38話(運命)
翌朝。
昨夜の穏やかな余韻を残したまま、二人は静かに目を覚ました。
窓から差し込む朝日が寝室を優しく照らし、新しい一日の始まりを告げている。
身支度を終えた頃、アーサーがリリアンへ声を掛けた。
「今日は隣国の王太子殿下が帰国なさいます」
「そうでしたね」
「よろしければ、一緒にお見送りへ行きませんか」
リリアンは迷わず微笑んだ。
「もちろんです」
二人は連れ立って王宮へ向かった。
出発の準備が進む王宮には、多くの侍従や騎士たちが行き交っている。
ほどなくして、王太子の私室へ案内されると、彼は人払いを命じた。
「少し三人だけで話そう」
扉が閉まると、静かな部屋が、和やかな雰囲気に変わった。
王太子は二人を見つめ、優しく笑いかける。
「昨日は本当に素晴らしい祝いの席だったな。おめでとう」
「ありがとうございます」
アーサーとリリアンは揃って頭を下げた。
王太子は苦笑する。
「だが……やはり、お前が側にいないことにはまだ慣れんな」
「殿下。もうずいぶんと日が経ちます。いい加減慣れてください」
「仕方ないだろう。長い間、毎日のように顔を合わせていたのだから」
三人は思わず笑った。
「あーあ。リリアン嬢はいいな、これからアーサーは私の側近を辞め、奥方の側近になるのだからな」
「殿下。誤解を招くような言い方はお辞めください」
しばらくそんな他愛もない話を交わした後、王太子は少し表情を引き締めた。
「実は、一つ話しておきたいことがある」
アーサーも姿勢を正す。
「私の婚姻についてだ」
「はい」
「この婚姻は父上とシュバリエ王国の国王陛下が意気投合し、『互いの子供同士を』という話になった」
そこまでは昨日聞いた通りだった。
しかし、その先が違った。
「念のため調べてみると、第一王女には幼い頃から想い合っている公爵家嫡男がいた」
部屋が静まり返る。
「それでも決めたのは国王同士だ。しかも互いに大国」
王太子は静かに息を吐いた。
「私には選ぶ権利がない」
「ですが……」
アーサーは言葉を失う。
「想い合っている二人を引き裂く真似だけはしたくない」
その一言に、リリアンは静かに耳を傾けていた。
「そんなことになっていたのですか」
アーサーも驚きを隠せない。
その時だった。
リリアンがそっと口を開く。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「もちろんだ」
「シュバリエ王国には確か、第二王女殿下がいらっしゃいませんでしたか?」
王太子は頷く。
「いる。だが、八つも年下だ。まだ十四歳だ」
リリアンは優しく微笑んだ。
「私の父と母も八つ違いなんです」
王太子は目を丸くする。
「そうなのか」
「ええ」
リリアンは穏やかに続けた。
「でしたら、少し待てばよろしいのではありませんか」
「待つ?」
「殿下が二十六歳になる頃には、第二王女殿下は十八歳になります」
王太子は思わず声を上げた。
「あと四年も待つのか?」
「ですが」
リリアンは真っ直ぐ王太子を見つめる。
「想い合っているお二人を引き裂くよりは、ずっと良いのではないでしょうか」
アーサーが口を挟む。
「殿下、それに今まで散々はぐらかしてきた結婚の話、まさか『四年も待つのか』そんな言葉を聞くことになるとは思いませんでしたが」
王太子は苦笑する。
「それを言ってくれるな。……アーサーを見ていたら、結婚も悪くないのかもしれないと思うようになったのだ」
王太子は腕を組み、静かに考え込んだ。
「もっとも、決めるのは父上だがな。王太子である私には、選ぶ権利などない」
確かにその現実は変わらない。それでも……。
王太子の表情には、ほんの少しだけ光が差したように見えた。
「ありがとう。それとなく父上に話すことはできるからな。少しだけ希望が見えた気がする」
(そうか、リリアン嬢のご両親も八つ違いなのか……)
王太子は心の中でそう呟き、どこか吹っ切れたような、晴れやかな笑みを浮かべていた。
やがて出発の時間が訪れ、三人は王宮の玄関まで歩いた。
王太子は最後に二人を見つめる。
「必ず幸せになれ」
「はい」
「殿下も」
王太子は照れくさそうに笑う。
「私の一存で事が運ぶことはない。だが、努力はしてみるよ」
そう言って王太子は馬車へと乗り込んだ。
アルヴェール侯爵家は、一足先に帰国の途へ発っていた。
周りには、この国の国王や王太子をはじめ、近衛騎士や高位貴族たちが並び、隣国の王太子を見送っていた。
ゆっくりと馬車が動き出す。
その姿が見えなくなるまで、二人は手を振り続けた。
帰り道。二人は馬車に揺られていた。
しばらく静かな時間が流れた後、リリアンがぽつりと呟く。
「アーサー様が、長い間殿下の側近を務めていらした理由が、少しわかった気がします」
「急にどうしたのです」
「あのお方は、あれほどの大国の王太子でいらっしゃるのに、少しも偉ぶったところがありませんでした」
アーサーは静かに頷く。
「それに、私たちの国の言葉で話してくださいました」
リリアンは窓の外を見つめる。
「普通、あれほどの大国でしたら、自国の言葉を相手が学べばいい、と考えても不思議ではありませんもの」
アーサーは懐かしそうに笑った。
「あのお方は、とても努力家なんです。シュバリエ王国の言葉だって話せるのです。……それに、私にも一度も偉ぶったことはありませんでした」
側近として仕えた日々を思い返す。
厳しい仕事も多かったが、あの王太子だからこそ支えたいと思えた。
「だからこそ、幸せになってほしいのです」
「ええ」
「もし本当に第一王女様との婚姻が進めば……」
その先は言わなくても伝わった。
優しい人だからこそ、誰かを傷つけてしまう未来は王太子自身も不幸にしてしまう。
リリアンはそっとアーサーの手へ自分の手を重ねた。
「きっと大丈夫です」
「そうだといいのですが」
そう言って、アーサーは微笑む。
「殿下には必ず、幸せになっていただきたい」
リリアンも微笑み返す。
「もし殿下が、不幸な目に遭わされたとしたら、アーサー様はきっとその方に、報いを受けさせに向かうのでしょうね」
「今回のように、ですか?」
アーサーは苦笑を漏らしながら問い返した。
二人の馬車は、ゆっくりと伯爵領への道を進んでいく。
窓の外には、どこまでも続く青空が広がっていた。
人との縁は、時に人生を大きく変えてしまう。
出会い、別れ、すれ違い、そして再会。
遠回りをしたからこそ辿り着けた幸せがある。
だからきっと、これから二人が歩んでいく道こそが、本当の運命なのかもしれない。
その道を、笑い合い、支え合いながら歩いていく。
愛とは互いに育んでいくものだと知った二人にもう迷いなどない。
その先に待つ未来は、きっと今日よりも幸せな明日へ続いている。
完




