1-7 「終章、すべての魂は天国に至る」
夢について色々書いてきました。
基本的に取り留めのない大半の夢に混じって、試験のように自身の行動や決断が試されるような夢がある。
その夢の試験に合格すると、難易度が上がった次のステップの夢を見る。
と、云うのがわたくしの言いたいことです。
ここ数年そのような考えで夢を捉えて参りました。
しかし、最近と云うか、この一連の文章で、夢に対する考えを纏めてみると、数点修正が必要な事項があると感じました。
まず一点目。
夢の試験をクリアする毎に、段々とステップアップし、難易度の上がった夢を見ることを、『階梯』という言葉で表現し、その階梯に応じて、試験の夢以外の夢の中の自分も、小学生とか中学生とか、夢の中の自分の『立ち位置』の段階が上がってくると書いてきましたが、どうやら上がるばかりではなくて、降格もあるのではないかと思うようになりました。
以前、確か射殺命令の夢を突破した時期には、大学に通うような夢を見たのです。
現実のわたくしは専門学校に通っていたので、それが本当に大学生活なのかよくわかりませんが……。
しかし最近、夢の中のわたくしは、中学生位なのです。
つまり、何らかの原因により、わたくしは降格してしまったのではないかと思うのです。
二点目は、一点目と関連します。
わたくしは前段『宛城夜』にて、現在突破出来ない夢の話をしました。
ここから先に進むには、かなり考え方を変えなければならないと思うのです。
もうこの先には到底進めないように思うのです。
これは悔し紛れではないですが、これまでわたくしは、夢の試験を次々クリアして、階段を一歩一歩上がるように、ステップアップするだけの一本道と考えていました。
しかし、わたくしが夢を通じて行われている一連の試験は、分類、と、云うか、棲み分けの為に行われているのではないかと、最近思うようになりました。
この考えを後押しする予言めいたニュースを最近目にしたのです。
まあ、それは一見何の事はないゲームに関する特許のニュースです。
『アマゾンがマルチプレイゲームで、他のプレイヤーの気分を害する「有毒プレイヤー」同士をマッチングさせる特許を取得』
ゲームプレイ中にチャットで暴言を吐きまくるプレイヤーがいて、他の人が嫌な思いをする事を防ぐために、多分使われた単語とかを検出して、口の悪いプレイヤーは口の悪いプレイヤー同士でプレイするように参加プレイヤーを自動で組み合わせるプログラムなのでしょう。
こんな言葉があります。
善人にとって天国は天国。
善人にとって地獄は地獄。
悪人にとって天国は地獄。
悪人にとって地獄は天国。
言葉の作者はわたくしです。
天国や地獄という概念を創造(想像)した宗教家達。
宗教の尊い教えを残すような人は、基本的に善人なのでしょう。
それが独善的なものであったとしてもです。
つまり善人視線の考えなのです。
例えば仏教における天国、極楽浄土のイメージはどの様なものでしょう。
遺されている仏画などから想像するに、雲の地面と蓮の花、めでたいチョウチョが舞い飛び、菩薩様や天女がフワフワ彷徨いているようなイメージなのではないでしょうか。
悪行の限りを尽くした毛沢東、ポル・ポト、スターリン等が死後、何かの手違いで極楽浄土に送り込まれたら、彼らはそこで何をするのでしょうか?
急に漂白され、聖歌隊みたいな格好になって、賛美歌でも歌いながらヒラヒラ飛ぶのでしょうか?
それよりも、チョウチョや天女に取り入って懐柔し、派閥を作って観音様を弾劾し処刑して、極楽浄土を乗っ取る算段でもするのが似合っていると思います。
地獄とは、ある特定の地域を指しているのではなく、悪人が幅を利かせ、不正が跋扈し、義理も人情も失われ、愛から遠ざかった場所の事だと思います。
地獄は至る所にあります。
力を持った悪人が居さえすればよいのです。
真実が遠ざけられ、不実が幅を利かせる地獄に於いて、悪人は生き生きと輝くでしょう。
恫喝や賄賂が効力をもち、誹謗や中傷が聞き入れられるような世界は、悪人にとっての天国なのかもしれません。
仮に、死後の世界が有るとして、現世での言動や行動の結果と、夢を通じての試験で我々は分類され、魂が死後に、それぞれの試験結果に応じた『あの世』に赴くとするならば、わたくしたちが赴く先はそれぞれの天国なのかも知れません。
以上を持ちまして、『将来の夢』を終了と致します。
多分そんなにいらっしゃるとは思いませんが、最後までお読みいただきありがとうございました。
以下は本文に収めなかったトピックです。
どうも脳という器官は、時間を認識するのが不得意なのか、夢を思い返すとき、屡々記憶がその理解の妨げになります。
これはわたくしの感覚的な印象なのですが、夢を体験している間は、脳内の記憶に関する部門が機能しておらず、記憶にアクセスする事も、記憶を蓄積する事も出来ない状態なのではと思うのです。
では、わたくし達はどうやって、どのタイミングで夢を記憶するのか?
恐らく覚醒し、脳の記憶に関する機能が働き始めた瞬間に、遡って脳が記録(記憶)するのではないかと思うのです。
夢の場面や夢の登場人物も、その時に辻褄を合わせるように既存の記憶との同定作業が行われているとわたくしは思います。
わたくしには四人の娘がおります。
執筆している時点で小学五年生の三女と、小学二年生の四女とは、同じ部屋で寝ています。
わたくしがよく、寝起きの娘達にどんな夢を見たか訊くので、そのうち娘達は、自主的にどんな夢を見たか、わたくしに報告するようになりました。
まず、先に起きた方(大抵は三女)が、夢の内容を話すうちに、もう一人が目を覚まし、続いて夢の内容を話す事があります。
そういうときは大抵、二人目の話す夢の場面と登場人物が、一人目と同じ事が多いのです。
どちらが先に話しても、次に話す娘の話は、一人目の夢の話と似たようなものとなる。
普通に考えたら、二人目が一人目の夢の話に乗っかって、負けず嫌いに盛っていると思うでしょう。
しかし、夢を解釈し、記憶として脳内に保存される作業が、夢を見ている最中ではなく、覚醒直後の、私が一人目の話を聞いている正にその時に行われているとしたら、その聞こえる一人目の話の内容が、二人目の夢の認識を変質されると云うことは普通にあり得ると思います。
自分の経験を振り返っても、例えば、自分より早く起きた家族の会話や、家族が見ているテレビの音声などが、夢に影響を与える等、たまにあります。
夢の記憶を収拾しようと思い立ち、あれこれ試行錯誤するのですが、どうも覚醒して直ぐに活動すると、夢の記憶が曖昧になるので、目覚めたら暫く動かず、夢の把握に務めるようにしています。
『オカルト』は、ラテン語の『隠されたもの』と云う意味の『occulta』という言葉が元となっております。
不思議で心奪われる物を指して『神秘的』と言いますが、神秘も神様が秘めた(隠した)と云うことでしょう。
この場合隠したモノは(答え)なのかも知れません。
神秘的なモノとは、言い換えれば『なんでそうなのか判らないもの』と、云うことになります。
寝返りをうつのがやっとのあかちゃんにとって、親が目の前に表れたりどこかに行ったりするのは、大いなる不思議でありましょう。
親が行う普段の生活や経済活動など、想像も及ばないに違い有りません。
あかちゃんに判るのは、自分が泣いたら、母の顔かおっぱいが、何処からともなく現れることくらいです。
あかちゃんにとって、家庭生活も社会生活も神秘的、つまりオカルトです。
彼ら彼女らが這い這いを覚え、歩き出し、世界が拓かれていくと、それらのオカルトが既知と成る事でしょう。
人は、答えを急ぐあまり自分の手持ちの情報のみで解釈して仕舞い勝ちです。
あかちゃんに待ち受けていた様な世界の謎が、私達大人の先に用意されていないとは言い切れないのです。
筋肉少女帯のボーカル、大槻ケンヂさんはUFOのお話が大好きで、精神科医から『UFO話禁止令』が出されるほどだったそうな。
二十年くらい前でしょうか。
雑誌のインタビューや、テレビなどで、大槻ケンヂさんが、オカルトやUFOの話をされているのを目にしました。
彼はどちらかというと、超常現象の種明かしをして、信じている人を小馬鹿にするようなスタンスで話していたと思います。
当時わたくしが気になったのは、同時期にクローズアップされていたプラズマ理論の大槻教授といい、大槻の姓を持つ者は、UFOを腐さないと気が済まない体質なのか。
と、云うことと、
飛鳥昭雄と同じ芸風なのかな?
と、云うことでした。
飛鳥昭雄さんは、コロコロコミックなどで超能力解明研究家を名乗って、超常現象や心霊現象のトリックを暴く漫画を書いていたのだけど、いつの間にか立場が逆転して、超常現象の家元みたいな立ち位置になって、オカルト好きも引くようなトンデモ理論を紹介するようになった漫画家さんです。
大槻ケンヂさんも、この、オカルト家元に変化する過程の途中なのかな、と思ったのですが、生憎それ以降の動向が判らないので、現在どのようなお考えなのかは不明です。
まあ、飛鳥昭雄さんはともかく、大槻ケンヂさんが宇宙人を否定するときに、最終兵器的に持ち出す話がありました。
要約すると、
「UFOを見たとか、宇宙人を見たとかよく聞きますが、実験で脳のある部位に電極をさして電気を流すと、流された人は『銀色の小人を見た』とか、『銀色の円盤に連れ込まれた』とか、『三途の川の向こう岸で死んだ親族が手を振っている』とか言い出すんですよ、つまりそういう体験は、実は脳の中での出来事で、宇宙人とかあの世とか関係ないんですよ」
何分昔のことで、正確ではないかも知れませんが、多分こんな事を仰っておりました。
重度の癲癇の治療法として、脳内に電極を入れることがあり、その課程でそのような体験をされる方がいらっしゃるようです。
大槻ケンヂさんはUFOを否定するために語られたので、その場ではそれで話は終わりでした。
しかし、わたくしが当時思ったのは、
「まあ、UFOの有る無しはともかく、その、脳に電気を流すと、宇宙人やらUFOやら、三途の川の向こう岸で死んだ近親者が手を振っているのやらが見えるという、その現象の不思議はスルーなのかい!! 」
と、云うことでした。
Altered States of Consciousness (変性意識)とか、トランスとか呼ばれる、ある種の意識状態で体験する不思議の数々については、『神々の指紋』でお馴染み(?)の、グラハムハンコックが『異次元の刻印』という本でふれております。
詳しくは、本を手にされて読んでいただければと思いますが、(今なら多分図書館にあると思います)この本も、紹介に留まっている印象で、しかも、やや眉唾な感じなのが残念です。
この分野の研究が科学的に行われることを切に願いっております。