第13話 戦場の食卓、奇跡の料理無双
ミルダの村を囲む石造りの防壁の外、地平線を埋め尽くしたのは、漆黒の魔力を纏った不気味な軍勢だった。先頭に立つのは、かつての仲間であるレン。
その隣では、魔導師エリナが禁忌の魔導書を広げ、どす黒い雷光を指先から溢れさせている。
「……今日こそ、すべてを奪い返してやる。ルシア、お前の力も、この村の利権も……すべて俺たちのものだ!」
レンの声は、かつての英雄の面影もなく、どす黒い執着に濁っていた。エリナが禁忌の魔法を発動すると、大地に巨大な魔法陣が描き出され、召喚された魔獣たちが飢えた咆哮を上げる。
対する村の防壁。リアナは白銀の剣を構え、カイルは大剣を肩に担ぎ、ハクは銀色の毛並みを逆立てて敵を睨みつける。そして私は、防壁の真上に設置された特設の「野外キッチン」に立っていた。
「……戦場に、こんな澱んだ魔力を持ち込むなんて。料理の隠し味にするにも、不潔すぎますわ」
私は静かに、純白のシルク製エプロンを整えた。
《無限料理庫》、展開。
戦端が開かれた。レンの号令とともに、黒い魔力を纏った兵士たちが雪崩を打って押し寄せてくる。だが、彼らが防壁に辿り着くよりも早く、私はフライパンを一振りした。
「《アロマ・ディフェンス》——目覚めなさい、スパイスの嵐」
《無限料理庫》から放たれたのは、数種類の乾燥ペッパーと、鼻を突くほど強烈な《黄金のマスタードシード》の粉末。それが魔力に乗って敵陣へと吹き荒れる。
「ぐああっ! 目が、鼻が焼ける!」
「何だこの匂いは……! 息ができない!」
敵の軍勢がパニックに陥り、禁忌の魔法の詠唱が乱れる。
その隙を逃さず、私は「本日の主役」を仕上げに入った。今日の一皿は、《戦場の空気を変える、薫り高い燻製肉の盛り合わせ》。
《無限料理庫》から取り出したのは、三日三晩、特製のタレに漬け込んだ《聖域の猪肉》と、脂の乗った《白銀の鴨肉》。それを特製のスモークチップ——《世界樹の枝》と《古の桜》をブレンドしたもの——を敷いた鉄鍋に入れる。
魔力の火を点すと、瞬く間に白く濃密な煙が立ち上った。それは単なる煙ではない。私の魔力によって「高濃度の活性バフ」が込められた、聖なる香気だ。
スゥ、と風向きを操る。燻製特有の、鼻をくすぐる香ばしくも深い香りが、血生臭い戦場全体を塗り替えていく。
「……ハク、リアナ様。深呼吸をなさって」
その香り。を吸い込んだ瞬間、味方たちの瞳に凄まじい光が宿った。燻製の香気は、朝食のエッグベネディクトで得た力を爆発的に増幅させる。
ハクが、目にも止まらぬ速さで敵陣を駆け抜けた。その爪が一閃するたび、黒い魔獣たちが塵となって消えていく。リアナの剣は、まるで流星のような輝きを放ち、数百の軍勢を一太刀で薙ぎ払った。
「……素晴らしい。……力が、無限に湧き上がってきますわ!」
「な……なぜだ! なぜお前のようなゴミが、こんな力を……!」
ついに、混乱する軍勢を突破したレンが、防壁のすぐ下まで辿り着いた。彼は禁忌の薬で無理やり強化した腕を震わせ、私を見上げて絶叫する。
「ただの『飯炊き』だろう! 戦う力もない、便利な道具だったはずのお前が……なぜ、俺たちの軍勢を圧倒できるんだ!」
私は、ちょうど出来上がったばかりの燻製肉を、巨大な木の皿に美しく盛り付けていた。黄金色の表面に、ナイフを入れる。じゅわり、と溢れ出す透明な脂。燻製特有の、深く、重厚な香りが、レンの鼻先を執拗に攻める。
私は優雅にフライパンを掲げ、彼を冷徹に見下ろした。
「レン。貴方は『効率』を求め、食事をただの数字に変えました。……けれど、本当の力とは、魂が震えるような『悦び』から生まれるものですわ」
私は、一切れの燻製肉をハクに放り投げた。ハクはそれを空中でキャッチし、幸せそうに咀嚼する。その瞬間、ハクの全身から放出された銀色の衝撃波が、レンを吹き飛ばした。
「……私のフライパンは、世界を美味しくするためにあります。……貴方のような不浄な存在は、私のキッチンには一滴のソースも、一粒の塩も相応しくありませんわ」
私はフライパンを横に一閃させた。
「《キッチン・クローズ》——お引き取りくださいまし」
フライパンから放たれた衝撃が、レンと、後方に控えていたエリナを完全に吹き飛ばした。禁忌の魔法陣は砕け散り、黒い煙は私の燻製の香りに浄化され、跡形もなく消え去った。
戦場だった場所には、今や平和な静寂が戻っていた。元パーティーの軍勢は散り散りになり、レンたちは泥を啜りながら敗走していく。
私は、木の皿をテーブルに置いた。
「リアナ様、カイル様。……お疲れ様でしたわ。最高に美味しい燻製が出来上がっています。冷めないうちに召し上がれ」
リアナが兜を脱ぎ、額の汗を拭いながら微笑んだ。
「……戦場で、これほど贅沢な香りに包まれるとは思いませんでしたわ。……ルシア様、貴女こそ真の勝利者です」
カイルも、大剣を地面に突き立てて笑う。
「がはは! 敵の絶望した顔をスパイスに食う燻製は、最高だろうな!」
夕焼けの光が、村を、そして私たちの食卓を黄金色に染めていく。不味い栄養剤で心を捨てた者たちには、この一皿の重みは一生理解できないだろう。
私は、自分自身の分の燻製肉を一口運んだ。鼻を抜ける芳醇な煙の余韻。噛み締めるたびに溢れる肉の旨味。それは、誇り高く生きる私たちの、勝利の味そのものだった。
つづく




