451●『プリンセスナイン』(1998)③唐突すぎる「完」と、三本の重大な未回収伏線はどうなる!?
451●『プリンセスナイン』(1998)③唐突すぎる「完」と、三本の重大な未回収伏線はどうなる!?
●<魅力3> 燦然! 潤沢な人物描写、打切り同然の唐突な「完」と、三本の重大な未回収伏線はどうなる!?
女子は女子、男子は男子同士で勝ち負けや順位を争うのが、オリンピックを事実上の頂点とする世界のスポーツ界の常識ですね。
ごくまれに、男女ペアで演技するスケートやダンスが競技化されていますが、かなり例外的な存在。
高校野球も21世紀に至って、女子は女子チーム同士、男子は男子チーム同士で戦うように、既に社会的な枠組みが出来上がっています。
しかし1998(平成10)年に“全国高等学校女子硬式野球連盟”が発足した同じ年に、まるで滑り込みセーフを狙うかのように「男子チームしかいない高校硬式野球界に女子チームで殴り込みをかける」発想を正面に掲げて、異端性丸出しの『プリンセスナイン 如月女子高野球部』が放映されました。
高校生の硬式野球というジャンルで、女子チームが男子チームと対等に渡り合う……というのは、普通、オトナの事情で実現不可能な設定。
現実に行われたら大人たちが眉をしかめる顰蹙ものの事態なのですが……
そこはアニメならではの強引な演出で「ありえねーをありえーるにしてしまう」プリンセスナインたち。それだけでも痛快丸かじり!
そこに加えて、昭和30~40年代、西暦なら1960~70年代に日本の子供たちのサブカルチャーを席巻した“スポコン漫画”のキャラ設定とストーリーテリングをこれでもかと投入した大胆さ。
作品の時代設定が世紀末の1998年だというのに、人物も生活背景も行動原理も、何よりも人情味が30年は逆行した時代錯誤な感覚をなみなみと注ぎ込んだ、ド昭和のスポコン・ノスタルジー作品!
それが『プリンセスナイン 如月女子高野球部』。
いやもう、異端のカタマリです。だからおもしろい。
しかも異端性に加えて……
ちょっと観客に対して無責任すぎやしませんか……とぼやきたくなるほど、正直いい加減で唐突な終わり方。
だってどう見てもこれ、「打ち切り」にしか見えないのですが……
各話のシリーズ構成をみれば、歴然ですね!
本作は、全26話ですよ。
足りないメンバーを主人公の涼自身と監督がスカウトしまくり、九人の選手が“七人の侍”よろしく揃ったのが第10話『如月ナイン誕生!』。
練習試合をなんとかこなし、涼の決戦兵器イナズマボールが登場したところで、涼の父にまつわる昔のスキャンダル報道が再燃し、女子硬式野球部の存続が危うくなり、涼自身も命を危うくした挙句、ようやく一段落したのが第18話『加奈子のバースデー・プレゼント』。
それから涼といずみと高杉君の三角関係がすったもんだしながら高原の合宿を済ませて、ついに地区予選を迎えたのが第23話の『美女と野獣の対決!』。
で、その三話後の26話が最終回じゃないですか!
第2話で「甲子園を目指します!」と氷室理事長が大見得を切って公言してから、部員獲得や競技環境の整備に膨大な時間とフィルムの尺を費やしてしまい、本番といえる地区大会の試合は、23話以降のたった四回分しか割かれていません。
それも甲子園の手前までです。
こりゃ、監督様の公約違反ですよ。
涼たちが甲子園に行かなくては、お話の終わりようがないではありませんか!
*
いやこれ、どう見ても「全26話で終わる気が最初からさらさら無かった」終わり方です。
それだけを取っても、異端中の異端と言うべきトンデモなアニメ作品なのですね。
そのくせ、めっぽう面白い。
関西風にはメッチャオモロイストーリーなもので、26話で終わったところのロスト感が半端なくて、もう、けしからんほどです。
第23話で地区予選に入るまで、メンバー一人一人の個性がとても丁寧に描き込まれているので、“次回予告”のたびに、キャラの皆さんがどんな活躍をするのか、心ワクワク。本当に楽しみになってしまうのです。それがふっつりと途切れてしまったのですから……
最後の最後で、観客にとって耐えがたい空虚感が広がるのです。
だってエンディングテーマの『PASSIONATE DAYS』の歌詞からして、昔、みんなで硬式野球に情熱を燃やした青春の日々を、一枚の写真を眺めてしみじみと懐かしんでいるのですから……
いや、懐かしむなら、ちゃんと甲子園に行って大敢闘してからにしてほしいものです。
そうしてもらわないと、一体何を懐かしめというのでしょうか?
つまり、本作は最初から全52話で構成されていたお話が、半分の26話でプッツンと打ち切られた形になっているのですね。
フルコースのディナーをいただいているつもりが、メインディッシュの料理が並べられた途端にシェフがテーブルの脚につまづいてワイングラスごと卓袱台返しして何もかもおしゃかにしてしまったみたいな、残酷なまでの“食い足りない感”が残ってしまうわけです。
これ、どうしてくれるんだよ、もう……
ナイター中継が八回裏同点でプッツンと放映時間が終わるみたいなものですな。
平成以降はスポンサーのご厚意でフツーに放映延長されるようにもなりましたが、昭和の昔は野球ファンをイライラヤキモキさせたものです。
TVが終わったら、続きはラジオしかなかったような。
それをやらかしてくれるのが、『プリンセスナイン』のニクいところですね。
*
と言いますのも……
オリジナルサントラCDの「Vol1.」に付されたライナーノーツで、原作者の伊達憲星氏がこのように記されているのです。
「予定されている26本以降も、壮大な構想があり」
「高校3年生の夏の甲子園大会あたりには、アッと驚くどんでん返しも用意されており」
「プロ野球編、大リーガー編まで作りたい」
ということは、第26話までは前半戦であり、その後、涼たちが「高校3年生の夏の甲子園大会に出場する」ことは確定していたのですね。
高校三年生まで描くのなら、後半戦にもう26話は絶対必要でしょう。
そのことがはっきりわかっていながら、真ん中でストーリーがバッサリカット!
そりゃないよ……
これじゃまるで“五回コールド負け”じゃないですか。
しっかりしてください、監督様とNHK様!
これが民放なら、視聴率低迷で打切りやむなし……という理屈も成り立ちますが、プリンセスナインの放映主は天下のNHK様! 低視聴率など、どこ吹く風で順風満帆の如く、平然と52話まで走り続けていただいて良さそうなもの。
もっとつまらない大河で紅白なご長寿番組が、大手を振って闊歩しているのですから、プリンセスナインを甲子園へやっていただくくらい、朝飯前のお茶の子さいさいだったでありましょうに。
というのは、私たちは視聴者としておカネを払っているのですから。
これがつまらないクダラナイ作品だったら、何も申しません。
めっぽうおもしろくて素晴らしい作品だからこそ、憤懣が残るのですよ。
だって、プリンセスナインの少女たち、みんな、いい娘ばかりじゃないですか!
ずるこい邪な娘なんて一人もいません。
みんな純真で野球好き。そして仲間が好きで、友を愛している。
前半26話のうち20話以上かけて、それぞれの個性が丹念に描き分けられたことによって、私たちはプリンセスナインの彼女たちを大好きになっているのです。
ああ、こんな青春が思い出の中にあったらいいな……と。
脳内では涼といずみだけでなく、主要キャラ全員が一丸となってイキイキと動いています。
高校野球の頂点を目指して!
心はもう、永遠のグリーンフィールド!
ネット裏で横断幕を掲げて盛大に応援するモブキャラさんたちは、いわば私たち視聴者なのですよ!
それ行けプリンセスナイン! テーマソングのままに一歩を踏み出すんだ!
……と、フレフレ気分が絶頂に達した第26話。
しかも、後半戦の26話に向けて大きな未回収伏線を三本もドッサリと敷いてからに、あっと思えばバッサリカット。
許せんなあ、これって。
*
ということで、“三本の重大な伏線”とはなにか、です。
伏線の一本目はもちろん、「甲子園出場」です。
地区予選突破の直前に来てからに、「彼女たちにとってこれは終わりでなく始まりだ」「あと二年あるわ」「必ず甲子園を目指すグラウンドに戻ってきてくれるでしょう」といった、思わせぶりなセリフをさんざん振り撒いてくれたのですから、「プリンセスナインは、必ず甲子園に行きますよ!」と極太の伏線レールを敷いたようなものです。
そこで「完」のエンドマーク。
悪い冗談はよし子ちゃんヨ!
これ、最大の未回収伏線ですね。
*
伏線の二本目は、「恋の行方」です。
バッターボックスからぬけぬけと“愛の告り”をやらかすキザ男の高杉宏樹君。
ハイスクール・ルドルフ・ヴァレンチノか、ヤング・ドン・ファンとでもいうのか、ここまで定型的を極めたクソラッキーなキザ野郎も空前絶後なのでは?
だって第21話『高杉くんなんて、嫌い!』では、山道を歩く涼の前に、偶然のはずなのに待ち構えたみたいに颯爽と現れ、するとなぜか空が曇って豪雨となれば、目の前に山小屋みたいな木造建築物が現れ、なぜかカギもかかっておらず、雨宿りで中に入れば布団もふかふかのベッドがあって……と、絶対に偶然のはずなのに、どーしてこんなに何もかも彼に都合よく出来上がっているのでしょう。
このご都合主義演出、実は昭和30~40年代の国産青春映画のノリなんですね。
1964年の邦画『十七才のこの胸に』で西郷輝彦さんとヒロインの本間千代子さんが嵐に打たれてずぶ濡れのまま簡易小屋で一夜を過ごすドキドキなシチュエーションを思い出します。
あの頃の青春映画って、「突然の雷→豪雨→雨宿り→服を脱いで乾かす→下着姿チラリのサービス」がすっかり定番化していたような。
そういった「昭和の青春映画そのまんま演出」を再現してくれるのですから、あまりの御都合主義に笑ってしまいますが、キザ男・宏樹のヤツ、すかさずそこで「好きだ」と囁いてくるのです。
財閥御曹司のマイティスポーツマン、しかもキザ野郎のコイツ、高1のくせに女の子の扱いは心得ていますとばかりに、群がる普通女子はスイスイと無視して、幼馴染の氷室いずみと、その一方で「僕を打ち取った君に惚れた!」と涼に言い寄っては、美少女二人の清純な乙女心をケンダマみたいにコロコロと手玉に取ってくれます。
いずみは自信喪失でヨロヨロ、涼は恋心が点いたり消されたりで揺れに揺れてフラフラになってしまいます。そんな状態の涼に「次の球はイナズマボールだ!」とオーダーする高杉君の狡猾なこと。こいつ、恋でも野球でも涼に勝つつもりだ!
「高杉宏樹vsいずみvs涼」の三角関係は、いずみが一歩引いて涼にリードを譲るかのように見えていましたが、このまま終わったら……
「許せねェ!」が、観客の正直な感想でしょう。
世紀の二股男、先天的“女の敵”、高杉宏樹!
神よこの色男高校生に天罰を与えたまえ!
このまま「完」で終わったら、たかがラブコメでも、世も末というものです。
これでジ・エンドのはずがありません。
プリンセスナインに後半26話分が続いたとしたら……
高校生活はまだ二年半も残っています。
「野球は九回二死から」と申します。
九回二死で、いずみの逆転恋愛ホームランは、十分に期待できるところです。
たかがキスの一つや二つで一生の恋をあきらめる彼女のはずがありません。
それに、洋画の『卒業』(1967)しかり、また、あだち充先生の『みゆき』のように土壇場最終回の大逆転こそ、恋愛ドラマの真骨頂です。
本作は世知辛い現実でなく、不可能を可能化するアニメなのですから、絶対に“グレートラブラブどんでん返し”が準備されているはずなのです!
後半26話分が続いていれば、いずみ渾身の「恋の不意打ち卓袱台返し」が見られたはずですよ!
ということで、「恋の行方」こそ、第二の未回収伏線なのです。
*
伏線の三本目は「球界の黒い霧」です。
第15話『お父さんのスキャンダル』で、涼のお父さんがプロ野球選手だった時代に関係したとされる、俗に“黒い霧”と呼ばれる疑惑。
現実世界の“黒い霧”については、オリジナルサントラCDの「Vol1.」に付されたライナーノーツで、原作者の伊達憲星氏が「そもそもこのドラマの発想の原点にあるのは」と、詳しく語っておられます。
時に西暦1969年、ニッポンのスポコン漫画が全盛期を迎えようとするさなか、プロ野球選手が何者かからカネをもらってわざとエラーする八百長を行っていたことが暴露されます。
八百長の背後には、今で言う反社勢力による大規模な野球賭博の存在がうかがわれました。
ウィキペディアには「読売、報知による報道が出始めた頃、当時は創刊間もない「週刊ポスト」(小学館)が野球賭博を追及する記事を掲載し始める。同誌の10月17日号において暴力団による野球賭博の実態に迫った記事を掲載すると」と記載されています。
これが「プロ野球界の“黒い霧”事件」。
『プリンセスナイン』では「15年以上前」のこととされており、1983年以前に同種の事件が持ち上がったと設定されています。劇中に構築された、もちろん架空の事件です。
このとき、涼のお父さんはプロ野球の投手でしたが、八百長疑惑に巻き込まれ、詳しい事情は明らかにされないまま、球界を去っています。
この事実が週刊誌で暴露され、涼は退部の危機に、そして硬式野球部も廃部の崖っぷちに直面します。
追い詰められた涼は、生死の境をさまようことにもなってしまいます。
これは『プリンセスナイン』の“前半”26話の中でも最大の危機でしたが、なぜか涼のお父さんにかけられた疑惑については、客観的に「冤罪」と証明されることなく、曖昧なままで事態が収拾してしまいました。
そうです、涼のお父さんについては、じつは何一つ問題は解決していないのです。
*
野球に半生を捧げた男を描いた『ナチュラル』(1984)という映画があります。
ロバート・レッドフォード演じる主人公は、打者としても投手としても無類の才能に恵まれてプロ球団にスカウトされる寸前、妖しい女性を巡る事件に巻き込まれ、選手生命を棒に振る羽目になってしまいます。
それから16年、年代は作中の新聞などから戦前の1939年ですが、既に30歳代後半となった彼は、ゼロからやり直し、惨憺たる下積み生活の果てに、ついに最下位のプロ球団に採用されます。
そしてこの年、彼の野球人生の全てを賭けた、最初にして最後の栄光のシーズンをつかみ取るのです。
肉体的にはポンコツ寸前の彼ですが、繰り返す不幸を乗り越えて進む彼の“中年の意地”には胸にグッと来るものがあります。
『プリンセスナイン』オリジナルサントラCDの「Vol2.」に付されたライナーノーツで、NHKエンタープライズ21の後藤克彦氏がこの映画『ナチュラル』について詳しく述べておられます。
後藤氏と“フェニックスの山木プロデューサー”の「両方が偶然見ていた『ナチュラル』という地味な映画、それが(中略)『プリンセスナイン』というアニメを世に出すことになったのである」
そして「父・英彦の才能と彼の果たせなかった夢を引き継ぐという重い宿命を背負いながらも、あくまで素直に、心から野球を愛することが出来る早川涼の純粋さもまさに「ナチュラル」なものであり」「あの『ナチュラル』の世界を日本の高校野球で、そして女子高生を主人公にやってみたい」「『プリンセスナイン』には『ナチュラル』へのオマージュと思えるシーンがあちこちに散りばめられている」と記されています。
映画『ナチュラル』はあまり有名ではありませんが、ロバート・レッドフォードの演技が、そのヘボでヘマなところもまるで地を行くみたいに自然体な感じで、だからこそ、一発カッ飛ばした瞬間の感激と爽快さは格別。
一見の価値ありですよ。
涼の決戦兵器“イナズマボール”の由来は、たぶん『アタックNo.1』(アニメは1969-71)の“必殺!イナズマ攻撃”で、そのスピリットがなんと戦闘ロボットアニメに引き継がれて『トップをねらえ!』(1988-89)の“イナズマキーック!”に進化し、それを『プリンセスナイン』が継承したものかな……と思います。
ただし映画『ナチュラル』(1984)にも“イナズマバット”なるものが登場しているんです。
ロバート・レッドフォード演じる主人公愛用の、かけがえのない一本なのですが、ここ一番というときに衝撃に耐えきれず、割れてしまいます。
そのとき球団のマスコットボーイの少年が代わりに持ってきてくれたバットを見て、微笑むレッドフォード。
目頭が熱くなりましたね。
“野球の神様”ってここに宿るのだと。
いや本当に、良い映画です。
ぜひ、おススメ。
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そして、映画『ナチュラル』には、もうひとつ、プロ野球の暗黒面が描かれていることにも注目です。
八百長試合、それを利用する巨大な野球賭博の組織と胴元のボス。
主人公は野球界のダース・ベーダーと暗黒帝王ともいうべき人物と、自分の最後の試合を通じて対決します。
*
では、『プリンセスナイン』ではどうなのか。
涼の父・早川英彦と黒い霧の疑惑は、社会的に完全解明されておらず、彼はまだ名誉を回復してはいません。
これが、“後半26話分”に持ち越されていますね。
涼は、父を殺した殺人者ともいえる“黒い霧”と対決し、父の名誉を取り戻すことになるのです。
ということで、「球界の黒い霧」こそ、第三の未回収伏線なのです。
*
純真に野球が大好きで、野球を愛し、野球が好きな仲間を愛し、友の絆を何よりも大切にする……そんな涼たちプリンセスナインにとって、真逆となる醜悪な存在。
それは、対戦する男子高校生チームではなくて……
“悪い大人たち”ですね。
野球を悪の手段とし、野球を使って人を食い物にするオトナたち。
野球に八百長を仕掛ける、野球賭博の組織です。
大谷選手の以前の通訳さんの問題に関連しても、野球賭博は大リーグを蝕む悪魔的存在であることは確かでしょう。
野球を純粋に愛するプリンセスナインの最大の敵は……
野球を悪事に変えて私利私欲を満たす、野球賭博のギャンブラーたち。
この二者の間に、“良い大人”として、氷室理事長や三田校長、高杉財閥の総帥のお爺ちゃんたちが位置付けられていますが、その向こう側の闇に“悪い大人”たちも存在する。
涼たち女子高生にとって、野球は“聖なるもの”でもあるでしょう。
美しく純粋で、汚してはならないスピリットの宝物。
しかしそれらを残酷に汚す大人たちも、実は少なからずいる。
その事実を前にして、それでもプリンセスナインは、穢れを知らぬお花畑の天使であり続ければいいのか? ……といった命題が、どこかで少女たちを待ち受けているはずなのです。
それが、早川涼がいつか突き当たらねばならない“宿命”なのでしょう。
父の無念を晴らすために……
それはまた、今後の自分の人生に納得できるかどうか、涼自身の未来を賭けた挑戦でもあるのです。
*
『プリンセスナイン 如月女子高野球部』の“前半26話分”は、三本の大きな未回収伏線を残しました。
「甲子園出場」
「恋のゆくえ」
「野球界の黒い霧」
この三つの命題に決着をつけるのが、制作されなかった“後半26話分”なのです。
これは本作の不満点であるとともに、大きな魅力でもあると思います。
幻の“後半26話分”を私たちが想像する手掛かりが、そこにあるからです。
いったい、どんな物語になったのでしょうか?
放映後28年にもなる現在では、もはやすべては闇の中でしょう。
しかし、“前半26話分”に仕組まれたさまざまな伏線を読み解いてゆけば、大まかなあらすじを推理、想像することができると思います。
推理する材料は、あるのです。
“前半26話分”で敢えて語らずに残された要素を抽出することができれば……
それが、“後半26話分”で語られることになったはずなのです。
そこで、最初の九人の選手のうち、二人が姿を消すことも推定できるのです。
【次章へ続きます】




