第4話|婚約破棄はしたはずですよね?
あれからというもの──
破棄騒動が嘘のように、私の生活は穏やかだった。
簡単な料理を作ったり。
時には料理長に、この国の調理法を教わったりと、それもまた面白い。
公爵令嬢とは思えない日々だけれど、私はこの時間がとても好き。
けれど、鰹節や味噌、醤油がないのはやはり寂しい。
……公爵令嬢の立場を利用して作れないかしら?
とはいっても、調味料の具体的な作り方なんて知らないのだけど。
もっと勉強しておくんだったわ……。
「さて、今日は何を作ろうかしら──?」
専用キッチンでエプロンを付け始めていると、何か外が騒がしい。
何かあったのかしら?
と考えていると、バタバタと走る音が聞こえそのまま扉が開かれる。
「ろ、ロゼリア様……っ! お、お支度を……っ!」
「アメリー? そんなに慌ててどうしたの?
そうだ、今から料理の試作をするの。 良かったら──」
「ちがっ、あの……っ、王太子が……!」
「──!?」
肩で息をしながら、侍女のアメリーが言葉を発する。
「ちょ、ちょっと落ち着いて、アメリー。 王太子ってまさか……でも何故また……?」
私の言葉にハッとしたアメリーは、深呼吸で息を整え首を振る。
「も、申し訳ありません。王太子は王太子でも、隣国のロヴァルド・アーシュヴァルツ王太子殿下です……っ」
「えぇ!? 訪問の約束なんてあったかしら……?」
「いえ……本当に突然いらっしゃったみたいで、今旦那様が応対しております……」
アメリーに水を差し出し、落ち着かせる。
婚約破棄されたばかりの私に一体何の用が?
事前の知らせもないとはいえ、王太子殿下を放置する訳にもいかないし……。
「アメリー、支度を手伝って」
エプロンを外し、自室へ戻る。
料理をする為の服装からドレスに着替え、髪やメイク、アクセサリーを整える。
まさかエプロンに三角巾で迎える訳にはいかないもの。
「素敵です、ロゼリア様」
「ありがとう。 行きましょうか」
応接室へ向かう間、あの夜の嫌な記憶が蘇る。
せっかく婚約破棄を"してもらえた"のに、また何かあるんだろうか。
もちろん家柄的に、いつかはどこかへ嫁いでいくのは分かってはいるけど──
もう少しこのまま、ゆっくりとした日常を過ごしたい。
……そもそも、どんな用件なのかしら。
応接室へ着き呼吸を整えていると、中から話し声が聞こえる。
「……にとって悪い話ではないはずだ」
「……それはそうですが──」
扉を叩き、応接室へと入る。
「失礼致します」
「……ご息女か。 突然の訪問、失礼する」
──隣国の王太子、ロヴァルド・アーシュヴァルツ。
冷酷な切れ者と名高い人物。
私の記憶の中の彼も、そういう人物だったはずだ。
「お初にお目に掛かります、ロヴァルド殿下。 私、ロゼリア・エルフォルドと申します」
「……ロヴァルド・アーシュヴァルツだ」
ドレスの摘み頭を下げる私に対して、彼は座ったまま目線を少しこちらに向けただけ。
……突然押しかけておいて、その態度なのね?
「単刀直入に言おう」
低く、よく通る声だった。
「貴女に婚約を申し込みに来た」
「──はい?」
一瞬、頭が白くなりかける。
でもあの夜を超える衝撃ではないわ。
というか私、婚約破棄されたばかりなんだけども。
「なぜ…… 私なのでしょうか」
「何故とは?」
彼のわずかに眉が動く。
「エルフォルド公爵家の影響力は計り知れない。貴女も理解しているだろう」
「……それは」
「貴女がこの国の王太妃とならぬのなら、我が国がそれを得る。
──ただそれだけの話だ」
無表情で淡々と事実だけを述べる、その姿が冷酷に映る。確かに利益しか考えてなさそうな考え。
あまり好きじゃないわ。
「有難いお話ですが──」
そう口を開くと、父と目が合った。
王太子殿下に無礼にならないよう、言葉を選びながら続ける。
「私は一度、婚約を破棄された身です。 再び王太子殿下と婚約する資格があるとは思えません」
断る建前ではあるけど、本心でもある。
それに、まだしばらくはこの生活を続けたいの。
「過去は貴女の瑕疵ではない」
「……!」
この人、婚約破棄の理由を知っているんだ。
「……ですが、ロヴァルド殿下のご評判に傷がついては、双方にとっても損ではございませんか?」
「問題ないと言っている」
ど、どうしようかしら……。
これ以上、断り続けるのも不敬になってしまう。
受け入れるしかない、そう思っていると父が口を開く。
「ロヴァルド殿下」
「なんだろうか」
「娘も突然のことで動揺しております。 こちらのお話は、日を改めて頂けますでしょうか」
「……そのほうが良さそうだな」
ロヴァルド殿下はため息を付くと、そのまま立ち上がる。
「本日はこれで失礼する。 返事は良いものを期待している」
応接室から出ると、廊下の空気がいつもより重く感じる。
アメリーが静かに後ろをついてくる中、私は自室へ戻った。
ドアを閉め、深く息をつく。
突然すぎるのよ。
婚約破棄をされたばかりの私に、なぜまた婚約を持ちかけられたのかしら。
私がエルフォルド家とはいえ、性急すぎるわ。
しかも、婚約破棄の事情まで把握されているなんて。
「……でも、まだ私は、この日々を守りたい」
思わず呟いてしまう。
鰹節や味噌はなくとも食事を作り、笑顔で食卓を囲む時間。
公爵令嬢としての肩書きより、今の私にはこっちの方が大事だもの。
気持ちを整理しようと、父の書斎へ向かう。
「お父様…… 少しお時間良いですか?」
書斎の扉を開けると、父は書類に目を通しつつも、私の顔を見て微笑む。
「どうした…… というのもおかしいな。 さっきの件だろう」
「はい…… 少々混乱してしまっています」
事情を簡潔に説明すると、父は静かに頷いた。
「正直に申し上げると、私はまだこの生活を続けたいのです……」
父はしばらく沈黙した後、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「それは理解できる。 私とて、王族に傷付けられたお前を、またすぐに差し出すなど──」
「お父様……」
「だが、向こうも動きが早いだろうな。 簡単に返事を保留できるものではないだろう」
「そう、ですよね……」
「まずはロゼリア、お前の気持ちを整理すること。 家の為とはいえ、焦る必要はない」
父の言葉に少し安堵する。
そう、焦る必要はない。
── 私は私の平穏を守りたい ──
でも、向こうの圧力は無視できないし。
どうしてこう、次から次へと問題がやってくるのかしら。
あぁ、もう!
……頭の中がごちゃごちゃだわ。
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