第八十九伝: 沈黙の酒場
<市内の酒場>
煌々と雪原を照らしていた太陽も沈み、辺りを夜の帳が包む頃。
雷蔵を含む6人の男性陣は宿泊施設の直ぐ近くに建っている暖かな光を放つ酒場へ赴いていた。
無論の事女性陣は其方で夕餉を取っており、彼らが酒場にいる事は一切知らない。
地元の人間たちで賑わう席の中に大人数用の座席に腰を落ち着ける彼らは先ず透明な蒸留酒の入った小さなグラスをそれぞれ掲げる。
「んじゃ、お互いの無事と再会を祝して……乾杯! 」
「かんぱーい! 」
ヴィクトールの祝辞と共に彼らは器を触れさせ合い、甲高い音が周囲に響き渡った。
平重郎とフィルに挟まれた形で椅子に座る雷蔵は器の縁を傾け、透明な液体を喉へ一気に注ぎ込む。
瞬間、燃えるような熱さと香ばしいアルコールの匂いが口内を駆け巡り、思わず表情を豹変させた。
「かぁーっ、この酒は強いなぁ! お主らは平気なのか? 」
「一応僕たちも成人ですからね。偶には飲みますけど……」
「フィルはいつも俺より先に潰れちまうもんなぁ、あはは」
「飲み過ぎていつもゲイルを送ってくの誰だと思ってるんだ……あんまり羽目外しちゃダメだよ? 」
「坊主の言う通りだな。ま、でもこうして気の知れた連中と楽しく飲めるのはあまりない事だし、明日に響かない程度に飲んどけ」
向かい合ったヴィクトールが目の前に置かれたベーコンを肴に、二杯目の酒を注ぎ始める。
「にしてもよ、こうしてまた雷蔵達と戦えるとは一年前は思わなかったぜ。お前、急にいなくなっちまうんだからさ」
「済まぬ、ラーズ。拙者も事情があった故な、皆に別れを告げる暇など無かったのだ」
「先にロイを追えって大統領から言われてたんだろ? まあ俺でも同じことはしてたと思うけどよ……聞いたぜ? かーなりキザな別れ方したってな」
「そりゃあ本当かい雷蔵? あの時は聞けなかったが、今なら聞いてもいいだろう? 」
「ぐ……。そういえば平重郎には言ってなかったな……耳を貸せ」
飄々とした笑みを浮かべながら平重郎は左耳を傾け、雷蔵の言葉を待った。
彼がシルヴィとの別れの全貌を耳打ちすると、豪快に彼は笑い声を上げる。
「天下の侍がそんな事をしたってのかい!? こりゃあ傑作だ! お前、女にゃ滅法弱いんだなァ! 」
「平重郎さんもそう思うだろ? 俺やフィルも最初聞いた時驚いちまってなぁ……」
「雷蔵さん、俺にも教えてくれよ! さっきから気になってしょうがねえんだ! 」
「う、ううむ……簡潔に話すと、拙者がシルヴィに別れを告げてフレイピオスを出る際……その、彼女にせ、接吻をして別れたのだ……」
ゲイルは女子のように顔を真っ赤にさせながら驚愕の表情を浮かべた。
「大人の男ってやつだ……! 渋いじゃねえか雷蔵さん! 俺、一度でいいからそういう事してみたいなぁ」
「そういえば、ゲイルってそういう浮いた話聞かないよね。あまり恋愛には興味ないの? 」
「士官学校の頃からお前さんがその事だけ心配でなぁ……いつか悪い女に騙されなかと不安で不安で……」
「いや、隊長の方が引っ掛かりそうに見えるけど……」
「にゃにぃ!? 言いやがったなコンニャロー! 」
笑顔を浮かべながら隣のゲイルの首根っこを掴み、頭を乱暴に撫で始めるヴィクトール。
先ほど注いだ酒は既に空になっており、どことなく彼の頬は赤い。
「はは、若ぇのは元気でいいねェ。でもお前さんも年頃の男だ、そういう相手は一人や二人いるもんじゃないのか? 」
「うーん……。俺の場合、恋愛対象っていうより友達っていう風に見られてそうでさー……」
瞬間、雷蔵がゲイルとの距離を一気に近づける。
彼の表情もヴィクトールと同じように赤い。
「いいやっ、そんな事は無いぞゲイル! お主のような明朗快活で思い切りの良い男はそうそういない! 拙者が保証しよう、お主はモテるぞ! 」
「お、おう……? ……なぁラーズ、急に雷蔵さんの言動がおかしくなったみたいなんだが……」
「昔からこういう奴でな。他人の恋愛事には興味を持つが、自分の事になると滅法弱いんだ」
「言いおったなラーズ! お主こそ最近エル殿とどうなのだ! 」
「だからエルとはただの幼馴染だって! つーか俺ゼルマと婚約するし」
その場にいた6人の会話が一斉に静まる。
ヴィクトールと平重郎に至っては口に含んでいた酒を噴き出し、互いの顔面を酒に濡らしていた。
「な、な、なにぃっ!? ゼルマって、あのセベアハの村の!? 」
「お前シルヴィと同じ反応するんだな……。まあそうだよ、一年の間に一回里帰りして、その時にな」
「うふふ……おじさん年下の子に先越されちゃった……」
「想像以上にダメージ受けるもんだねェ……」
「別のショックの受け方すんなよおっさん二人! 」
一方フィルとゲイル、それに雷蔵が笑顔を浮かべながらラーズに詰め寄る。
特に雷蔵の方は個人的な恨みがあるようで、いたずらな笑みを浮かべていた。
「それで? どんな言葉を連ねて婚約を交わしたしたのだ? 拙者のを聞いたからには、言わぬという事はないよな? 」
「ぐっ……! 個人的な恨みが強すぎる……! わーったわーった、言うよ。その……"俺の隣で一緒に未来を創ろう"……って言ったんだ」
「かぁーっ、お主もなかなかやるではないかラーズ! 」
「僕、そういう事ルシアに言えるかな……」
「……おじさんと未来創っちゃったら先立っちゃうじゃん……どうしよう……」
「相手がいねェ……」
「この二人はどういう落ち込み方してんだ……」
既に一瓶を開けたヴィクトールと平重郎は項垂れながらグラスを呷っている。
各々が酒を飲み干したせいか時間かあっという間に経ち、次第に周りの客たちも帰っていく。
周囲が静かになったことを察した雷蔵は、覚束ない足取りで勘定を済ませようと店員を呼んだ。
その時だった。
酒場の扉がゆっくりと開かれ、暗い寒空の下から酒場の橙色の光が5人の女性の姿を映し出す。
酩酊状態の視線を入り口の方向へ向けると、雷蔵は思わず言葉を失った。
「ヴ、ヴィクター! 平重郎! 起きろッ! 」
「なんでィ……。ジジイに何か用ってのかい……? 」
「お、起きた方が良いと思いますけど……」
フィルの恐怖に震える言葉を耳にし、渋々ヴィクトールと平重郎は起き上がって扉の方へ視線を向ける。
平重郎も身に着けていた魔法具と自慢の鼻で誰が来たのか分かったのだろう、素っ頓狂な声を上げていた。
「これはこれは皆さん……随分と楽しそうで……」
「し、シルヴィ……! こ、これは違うのだ! 決して酒を飲んでたわけじゃ……」
「……ふふ、言い逃れは無駄。其処に転がってる酒瓶は何? 」
「フーィールゥー? ゲーイールゥー? 」
「ぼ、僕怖いよゲイル……」
「……こりゃダメだ。観念するしかねえ」
既にこの後の事態を悟ったゲイルはあるがまま彼女たちの魔の手を受け入れる。
ルシアはゲイルとフィルを、エルはラーズの巨体を片手で掴み取り、外へと先に出ていった。
「も、椛の嬢ちゃん! 話せばわかる! 旅続きで酒が飲めてなかったからさァ……! 」
「言い訳は部屋で聞く。ハートラント、そっちは頼んだぞ」
「任せろ。さあヴィクター……神への祈りは済ませたか? 」
「ひっ、ひえぇぇぇっ!! 助けて雷蔵! 」
抵抗も空しく、雷蔵は引き摺られていくヴィクトールと平重郎へ向けて手を合わせて祈る事しか出来ない。
取り残されたシルヴィと雷蔵の間に微妙な空気が流れた。
「……あ、一先ず会計はこっちで頼む。騒いで済まなかった」
「い、いえ……その……」
「ん? 」
「ご、ご武運を……」
店員に金額を支払ってから雷蔵は満面の笑みで親指を立て、シルヴィに身体を引きずられていく。
その夜、アポ・クトリの市内に6つの男の悲鳴が響いたという。




