1話《プロローグ)
「リリアン、本当にごめん。僕と婚約解消してもらえないだろうか」
ギルバート様は一見、すまなそうなお顔を向けてきました。
「え? 婚約解消ですか?」
「ああ。君のことは心から愛していたよ。だけどどうしてもディアナ様がこの僕と一緒になりたいと毎日のように縋ってくるんだよ。男として放っておけないだろう? 優しい君ならわかってくれるね」
沈痛な面持ちを作りながら、その瞳には隠しきれない優越感が透けて見えました。
「ディアナ様ですか……」
ディアナ様といえば、ローゼンベルク侯爵家を継ぐ一人娘のご令嬢です。家督を継げない次男のギルバート様にとっては、喉から手が出るほど欲しい高嶺の花。
その上、ギルバート様の実家は新興のヴァロア侯爵家であり、対するディアナ様は歴史ある名門ローゼンベルク侯爵家。同じ侯爵家であっても、その格の違いは明らかでした。
(そうね。確かにうちはただの伯爵家。同じ婿養子に入るなら、家格が上の方がいいのでしょう)
一瞬どうすべきか迷ったものの、ここで取り乱しても惨めになるだけですし、それこそ彼の思うツボです。私は努めて冷静に、聞き分けのいい振りをしてみました。
「そうですか、わかりました。屋敷に帰ってお父様にお話ししておきます」
「ああ、恩に着る。だが、お父上には君の方が、僕との婚約解消を望んでいると言ってくれないだろうか? その方が君も傷つかないだろう?」
少し考えましたがそれは事実とは違います。私は嘘をつきたくありません。
「申し訳ありません。それはできかねます。私、嘘は苦手なのです」
「そこをなんとか……だって君はこの僕を愛しているんだろう?」
この期に及んで、なおも身勝手なことを言ってくるのですね。
「あら? ギルバート様も私を愛していたのですよね? でしたらそんな無理を押し付けないでください」
「そうだ。僕の場合は過去形だ。だから今愛しているのはディアナ様なんだよ。わかってくれないか」
よくもまあ、そんな屁理屈が思いつきますね。
「とにかく、私は嘘は嫌いです。これで失礼します」
いい加減疲れてきました。だからこの場を離れることにいたします。
帰りの馬車の中で私は大きなため息をつきながら、過去のことを思い出していました。
(わりと好きだったのにな……。今まで私に向けられていた優しさは、今度はディアナ様に向けられるのね)
私たちの婚約は、幼い頃に彼から水色の髪飾りを贈られ、告白されたことがきっかけでした。
彼はそれを私の髪に優しくつけながら、想いを伝えてくれたのです。
家族以外から受け取った、初めての贈り物。
それが嬉しくて仕方がなく、お父様に喜んで報告した日のことが、今も鮮明に思い出されます。
それから間もなく、アッシュフォード伯爵家の当主である私の父と、ギルバート様のお父様であるヴァロア侯爵様との間で、両家の婚約は正式に結ばれたのです。
そして、一人娘の私と、侯爵家の次男であるギルバート様。
私は彼を婿養子として迎え、アッシュフォード家を継ぐはずでした。
(お父様、何とおっしゃるかしら……)
重たい気持ちを引きずったまま、無情にも馬車は屋敷へと着いてしまいました。
「ただいま戻りました」
そう言って玄関を入ると、侍女のアンナが心配そうな顔を向けてきました。
「お嬢様、何かありましたか? お顔が……」
そう言われて初めて頬に触れ、指先が濡れているのを知りました。自分が泣いていたことにすら気づいていなかっただなんて、正直自分でも驚きました。
「……大丈夫よ、何でもないわ。それよりお父様は?」
「旦那様でしたら奥様と居間の方にいらっしゃいます」
「そう、なら着替えたら私も居間へ行くわね。今日の着替えは一人で大丈夫だから」
アンナは何かを察したようで、無理に手伝うとは言ってきませんでした。
「はい。旦那様にお伝えいたします」
私はとりあえず私室へと入りました。
(やはり事実を伝えるべきよね)
私は着替えをして、鏡の前で目元を確かめてから、父と母のいる居間へ向かいました。




