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460●『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(2026)⑤秀逸なファーストコンタクト。でも『あの夏で待ってる』もお忘れなく!

460●『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(2026)⑤秀逸なファーストコンタクト。でも『あの夏で待ってる』もお忘れなく!



       *


●疑問6:『惑星ソラリス:ソ連版』『未知との遭遇』『E.T.』と比較して、どうヨ?


 このヘイル・メアリー計画、文字通りの「一か八かの神頼み」。

 “一か八か計画”のどうしようも無いところは、まさに「いちかばちか」であるところです。


 まず、昏睡航法のリスク。グレースが生きて目覚めることができたこと自体、いちかばちか。三人中二人は死んじゃったんですから。


 メアリー号のAIがけっこうアホなのも、いちかばちか。グレースがあんなに賢くなかったら、いつまでも「ここはどこ? 私はだれ?」のままではありませんか?  

 それでは仕事になりませんね。


 そして、ワイヤーケーブルたった二本で“1Gブランコ”をやって人工重力を作るシステムも、いちかばちか。ワイヤーと船体の接続部の強度や耐久性、一本切れた場合の対処法の無さなど、ちょっと怖すぎます。


 それに、岩人がんじんロッキー君がいてくれたから良かったというのも、いちかばちか。ロッキー君がいなかったら、計画は成功したのでしょうか?


 たまたま困ったときに宇宙人が助けてくれるという偶然に頼る、いちかばちか。


 たまたま岩人がんじんロッキー君が、『マーズ・アタック!』(1996)の火星人やどこかの大統領様みたいなウソツキの口先野郎じゃなく、その真逆の善人君だったことも、いちかばちか。あんなに人の好いエイリアン君は、本当にいるのかな?


 窒素が必要になった時に、たまたま忘れ物らしい窒素ボンベがあったのも、いちかばちか。


 岩人がんじんロッキー君がたまたまアストロファージ燃料を余裕たっぷりに積み込んできたおかげで、グレースが地球へ出航できるという、いちかばちか。


 ……などなど。もう「いちかばちか」にいちいち勝利して幸運が転がり込んでくる超ラッキーおじさんのグレース氏。


 科学的考証と理詰めの物語展開は、素晴らしいの一言ですが、ちょっと考えてみると、やはり全体として「いちかばちか」過ぎるのではないかと思うのです。


 このように“ヘイル・メアリー計画”は、あまりにも「いちかばちか」。

 「いちかばちか尽くし」なのです。

 しかもそれが、奇跡的に良い方に転んでいく。

 その「できすぎ感」が、「ひょっとすると駄作スレスレ?」なキワモノ感覚につながっているような気がしてならないのですが。


       *


 それはともかく……


 映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、二つの大きなSF要素で構成されています。


<1>ひとつは、天体規模の生物災害:「バイオハザード」。


 太陽エネルギーを吸い取って地球滅亡の危機を招く大災厄の張本人が、アストロファージという単細胞微生物であるという事実ですね。

 これに対して人類がとる対抗策は、もちろん生物学的対処となります。

 つまり、天敵微生物の開発と実用化ですね。

 その手段の一つとして、プロジェクト・ヘイル・メアリーが発動されたということでしょう。

 はるばる12光年かなたのタウセチまで、解決策を探しに行くべし……と。


 しかしそれとは別に、地球でもやるべきことははっきりしていますね。

 まず、アストロファージの遺伝子解析。

 ヤツは単細胞生物ですから、本当に短時間で可能でしょう。

 そのうえで……


①第一弾:DNAのテロメアを短く切断する遺伝子を組み込んだ“短命アストロファージ”を開発し、既存のアストロファージと交配するように進化させて、金星にばらまく。

②第二弾:アストロファージをうまうまと好んで食ってくれる“大食い微生物”、たとえば“フードファイター・ゾウリムシ”を開発し、金星にばらまく。

③第三弾:アストロファージの細胞核と細胞殻を破壊する“キラーウイルス”を開発し、金星にばらまく。いわばスペースコロナ。奴らにコロナ禍みたいな感染症を蔓延させて絶滅を図る。


 この三種の対策が地球の医学機関と生物兵器の怪しい研究施設の総力を結集して、30年をかけて推進されるでしょう。

 ひょっとしなくても地球は、メアリー号とグレースに頼ることなく、どれかの対抗策を独力で成功させたのではないでしょうか?

 「いちかばちか」すぎるヘイル・メアリー計画よりも、圧倒的なヒト・モノ・カネを投入する天敵製造作戦です。こちらの方が成功確率は高いと思うのですが。


 地球上の微生物からアストロファージの天敵を創り出すなんて不可能……と言えるでしょうか? 

 私たち人類も含めて、微生物を含めた地球の全ての生命体は、さかのぼれば数十億年の間に宇宙から地球にもたらされた生命関連物質の子孫なのですから。


 単細胞生物として、アストロファージもゾウリムシも、根っこは同じ。

 両者のDNAはかなりの部分が共通しているのでは?


 この場合、宇宙からの有害微生物の侵入を迎撃する組織の活躍を描いた映画『アンドロメダ……』(1972)が参考になるでしょう。2006年にTVドラマ化もされています。


 そして、二つ目のSF要素は……



       *


<2>人類初の、文明化した宇宙人との遭遇:「ファーストコンタクト」。


 岩人がんじんロッキー君との出会いと、バディとなって共同作業する孤独な二人に芽生える友情ですね。これも作品の大きな売りです。


 しかし、ファーストコンタクトをテーマとするSF映画やSF小説は、今に始まったものではありません。旧き昭和の名作映画や小説、いろいろとありますね。

 なんといっても、戦後の映画でその嚆矢こうしとなる名作は……


『地球の静止する日』(1951、リメイク『地球が静止する日』は2005)


 米国はワシントンに降下してきた空飛ぶ円盤。地球を訪問した宇宙人は実に聡明で慈悲深く、人類に核戦争の危機を説き、平和への願いを伝えます。

 宇宙人、偉い! いい奴なのだ。


 映画公開が朝鮮戦争と重なっているだけに、第二次大戦の記憶も生々しい現実を受けて「戦争はもう勘弁してほしい。今こそ根絶を!」という、当時の知識人の想いが伝わってきます。

 同時にレッドパージが苛烈を極めており、「戦争反対!」などと叫ぶと即座に「お前はアカだ!」と逮捕投獄されかねない時代でした。冤罪で電気椅子に送られた事例もあるのです。

 だから、代わりに宇宙人様に登壇してもらい、理性ある言葉を語ってもらったのではないかと思います。

 『地球の静止する日』は、人類の愚かさを淡々とした哀しみをもってながめた、静かなる傑作ではないでしょうか。


 ただし、それゆえに「宇宙人なのに地球人の優等生にしか見えない」というSFとして宿命的な欠点を抱えてしまいます。

 残念ながら作品のファーストコンタクトにSFのセンス・オブ・ワンダーはあまり感じられません。ろくに防疫もせず、生身で、彼にとっては異星の街を歩いたりしているのも、観ていて心配です。

 ウェルズの『宇宙戦争』みたいに風邪ひいて死んだらいけないよ、マスクしてパブロン呑んでおけよ……と声かけてあげたくなりますね。


 日本の古きファーストコンタクト映画では、この一作が秀逸。


『宇宙人東京に現わる』(1956)


 国産初の「総天然色」、そう、カラーフィルムのSF映画なのです。

 岡本太郎氏の芸術的デザインが冴え渡った、星型宇宙人がサイコーでして、彼等にとって地球人類は見た目からして醜悪な生物。

 しかし人類に化けて東京の地へ潜入することとなり、あんな醜い格好は嫌だな~と星型連中の腰が引ける中、「言い出した私が」と志願する宇宙人。その勇気をみんなで褒めたたえるあたり、「宇宙人も大変だなァ」と同情してしまいます。

 本作をはじめとして、宇宙人は見た目に反して知性が高く賢明で、戦争に明け暮れるアホな人類を自滅から救うべく、彼等が言う「宇宙道徳」にのっとって、道理を説き、人類が進むべき道を指し示してくれます。

 つまり、人類にとって、良き師となるのです。


 それにしても本作は1956年の映画であり、怪獣映画の本家本元で元祖のモノクロ『ゴジラ』が1954年作品ですから、ほぼ同時期。カラーなので当時の人々やその生活がリアルに活写されていて、それだけでも文化財的な価値ありです。

 「宇宙軒」なんて円い赤提灯を提げた居酒屋がいかにも、ですし、カウンターには地球儀が。

 しかして時代がら、TVはまだ普及しておらず、もっぱらラジオのみ。東京タワーも完成前ですから観られませんし、郊外への旅は普通にSLです。

 もう牧歌的なニッポンの原風景なんですよ。ある意味ユートピア。

 そこに、空飛ぶ円盤と宇宙人、あらわる。

 赤提灯と天文台が舞台となるカップリングの妙は、まさにニッポンのSFですね。


 ニッポンのファーストコンタクトSF映画は、「アホな人類が正しい宇宙人に教わり学ぶ」という、ややコメディタッチの流れがあるようです。このように……


『フランキーの宇宙人』(1957):フランキー堺さんが宇宙人を熱演。

『クレージーだよ奇想天外』(1966):谷啓さんが宇宙人を熱演。

『美しい星』(2017、小説出版は1962):リリー・フランキーさんが火星人を熱演。


 宇宙からの大局的な視点で人類の矮小なアホさを笑い飛ばすセンスを、ワンダーな演出で盛り上げてくれるサービス精神は、なにかとシリアスな洋物SFでカチカチに凝りまくった肩のこわばりをほぐしてくれます。

 上記の国産四作品、ちょっとお馬鹿な所もありますが、おススメです。


 一方で、『地球防衛軍』(1957)、『宇宙大戦争』(1959)、『宇宙快速船』(1961)と、悪い侵略宇宙人とドンパチやる、ちょいとアナクロな作品もヒットしました。

 これはもう、特撮の楽しさを全面に出してバトルに特化した娯楽作で、「宇宙人の視点で人類のありようを考える」といった思索的な要素はスルーされます。

 光線銃や電子砲、バリヤーに宇宙戦闘艦といった、スペースオペラの定番ギミックを使って、いい歳したオトナが遊びまくるお話とも言えますね。

 『地球防衛軍』に登場した、小松崎茂画伯のデザインになるアルファー号とベーター号こそ、将来の宇宙戦艦ヤマトのイメージに繋がる、映像作品における国産宇宙戦艦の実戦投入第一号ではないかと思います。


       *


 ということで、初期のファーストコンタクトSF映画では、宇宙人は“目上の賢者”か、“侵略の怪物”に二極分化していました。


 ただ、いずれも映画を面白くするために監督と観客が創り出した、ある意味ご都合主義的な宇宙人たち、だった側面は否めません。

 そこで、もう少しリアルに、宇宙人の立場をおもんばかった作品が現れました。

 考えてみれば、わざわざ地球だけを特別視して、侵略の対象に選ぶのは不自然。地球のどこがそんなに良いのでしょう。住んでるのはバカばっかですし。

 宇宙人も地球人並みに愚かで、既に民族としては滅んでしまい、科学文明の遺産だけが残されていて、そこに人類が邂逅するケースが考えられますね。


『禁断の惑星』(1956)

『火星人地球大襲撃』(1967)

『火星年代記』(出版1950、TVドラマ化1979)


 “遺跡”という形で残された宇宙人文明に、人類が出会うわけです。

 また、宇宙人が直接に姿を魅せることなく、そのテクノロジーの産物を介して、人類が宇宙人の存在を「知る、感じる、考える、大変な目に遭う」という物語展開がユニークでした。

 遺跡としての宇宙人、その魅力は『さよならジュピター』(1984)にも語られていましたね。

 続きましては……


『頭上の脅威』(1965)

『2001年宇宙の旅』(1968)

『2010年』(1984):『2001年宇宙の旅』の続編。


 これは宇宙人が直接に地球人に対面するのでなく、怪電波を発して成層圏をかすめるだけ、とか、モノリスという通信媒体を介して人類に接触するパターンですね。

 ファーストコンタクトとして極めて合理的です。

 そりゃあやっぱり、直接に対面したら、お互いのバイキンが怖いですから。

 ウェルズの『宇宙戦争』ではたまたま火星人が地球の風邪にかかってくれたからよかったですが、その逆の場合もあるわけでして、1519年にはスペイン人がメキシコを侵略ついでに天然痘やペストなどを持ち込んでインカ帝国やらアステカの文明を滅ぼしたとか、誠に恐ろしい連中です。

 ならば『宇宙戦争』で、火星人によって有害微生物やアレルギー源を持ち込まれて、“火星熱”とか“火星はしか”“火星じんましん”“火星吹出物”などが流行する恐れもあったわけです。

 しかし総じて、地球人の方が肉体的に原始的だったため、抵抗力が高かったのでしょうね。猿に近い方が生物としてたくましかったとか。


 とはいえ、宇宙人に病気をうつされる可能性も多分にあるわけです。

 そんな不安をモロに扱ったのが、『アンドロメダ……』(1972)でした。


 『2001年宇宙の旅』の偉大さは、語るまでも無いでしょう。

 振り返って、21世紀の超大国リーダーのサイテーぶりを見るにつけ、人類はもう一度猿に戻ってモノリスに教わるべきだと思いますよ。反省もできない猿ばかりですから。


 そして、とうとう、とてつもないファーストコンタクト大作が生まれます。

 「宇宙人=B級SF」の常識を覆すエポックメイキングですね。


『惑星ソラリス』(1972、リメイク『ソラリス』2002)

『未知との遭遇』(1977)

『E.T.』(1982)


 上記の三作品と 『2001年宇宙の旅』はファーストコンタクトSF映画の四大文明ならぬ四大傑作と言ってもよろしいのではないでしょうか。


 『惑星ソラリス』は空前絶後に画期的。

 宇宙人の本体は全く姿を見せません。

 その代わり、地球人の心と通じて、地球人が望む姿をした“人物・生物”もしくは“現象・環境”を創り出して、眼前に提示してくれます。

 まるでテレパシーと連動した“3D分子構成プリンタ”でも持っているかのように、ですね。

 宇宙人は地球人と肉体ボディ同士を直接に体面させるのを避けて、極めて洗練させたインターフェイスを創造して、人類と接触していくわけです。

 そしてラストシーン。

 ソラリス星人が創り出した“環境”そのものに包まれたとき、私たちは意識せずにおれません。

 今、私たちが暮らしているこの地球、この自然、この社会全てが、実はソラリス星人が私たちにもたらしたインターフェイスではないか? ……と。


 作中で映される、当時の東京の首都高の場面とか、妙に作り物っぽくて非現実的なあたり、妖しいのかも?


 この感覚、まさにSFのセンス・オブ・ワンダーですよね。

 私たちの世界認識を侵食して、今見えている世界を別物に作り変えてしまう魔力が『惑星ソラリス』に備わっているのです。


       *


 そして『未知との遭遇』(1977)と『E.T.』(1982)の大ヒットがやってきます。

 両作の偉大な功績は、スティーヴン・スピルバーグ監督のセンス・オブ・ワンダーにありました。

 宇宙人とのファーストコンタクトを、ある種のファンタジー・メルヘンに変えてしまったことです。


 『未知との遭遇』(1977)は大人たちの童話。

 そのカギはコミュニケーション。

 あの「ソ・ラ・ファ・↓ファ・ド」といった感じの美しい“音階言語”です。

 加えて、音階に対応した手話。

 デビルズタワーのふもとで鳴り響く音と、弾ける光の饗宴。

 それは、まさに大人のメルヘン空間でしたね。


 『E.T.』(1982)はもちろん、子供たちの童話。

 「イー・ティー!」で触れ合う親指同士のボディランゲージ。

 あらゆる言語を超えた、子供心ならではのコミュニケーション。

 空飛ぶ自転車の魔法は、ハリポタを20年先駆けたファンタジーでしたね。


 両作とも、宇宙人と人類が直接対面しており、“防疫”の観点からは非常に不安の残るストーリーです。

 未知の有害微生物による感染症のリスクは、無視できませんね。


 それはともかく、「音階・手話・身体接触」を駆使した異種間コミュニケーションの巧みさこそ、両作を不朽の傑作に仕上げています。


 この「音階・手話・身体接触」を何に使ったのか?


 宇宙人の「善意を確かめる」手段に使ったのですね。

 だから、私たちは心から感動したのですよ、きっと。


       *


 さて、20世紀に両作をものしたスピルバーグ監督は、21世紀、2026年のこの7月に、どうやら宇宙人ファーストコンタクトらしき第三の新作を公開されるとのこと。

 『ディスクロージャー・デイ』ですね。

 どんな作品になるのでしょう。

 のちの別章で予測してみたいと思います。

 予告編を見て、ちょっと笑ってしまいましたので。

 アノ場面、『美しい星』のリリー・フランキーさんにクリソツじゃん!


       *


 で、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、これら『2001年宇宙の旅』『ソ連版 惑星ソラリス』『未知との遭遇』『E.T.』の四作と比較して、どうでしょう?


 四作とも、コンタクトする宇宙人は「いい奴」ですね。


 『2001年宇宙の旅』の宇宙人さんは姿こそ見せませんが、頼んでもいないのに猿だった私たちの才能を開花させ、教育を施してくれます。

 ただし知性を得た猿たちは、武器のアイデアも得て、それを殺しに使いますね。

 そこからすぐに“美しく青きドナウ”な21世紀の宇宙空間に旅立ってしまいますので、人類が隠し持ったドロドロした欲望や残虐性はぼやけてしまいますが、やがて木星を経由して超空間宇宙を体験して、超人類たるスターチャイルドに“進化”する主人公は、人間の矮小な動物的本能を超越して、宇宙文明のあるべき姿を暗示してくれます。

 『幼年期の終わり』と重なる、人から神への変容。

 これぞアーサー・C・クラークの真骨頂ですね!


 『惑星ソラリス』は観ようによってはホラーチックですが、姿を見せないソラリス星人さんは、主人公たち地球人が最も出会いたい人物、最も囲まれたい環境を忖度して創って差し上げているので、善意の宇宙人です。悪意はサラサラ感じられません。

 お客人のメンタルを配慮して、最良の“おもてなし”を彼等なりに考えてくれていることは、確かなようです。

 物語的には起伏が少なくてさすがに退屈ですが、ソラリス星人の「善意」が良くも悪くもジワッてくるところが、『惑星ソラリス』の魅力。

 あの世界の「不思議さ」こそが、他の作品では味わえないファーストコンタクトの逸品なんですね。


 『未知との遭遇』『E.T.』も、先に述べましたように、独特のファーストコンタクトを心地よい感動とともに味わえます。

 互いに、相手の善意を理解できた瞬間の、あの幸せさ。


 その意味では『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にも、その作品ならではの「ファーストコンタクトの幸せ感」があるはずですし、四つの傑作マスターピースに匹敵する感動が、あるのかな……たぶん、近いものはあるのだろうと思います。


 ただ、やはり、四つの傑作を超えた、とまではいかないでしょう。


 『2001年宇宙の旅』『ソ連版 惑星ソラリス』『未知との遭遇』『E.T.』の四作では、宇宙人と「分かり合う」ために、主人公の人間がそれぞれの心の中に抱えた常識や固定観念などのメンタルな障壁を乗り越える過程が描き込まれているわけでして、その点、グレース氏はいささか弱いと思えるからです。


 ファーストコンタクトを受け入れるために、克服しなくてはならないこと、あるいは洗礼を受けなくてはならないこと。

 それが作品として決定的に大切な要素であると思うのです。


       *


 さてしかし、ファーストコンタクト作品は平和な宇宙人ばかりとは限りません。

 悪い奴や、お騒がせなヤバい奴も続々です。数的にはこっちの方が圧倒的に多い。


『宇宙戦争』(1953、リメイク2005)

『世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956)

『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956)

TVドラマ『インベーダー』(1967-68)

TVドラマ『謎の円盤UFO』(1970)

TVドラマ『V』(1983、リメイク2002)

『エイリアン』四部作(1979、1986、1992、1997)

『インデペンデンス・デイ』(1996)

『メン・イン・ブラック』三部作(1997、2002、2012)

『マーズ・アタック!』(1998)

『宇宙戦争』(1953のリメイク:2005)

『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』(2016)


 いずれも、その時代が抱えた社会不安を反映していると思います。

 20世紀の作品は、ソビエトの赤い共産主義への偏見と恐怖。

 冷戦とスパイの疑心暗鬼が宇宙人に投影されたと思います。

 『V』のように「一皮むけば爬虫類」というあたり、なんかこう、宇宙人に対する滑稽なまでの偏見を感じますよね。まあ、実際、悪い奴等だったから仕方無いけど。

 宇宙人から見れば、地球人こそ爬虫類みたいに見えているのでしょうが。


 そして『インデペンデンス・デイ』以降、21世紀の作品では、米国人が言うところの「ならず者国家のテロリスト集団」が侵略宇宙人に投影されてしまったものと思います。


 とりわけ『マーズ・アタック!』は傑作!

 『世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956)とニッポンの特撮『怪獣大戦争』(1965)も参考にしてるっぽい。ミエミエパロディのブラックな喜劇大作。 

 「逃げないで、私達は友達」とアナウンスしながら大虐殺する火星人。

 あれはもう、地球へ観光に来て遊んでいるのですよ。

 殺すって、楽しいですものね、あいつらにとっては。


 そんなわけで、初めてお目にかかる宇宙人が「善人か悪人か」を、どうやって確かめるのか?

 それが、ファーストコンタクトSF映画の最重要のポイントとなるわけです。


 しかし正直、確かめようがない。

 そこで、善悪どちらともつかない、なんだか説明のつかない複雑怪奇な理知的解釈のカオスの中で、うやむやモヤモヤとした作品が登場してきたのも、最近の特徴かと思います。


『コンタクト』(1997)

『インターステラー』(2014)

『メッセージ』(2016)

『アド・アストラ』(2019)


 そんなところですね。しかしこれらの作品は私にとっては科学的解釈が難しすぎて、なんともはや、ハレホロヒレハレな結末だったような……というか、これを結末と言うべきかどうか……


 つまり、SFすなわち空想科学の作品としては非常に高度な産物なのですが、専門知識を有する理系ファンには合点がいっても、文系フツー人にはちんぷんかんぷんというか。どーでもいいようなというか……


 「理系インテリのための難解SF」という印象が付きまとってしまうのです。


 やはり、観る前と観た後とでは「世界が少し違って見える」というセンス・オブ・ワンダーを期待するのですね。

 しかし悲しいかな、自分の浅学非才では理解できない。

 ク、クヤシーッとハンカチを噛むような思いも否定できないわけでして。


 本当は理系的に素晴らしい作品なのでしょうが、文系には、哀れ「感動以前」で終わってしまうのです。残念なことに。


       *


 で、それが『プロジェクト・ヘイル・メアリー』なのですね。

 精緻な科学的傑作であることはわかるのですが……

 文系SFファンにとっては、「駄作スレスレ」に見えてしまう面があるのです。

 理系的には拍手喝采なのですが、文系的にはポカーンとしてしまう。

 良し悪しではなくて、そういう作品だと解釈するしかなさそうです。


       *


 さて文系SFファンとして、歓喜感動したファーストコンタクト作品を二つ。


劇場アニメ『アイアン・ジャイアント』(1999)


 原作は、イングランドの詩人で児童文学者のテッド・ヒューズ氏が1968年に発表した『アイアン・マン-鉄の巨人-』だとか。

 懐かしき60年代テイストを背景とした世界観は、1962年の青春を描いたあの名作『アメリカン・グラフィティ』(1973)そのものですね。あのノスタルジックな冷戦時代だからこそ、平和に目覚めた巨大宇宙戦闘ロボットとありふれたSF少年の交流は、まさに奇跡のカップリング。

 ネットやスマホの無い時代だからこその、心のゆとりを感じさせる傑作でした。

 あのロボットが21世紀に現れていたら、みんなスマホで撮影するばかりで、「心の交流」は期待できなかったかも。


 そしてもうひとつは……


 TVアニメの『あの夏で待ってる』(2012)


 『メン・イン・ブラック』のパロディにクスッ! ですが、「宇宙人=メガネっ娘の美少女」で、地球少年とラノベなロマンスしちゃったって、いいじゃないか! と開き直った根性に拍手!

 いいじゃないですか、宇宙人さんとの、感染症対策的にはかなり危険なロマンスですが、ロミオとジュリエット的禁断の恋愛的なハラハラもあって、青春男女のドキドキなファーストコンタクトと、宇宙人美少女とのドキドキなファーストコンタクトが重なる物語の楽しさよ。

 それに後日談もあって、宇宙を超えた恋の余韻もしっかり見届けられるところ、もっと高い評価が与えられてしかるべき良き佳作と思います。


 いや、フツーに、宇宙人とのロマンスはあるべし。

 成り行きでやるべきことやっちゃって「責任取ってよ」と宇宙美少女から責められてもいいじゃないですか。異星人とのファーストコンタクトで避けて通れない倫理的課題ですし、だからこそタブー視せずにキチンと描くべきだと思うのです。


 これは日本人のアニメならではの美しき伝統でしょうね。

 『超時空要塞マクロス』(1982~)の、マックス君とミリア嬢のご成婚。

 お子様も生まれてましたし。

 あれって、防疫の観点からしたら、超リスキーですよ。

 赤ちゃんに遺伝子疾患が発生してもおかしくないんですから。


 これこそ、いちかばちか、ヘイル・メアリーな宇宙ロマンスでしたね!


 グレース氏も、このようなロマンス展開は無理だったようですが、ファーストコンタクトSF作品として、いずれは解決しなくてはならない課題のはずです。


 その点、『あの夏で待ってる』こそ、ニッポンのファーストコンタクトSFが到達した、ある意味、世界の最高峰ではないでしょうか!!



       *


 そこで、下記の疑問ですね。


●疑問7:岩人がんじんの「善意」はどうやって確かめる? 感染症対策は?


 これは作品の中に明確な回答があるはずですから、観るしかないですね。

 たぶん宇宙人の「善意確認」と「感染症対策」は、まさにヘイル・メアリーだったのでは?

 主人公グレース氏の「いちかばちか」精神で、ぱっと見の第一印象で「こいつは善人、悪いバイキンも持ってこない」と直感的判断、一か八か、信用しちゃった……のかも。


 グレース氏、絶対に、特殊詐欺に引っかかりやすいカモな御仁だったのではないか? と、ちょっと悪い予感も致しますが。

 とりわけ、宇宙人のロマンス詐欺にはご用心、なのかも。

 四年間も昏睡で禁欲生活だったグレース氏。

 現れた宇宙人が、もしも岩人がんじんでなくピチピチパツパツの水着美女様だったら、どうなっていたことでしょう?

 健康な地球人男性として、やるべきことはやったのでは?

 これが1960年代のB級SFだったら、間違いなく彼は銀河吸血美女エイリアンの餌食になって宇宙ゾンビ化していたことと思うのですが……ま、それもまた楽しからずやのSFなのです。



   【次章へ続きます】


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