プロローグ:歪んだ曲線について
「私たちはどこから来て、どこへ行くのか。」このありふれた問いに、私は愛という答えを見つけたつもりでした。しかし、神は時に、答えを教えた直後に、その問いそのものを消し去ってしまう。これは、一人の男が「永遠」という名の幻想を失うまでの記録です。
人生とは、運命によって引かれた一本の直線ではなく、絶えず収縮していく円のようなものだと、私はずっと思っていた。アリストテレスはかつて、幸福とは人間のあらゆる行動の終着点であると言ったが、彼は言い忘れていた。その終着点とは、海に飲み込まれる直前に、水流が方向を見失うあの激流のような場所でもあるのだということを。
私の名は琴葉エド。母から受け継いだ赤道直下の温かい血が血管を流れているが、私の魂は長野の冷たい山々の影で育まれた。作家として、私は沈黙の中に意味を探し、言葉を解体することに人生を費やしてきた。私にとって愛とは、単なるホルモンの乱れではない。「エウダイモニア(Eudaimonia)」の一つの形――すなわち、他者と共に魂の完成を目指す、美しくも峻烈な闘争なのだ。
「エドくん、見て! あそこの雲、綿菓子みたい!」
その声は、あかりのものだった。私の妻。私が硬直した「テーゼ(正)」であるならば、彼女は色彩豊かな「アンチテーゼ(反)」だった。彼女は呼吸をメロディに変えるフルート奏者であり、彼女にとって人生とは即興――躊躇することなく祝われるべき「カイロス(好機)」そのものだった。
彼女の隣では、幼い娘の詩織が膝の上にスケッチブックを置いたまま眠っている。詩織は私たち二人の「ジンテーゼ(合)」だ。愛というものが、より純粋な新しい実存を生み出せるのだという、明白な証拠。
現在、私たちは海抜三万フィートの高さにおり、スコットランドへと向かっている。諏訪二葉高校の制服を着ていた頃から夢見ていた、霧の国。十年前、世界が果てしなく広く、時間が永遠に自分たちのものだと思えたあの頃に、諏訪湖のほとりで結んだ約束。
しかし、宇宙には、人間の儚い実存を思い知らさせるための、あまりに皮肉なやり方がある。
突如として、激しい衝撃が機体を襲った。客室の明かりが点滅し、金属の壁に幽霊のような影が躍る。窓の外を見ると、暗闇が飢えた獣のように口を開け、私たちが運んできたすべての夢を飲み込もうとしていた。
私はあかりの手を握りしめる。いつもフルートのキィの上で軽やかに踊っていた彼女の手が、今は激しく震えている。ヘラクレイトスの言葉が脳裏をよぎる。「パンタ・レイ(万物は流転する)」――すべては流れ、留まるものはない。だが、機体が高度を下げ、重力が猛烈に私たちを引きずり込み始めたとき、私は哲学者たちの記録から漏れていた一つの事実に気づいた。
――破滅とは、完璧な幸福のために支払う、最も高い対価である、ということを。
「エドくん……」
耳を突き刺すようなエンジンの咆哮の中、彼女が微かに囁いた。
私は言葉では答えなかった。ただ、頭の中で、自分の人生の最終章を書き始めていた。決して望んでいなかった、しかし涙のインクで書き終えなければならない、最後の章を。
これは、私たちの物語だ。信州の山々の中で生まれた愛と、私たちの人生という交響曲が、最後の一音が奏でられる直前で、いかにして唐突に断ち切られなければならなかったかについての物語。
プロローグをお読みいただきありがとうございます。ここから、彼らの幸せな過去と、残酷な現在が交差していきます。愛が深ければ深いほど、影は色濃くなる。そのコントラストを感じていただければ幸いです。




