第1話:追放の朝と、冷めたポタージュの決別
私は日本の田舎から状況して自分の力で生きていきたいと思い、東京の料理専門学校に入学した。
しかし毎日毎日先生に怒られ「役立たず!」と怒鳴られる日々。
夜も眠れない日々が続いたある朝私は朝のラッシュの電車のホームで転落してしまい命を失った。
目覚めるとそこは見知らぬ西洋の街のようだった。
夜明け前の静寂を切り裂くように、石造りの厨房に薪の爆ぜる音が響く。
王都の一等地に構えられた、S級パーティー《白銀の牙》の拠点。その広大なキッチンの主になっていた。私の名前はルシア・クロスというらしい。そして朝の時間は一日のうちで最も神聖な儀式の時間だったようだ。
使い込まれ、鏡のように磨き上げられた銅の鍋。そこに、たっぷりの発酵バターを落とす。熱を得て溶け出したバターが、芳醇なナッツのような香りを立ち上げた。そこへ、極限まで薄くスライスした玉ねぎを投入する。じっくりと、急がず。木べらで丁寧に返しながら、玉ねぎが透明から薄い飴色、そして透き通るような「黄金色」へと変化していくのを、私は慈しむように見守った。なぜか私は料理が得意なようだった。
「……今日は、少し冷えますわね」
日本語でもない聞いたことのない言葉だったがなぜか私は話すことも聞くこともできていた。
窓の外、朝露に濡れた王都の街並みを見やりながら、私はスパイスの棚から乾燥させたタイムと、ほんの少しのナツメグを取り出す。リーダーのレンは、連日の遠征で魔力が昂ぶり、神経が昂っているはず。魔法使いのエリナは、魔力消費の反動で低血圧気味。重戦士のガストンは、筋肉の修復に良質な脂質が必要……。私は、パーティーメンバーそれぞれの体調を思い浮かべながら、スープの味を微調整していく。
私の作る料理は、単なる栄養補給ではない。食材の持つ魔力を引き出し、食べる者の体内の魔力循環を最適化する。いわば「食による魔導調律」だ。彼らがS級の座を維持できているのは、私のこの「飯炊き」があってこそだと、自負していた。
やがて、芳醇な香りを湛えた《黄金の玉ねぎと贅沢バターのコンソメポタージュ》が完成した。仕上げに生クリームで白い円を描き、彩りのパセリを散らす。
ちょうどその時、厨房の重厚な扉が開いた。
「おはようございます、レン。ちょうどお食事が——」
振り返った私の言葉は、レンの冷ややかな視線によって遮られた。彼は革張りの椅子に乱暴に腰を下ろすと、目の前に置かれた芸術的なポタージュを一瞥もせず、吐き捨てるように言った。
「ルシア。お前は今日限りで、このパーティーを抜けてもらう」
……一瞬、耳を疑った。
レンの背後には、エリナとガストンも立っていた。エリナは気まずそうに視線を逸らし、ガストンは無言で腕を組んでいる。
「……それは、どういう意味かしら? 何か、私に落ち度が?」
「落ち度? いや、そうじゃない。単に『不要』になったんだ」
レンはテーブルに一本の小瓶を置いた。中には、不気味なほど鮮やかな青い液体が揺れている。
「エリナが開発した、新型の『魔導栄養剤』だ。これ一本で、お前の作るまどろっこしい食事三食分の栄養と魔力回復が得られる。重い食材を運ぶ手間も、お前のような非戦闘員を護衛するコストも、すべてカットできる。効率化だよ、ルシア」
効率化。その言葉が、私の胸に冷たく突き刺さる。
「レン、食事はただの栄養摂取ではありませんわ。魔力の循環を整え、心を癒やす……」 「そんな情緒的な話は聞いていない。俺たちが求めているのは、最短ルートでの『強さ』だ。お前の料理は、たかが『味がいい』だけだろう? エリナの魔法なら、その味だって栄養剤に付与できる。お前の代わりなんて、いくらでもいるんだよ」
エリナが、申し訳程度に付け加えた。
「ごめんね、ルシア。でも、時代は変わるのよ。私たちの魔法は、もう『キッチン』なんていう原始的な場所に縛られる必要はないの」
目の前のポタージュから立ち上る湯気が、むなしく揺れた。黄金色のスープ。私の誇り。彼らは、私が一皿にどれほどの魔力的意図を込め、彼らの崩れかけた魔力回路をどれほど繊細に繋ぎ止めていたか、その恩恵に一分も気づいていなかったのだ。
「……分かりましたわ」
私は静かに、首に巻いたリネン製のエプロンを解いた。言い返しても無駄だということは、彼らの傲慢な瞳を見れば分かった。彼らは、自らの体を蝕む「効率」という名の毒に、まだ気づいていない。
「このポタージュ、せめて冷めないうちに召し上がって。……それが、私からの最後のアドバイスですわ」
「ふん、不要だと言っているだろう」
レンはポタージュの入った皿を、汚物でも見るかのように脇へ押しやった。カチャリ、と硬質な音がして、数滴のスープがテーブルにこぼれる。
その瞬間、私の中で何かが、プツリと切れた。悲しみでも、怒りでもない。
これほどまでに無価値な人間たちに、自分の人生の時間を一秒たりとも捧げてきたことへの、底冷えするような失望だった。
私は自分の調理道具一式が入った小さな鞄を手に取ると、一度も振り返ることなく厨房を後にした。生まれ変わってもやっぱり駄目な私だったと絶望した。
王都の路地裏。
朝の市場の喧騒が聞こえてくるが、今の私にはそれすらも遠い世界の出来事のように感じられた。身の回りの品だけを抱えて放り出された、二十四歳の朝。
石造りの古い壁に背を預け、私は深くため息をついた。お腹が空いた。思えば、人の体調ばかりを気にして、自分自身の食事はいつも残り物で済ませていた。
「……私、これからどうすればいいのかしら」
行き場のない呟きが、冷たい朝の空気に溶ける。
その時だった。
【条件が達成されました。隠しユニークスキル《無限料理庫》が覚醒します】
耳元で、鈴の音のような澄んだ声が響いた。驚いて目を見開くと、目の前の空間に淡い燐光を放つ魔導ウィンドウが浮かび上がる。
「何……これ……?」
そこには、これまで見たこともないような複雑な魔導式が並んでいた。
《無限料理庫》。
あらゆる食材を神の厨房から召喚し、一皿に聖女級の加護を与えるスキル。
震える指先で、私はそのウィンドウを操作してみる。今の私に、一番必要なものは? 誰かのためではなく、私自身を癒やすための、最高の一皿。
「……焼きたての、パンが食べたいわ。それも、とびきり贅沢な」
私の願いに呼応するように、虚空から純白の光が溢れ出した。出現したのは、古びた路地裏にはおよそ似つかわしくない、磨き抜かれた白磁の皿。その上には、厚切りにされた自家製のサワードゥ・ブレッドが、黄金色の焼き色を湛えて鎮座していた。
立ち上る、香ばしい小麦の匂い。その上には、最高級の「エシレ産」にも引けを取らない、乳白色の発酵バターがたっぷりと載せられている。熱でゆっくりと溶け出し、パンの気泡の隅々にまで染み込んでいくバター。仕上げにパラリと振られたのは、伝説の塩田で採れた大粒の岩塩だ。
私は我慢できず、その「最高に贅沢なトースト」を手に取った。指先に伝わる、焼きたての熱。端をかじると、カリッ、という心地よい音とともに、芳醇なバターのコクと小麦の甘みが口いっぱいに広がった。
「……おいしい……」
じわり、と涙が溢れた。バターの塩気が、傷ついた心に優しく染み渡っていく。魔力が、細胞のひとつひとつに活力を与えていくのが分かる。《無限料理庫》から生み出された食材は、かつて私が扱っていたものとは次元が違った。
一口食べるごとに、絶望が消え、静かな決意が芽生えていく。あんな、味も真実も解さない人たちのために、もう私はフライパンを振るわない。これからは、私の料理を真に必要としてくれる人のために。そして、何より私自身の幸せのために、この腕を使おう。
朝陽が、王都の屋根を照らし始める。私は最後の一口を飲み込むと、涙を拭い、凛とした足取りで歩き出した。
冷え切った王都の石畳を、私の歩みが少しずつ、温めていく。ルシア・クロスの、本当の物語はここから始まるのだ。
つづく




