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16●『未来少年コナン』(15)ヤマト古代君の反省と、「君たちはどう生きるか」

16●『未来少年コナン』(15)ヤマト古代君の反省と、「君たちはどう生きるか」






 『未来少年コナン』では、人は戦争と平和をいかにして選び取るか……を真っすぐに描いていました。


 ●戦争とは、社会のベクトルが“壊すか奪う”を指向している状態。

 ●平和とは、社会のベクトルが“作るか育てる”を指向している状態。


 “戦争(壊すか奪う)”or“平和(作るか育てる)”のどちらを選ぶか。

 インダストリア的に生きるか、ハイハーバー的に生きるか、という選択です。


 で、普通の作品は、この“戦争と平和”の選択肢のかなりの部分を、登場人物の“お説教”で説明するのですね。

 あれはいけない、これがよろしい、かくあるべくして、かくあらざりき……などなど。


 しかし人間、たいてい説教は嫌いです。

 牧師様の説教だけでだれもが悔い改めるならば、世界は数千年の昔から平和に包まれているはずでして。

 他人から説教されただけで生まれ変われる人って、いるはずがありません。


 かの山本五十六元帥閣下もおっしゃっていますね。

 “やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ”

 やっぱり説教だけでは、馬の耳に念仏、なのです。


 そこで普通の作品では、もうこうなると“お説教”をする前の段階から面倒なので有耶無耶《うやむや》にしてしまい、物語が終わってみると、とにかく正義の味方が武力で悪に勝利して、それでめでたしめでたしとなってしまうことが多いようでして。


 “どう生きればいいのか”が、“勝った負けた”にすり替わってしまうのですね。


 お説教すら面倒なので、正義が悪を成敗する“戦争”で決着をつけてしまうのです。

 “悪と戦って勝てば、それでいいじゃん”

 ということです。

 見た目はとてもカッコいいし、スカッとするので、お約束で必ず勝利するヒーローやヒロインやかれらが所属するチームや戦隊の関連グッズを売るための番組には、この手法が多用される傾向にあると思われます。


 しかし現実には、“悪と戦って勝てば、それでいいじゃん”ではなにひとつ解決しません。

 これって、独裁者や全体主義国家の戦争の口実として、昔から散々使われてきた言い分なのですから。

 結局“強い者が弱い者に勝つ”という万古不変の単純なセオリーを再確認しただけなのです。


 “正義が勝てば、それでいいのか?”


 で、横道にそれますが……

 1974~75年に放映された『宇宙戦艦ヤマト』。こちらも名作でしたね。

 その後、続編やリメイクが目白押しとなりましたが、やはりSF的なアイデアの楽しさでは、初代ヤマトがピカイチです。

 第1話冒頭の冥王星沖の会戦で、優勢なガミラス艦隊が列をなして、古代守の艦を中心に回りながら十字砲火を加える場面、初めて見たときはおおっと感動、今でもため息が漏れますね。平面上の旋回でなく、やや角度をつけた螺旋状の旋回をすることで、ビーム砲の同士討ちを避けていることがわかるのです。

 ガミラスの皆様の顔色が途中からブルーになったのは、ヤマトが強すぎたので血の気が退《ひ》いて青ざめてしまったのだ……との説もありますが、確かにそれもアリでして、きっとカメレオン体質で、環境に最も適した保護色に肌の色を変えられる種族だったのでしょう。集団としての同調圧力で、その場その場で上司の“顔色”をうかがう遺伝子を備えていたのです。偉い人が青なら青、黄色なら黄色、赤なら赤とね、全体主義国家ですから。

 メカのアイデアなら“シームレス戦闘機”が抜群です。鳥肌ものに感激しましたよ。コスモシームレスとして、レギュラー化してほしかったなあ。あれ、スケールアップすれば宇宙戦艦の装甲に使えますよ、単殻装甲《モノコック・アーマー》とか。丈夫そうです


 それはさておき……


 第24話、惑星ガミラスでの決戦に勝利して、その廃墟を前に涙ぐむ森雪。

「神様が見えない……」と、嗚咽を漏らします。

 古代進も、悔悟の叫び。

「しなければならないのは戦うことじゃない、愛し合うことだったんだ!」


 大量殺戮のあとで繰り返される、お説教と反省タイム。

 たしかにヤマト、正当防衛とはいえ、ずいぶん殺したもんなあ……。

 この場面、社会に対するわざとらしい言い訳エクスキューズにも見えてしまいますが、とにもかくにも、“正義が勝てばそれでいい”というわけじゃないんだ……と、視聴者を諭してくれたところに、番組の良心を感じますね。


 不器用でも、やはり“お説教と反省タイム”は必要です。

 人類史におきましても、幾多の戦争で無辜の民をゴミのように殺しておきながら、そのたびにお説教と反省を永遠の空念仏《からねんぶつ》の如く繰り返してきたのですから。

 しかし結局、“お説教と反省”だけでその場は抑えられても、本当の意味で解決したことは一度もなかったのでは?


 ヤマトの古代君も、その後ふたたび、『ヤマトよ永遠《とわ》に』(1980)のラスト近くで「残ったのは、俺の血にまみれた手だけだ」と反省し、サーシャの霊魂からしっかりとお説教と慰めをいただくことになりますが……

 新たな映画版やテレビシリーズが公開されるとやっぱりカッとなって大量殺戮をやらかしてしまい、そのたびに人類を代表して猿みたいに反省させられている感じがして、ちょっと可哀そうであります。


 そこで、ひるがえって……


 そこのところ、『未来少年コナン』では、徹底して“お説教と反省タイム”を排除しています。

 それは慧眼というべきでしょう。“お説教と反省”で紛争がおさまりっこないことを承知のうえで、すべてを、コナンとラナと人々の行動で語らせようとしたのだと思います。


 毎回、「君たちはどう生きるか」と難題が持ち上がり、コナンとラナが呼吸を合わせて、苦しみ悩みつつも、口より先に行動して回答を導くのです。


 さらわれるラナを目撃して、いかに行動するか。

 初めてジムシイなる未確認生物と遭遇して、どう対応するか。

 バラクーダ号でインダストリアへ行くために、乗組員のリンチを甘んじて受けるべきか。

 そしてラナは、一緒に囚われたコナンにレプカが“焼きごて”を当てようとしたとき、どのように腹を決めたのか。

 理想郷ハイハーバーにおける“とんだ鬼っ子”オーロの存在と、因縁をつけられたコナンを救うラナの対処。


 などなど……


 正しいことは何か、友情とは何か、守るべき約束とは何か、大人たちの責任とは何か。

 毎回、「君たちはどう生きるか」を“無言実行”で実践しているのです。

 視聴者はコナンやラナとともに、課題に直面します。

 そこに、この作品の普遍性があり、世紀を超えても色褪せない生命感が漂っていると感じるのです。


 特に大事なのは、“殺さない”こと。


 物語の中であまたの人々が死亡しましたが、コナンとラナは敵を一人も殺しません。まあ、殺さずに生き延びたのは、たまたまインダストリアの弾がことごとく外れてくれるという幸運も味方しているのですが、そこはそれ、アニメですから。

 ともあれ、銃器などを使って敵を殺すことなく危機を切り抜ける……という難題を、毎回毎回のピンチの中で、よくぞクリアして下さったものだと、感嘆するしかありません。


 そして、コナンたちだけでなく、主要な大人たちも、人生の選択をしていきます。


 砂漠の処刑から救われて、義理と人情でコナンたちに助太刀するダイス船長。

 少しずつ、少しずつ、コナンの行動と態度にほだされて立ち直ってゆくモンスリーの改悛と転身。

 そして“戦争を引き起こした”大人世代の代表である、三角塔の最高委員会の先生方とラオ博士の“大人の責任を取る”最後の選択。


 レプカですら、“平和のための戦争”という選択肢を貫きます。結局自分だけが逃げる、あの往生際の悪さ。とはいえ彼は自分自身が正義だと信じているから、“正義こそ何よりも救われる価値がある”という信念を実行しているだけなのでしょう。


 このように……


 『未来少年コナン』の凄いところは、作品中で“戦争と平和”をきっちりと定義したこと。

 しかもそれを、《《説教抜きで、登場人物の行動で語りきった》》ことにあるのだと、改めて思うのです。


 いやほんと、トルストイ先生の『戦争と平和』よりもずっとわかりやすく明瞭に……

 ここに宮崎監督流の『戦争と平和』観が物語られているのでしょう。


 ちなみに……

 比較しては申し訳ないのですが、同じ“戦争と平和”テーマの作品として……

 まさに今、2020年初夏にNHKで放映されている『銀〇英〇伝〇』と『未来少年コナン』を見比べてみればわかると思います。

 それぞれの“戦争観”と“平和観”がどれほど隔絶しているのか。

 そして、どれほど説得力があるのか。


 アニメ、いやラノベも含めて、SFやファンタジー作品は、大まかにふたつに分けられると思います。


  ●“現実《リアル》から逃避する作品”と……

  ●“現実《リアル》と闘う作品”です。


 どちらが良いか悪いかと言うものではありません。

 しかし筆者としては、“逃避”するよりは“闘う”方がずっとおもしろく感じます。


 『未来少年コナン』は、明らかに後者に属するでしょう。

 しかも、ずば抜けた傑作として。


 と言うのは、作品のテーマに対して……

 コナンたちは、口先でなく、きちんと行動で結論を出してくれたからです。


 僕たちは、“壊すか奪う”のでなく、“作るか育てる”で生きていくんだ、と。




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