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タイムスリップ北海道  作者: いばらき良好
第二部 世界のゆくえ
20/30

13の2 F参謀の伝説

 市川大尉は、時世というものを肌で感じていた。日本軍の駆逐戦車を見付けると、敵が投降して来るのだ。

 投降兵の多くがインド人、マレー人で、島田戦車長も驚きの様子であった。

 アロールスター、ペナン島、イポー、クアラルンプール、ゲマスを駆け抜けた。

 残るは半島南端のオーストラリア師団と、シンガポール島のイギリス人部隊だけであった。


 十月十日、敵軍はシンガポール要塞に退いて立て籠もった。

 この頃には日本の空軍が越南国南端のカマウ半島から連日の空爆を実施して、イギリス軍を散々に苦しめていた。

 マレー軍総司令官の山下奉文中将の渡河命令で、近衛、第五、第六、第四一の各師団は、四ヶ所からシンガポールへ猛追攻撃し、たまらずイギリス軍は降伏した。


 十二日の野外広場の降伏調印式には、戦車団の市川大尉たちも勢揃いした。

 英極東軍総司令官のアーサー・パーシバル中将が降伏の条件を述べ始めたため、山下奉文中将は発言を止めさせて一喝した。

「講和じゃない。降伏だぞ。イェス・オア・ノー」

 その声は市川大尉の所まで響く、虎のように強くて清々しいものであった。

 パーシバル中将は弱々しく答え、降伏文書にサインした。

 マレー軍隷下のインド兵約五万人は解放され、日本軍の協力のもとで「インド国民軍」として生まれ変った。


 開戦から日本軍の快進撃に大きく影響を受けたドイツのヒトラー総統は、突如フランス侵攻を開始した。

 フランスは、ドイツとの国境線に「マジノ線」という要塞を築いて、軍備を集中していたのだが、ドイツ軍はオランダ、ベルギー、ルクセンブルクを電撃的に攻略して防衛線を迂回し、フランス国内へと一気になだれ込んだ。

 フランス軍は総崩れとなって敗戦し続け、ついに首都パリが攻略されて十月三十日に全面降伏となった。

 ドイツ軍は、返す刀で北イタリアに侵攻した。


 マレーとシンガポールを占領したマレー軍の山下奉文中将は、マレー半島独立に向けての政体を検討した。

 ベトナムのように統一王は存在しない。居るのはスルタン(権威)と呼ばれるイスラム系の首長たちであった。

 そこで九人のスルタンを持ち回りの元首とする「マラヤ連邦」を発足させた。

 初代首相には、クダ州スルタンの一四番目の子供で、英ケンブリッジ大学に留学経験のある公務員のトゥンク・アブドゥル・ラーマン(三十六歳)が選挙で決まった。

 この時、香港とシンガポールは日本領に編入された。


 英領北部ボルネオには、マレー軍のうち第五師団の松井太久郎中将が進駐した。

 さしたる抵抗もなく英軍は降伏し、ボルネオ島北部一帯におよぶ拡大版「ブルネイ国」が独立した。

 国王には第二十七代スルタンのアハマド・ダジュディン王(二十六歳)が、ブルネイ保護国からそのまま王位に復帰した。


 オランダ本国がドイツに占領されたため、無主の土地となった蘭印である。

 アジアと太平洋の独立を支援する日本は「マレーの虎」こと山下奉文中将のマレー軍を派兵することにした。

 各方面からジャワ島に進出する日本軍に対し、蘭印軍はバタビア南東方向にあるバンドン要塞に籠城した。その数は三万人。


 市川大尉の挺身隊一三六名は、軽トラックと軽自動車、スクーターを最大限に飛ばして、敵がまだ守備を固めていない重要拠点の村々を占領して回った。

 数日遅れて駆逐戦車も到着し、島田戦車団は要塞に対し、猛烈な砲撃を開始する。

 空軍もシンガポールからの長距離爆撃で、これを援護した。


 十一月七日、蘭印軍総司令官ハイン・テル・ポールテン中将は、日本軍に降伏した。

 市川大尉が調べたところでは、現地人部隊はオランダ人将校に比べて待遇が悪く、現地人には文字を学ばせないという「文盲政策」があるために、オランダ国のために死にたいとは誰も考えてはいなかった。

 日本兵が攻めてくれば戦うには戦うが、日本の爆弾や砲弾にはお手上げで、多数の現地兵はすぐに離散した。


 八日、蘭印総督チャルダ・ファン・スタルケンボルフ・スタックハウエルは投降した。

 その際に、これはジャワ島要塞のみの降伏なのだとゴネたので、

「オール・オア・ナッシング」

 そう山下奉文中将は一喝して、蘭印の完全降伏を認めさせた。


 その後のことは、参謀長の鈴木宗作中将にすべてを任せる。

 鈴木参謀長は、各地の政治犯収容所から政治犯を解放し、独立派の大物スカルノ(三十八歳)とモハメッド・ハッタ(三十七歳)に新政権を打診した。

 彼らはバタビアの一軒家に一昼夜こもって、政治形態と新憲法を考え出し、翌朝のラジオで蘭印全土に向けて発表した。

 十一月十日、新国家「インドネシア共和国」の独立とスカルノの大統領就任、新憲法の発表を国民は歓喜とともに、ラジオで聞いた。

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