込まれて動かない身体を少しだけ捻って時計を探す。
(あった! ゲッ。集合時間三十分切ってるじゃねえか!)
躊躇っている場合じゃなかった。
俺は榊さんを起こそうと肩に手を添えた。
その時、ふと気付く。
榊さんの良く通った鼻筋の途中、何かを押しつけたような跡がある事に……。
(これって……眼鏡? でもして寝てなかったはずだし……)
現に今もして寝てなどいない。
(昨日からのが残ってたとしても、こんなにくっきりとは………まさか…!)
枕の上へ視線を滑らす。
物は直ぐに見つかった。
(この人―――起きてる!?)
咄嗟に跳ね退けようとした腕をグッと掴まれた。
「ちょっと! あんた寝たふりは卑怯だろうが!」
「朝っぱらから喧しい奴だな。小笠原か」
「あんなのと一緒にしないで下さいっ」
閉じていた目が今はしっかり俺を見据えている。
腹が立って、掴んでいる手をブンブンと振り払った。
「……いつ、起きたんですか」
「一時間前だな」
「一時間!? ……ずっと、寝たふりしてたんですか?」
「そんなわけないだろ。出る準備をして、また横になったんだ」
「二度寝なら隣の布団でもいいでしょうが……」
「それじゃあつまらん」
(ああ、もう嫌だ……)
二日目の朝にして俺のHPは数ミリまで激減した。
「でも、良かったじゃないか」
肘を突いて頭を上げた榊さんが口端を持ち上げた。
俺は上体を起こしてジトッと視線を投げる。
「……何がですか」
「俺の寝顔を拝めて、癒されただろ?」
「それだけは絶対にありませんっ。寧ろ疲れがぶり返しましたよ」
「それだけ、意識してくれてたってことか。嬉しいよ」
「!? ……どうしたらそんな解釈ができるんですか」
ポジティブ過ぎる思考が逆に羨ましい。
(その眼鏡、踏んでやろうか)
枕の上にある眼鏡を取った榊さんに、俺は盛大に溜息を吐いて布団から抜け出した。
そんなことより、とっとと支度して出ないと本当に遅刻する。
昨日、荷物の整理をする暇も無く布団に入ってしまったから、カバンの中がゴチャついている。
まずは顔を洗って来て着替えて、五分以内に今日持って行く荷物をまとめなければならない。
俺は帯を解いて浴衣を足元に落とした。
榊さんの視線が気になったが、今は時間との勝負が大事だ。
「優一」
「……何です?」
俺は手を止めないまま返事をする。
「こっちは準備できてるから、先に行ってみんなをまとめておく。早く来いよ」
「あ、はい。お願いします」
上着を羽織って着替えが済んだところで振り返ると、思いの外榊さんが近くに居て……――。
(え……?)
頭の後ろに手を添えられ、引き寄せられた俺は、唇に温かいものを押し当てられた。
それは直ぐに離れて俺を解放する。
「朝のキスがまだだった。それじゃあ後でな」
部屋の扉が閉まり一人取り残された俺は、準備時間をただただ茫然と過ごしたのだった。
――……。
(くっそ。今思い出しても腹立つ! 何が朝のキスだ。そんなもん一生無くていいっての!)
「優ちゃ~ん。どうしたんスか~?」
「どうもしてねーし顔近いんだよお前!」
後ろから俺の肩に顎を乗せようとする小笠原の顔面を片手で押し返す。
「ふぐっ。だ、だって優ちゃんがいきなり黙っちゃうからさぁ……。本当に、何もないの?」
「ない。――大人しく座っていられねえなら、ここで降ろすぞ」
言った途端、素直に座席に腰を下ろして静かになった。
(朝のことは忘れよう。それよりも、今日のこれからは慎重にいこう)
流れる景色を眺めながら、俺はそう心に決めた。
【第六章/終】




