14の1 インド革命
未だに姿を見せないイギリス東洋艦隊。その戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」について、セイロン島(後のスリランカ)のトリンコマリー軍港を出港したとの情報が日本軍に入った。
制海権の確保と陸軍輸送支援でシンガポールまで進出していた連合艦隊司令長官の小沢治三郎中将は、インド独立のために英艦隊と航空基地を排除すると決め、すぐに空母機動艦隊を出動させた。
機動艦隊の司令長官は山口多聞少将。率いるのは、全空母四隻「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の他、防空軽巡洋艦六隻、夕雲型駆逐艦二〇隻の計三〇艦である。
二五〇×五六メートルのアングルドデッキを備えた近代空母の「赤城」と「加賀」である。その旗艦「赤城」に山口多聞海軍少将と塚原二四三空軍中将、その参謀たちが同乗していた。
塚原中将は、航空戦の指揮を取るために第一航空軍(空母艦載機全二七〇機+軽巡搭載全六機)九〇〇名を率いて座乗している。
もともとは海軍兵学校の三六期卒業で、山口少将はその四期後輩である。
そして実際に空の戦場を仕切るのは、総隊長の淵田美津雄中佐だ。
淵田は元海兵五二期のベテランパイロットで、もし史実の真珠湾攻撃があったなら総指揮官としてハワイ上空を飛んでいた人物だ。
淵田も乗る空母「赤城」は、セイロン島まで四〇〇キロという東方海上である。
「司令官、そろそろ周囲に探索機を出しますが、よろしいでありますか」
参謀長と話合った淵田が、塚原司令官に進言した。
「いいだろう。何機だ」
「八機ずつの『流星』を二波飛ばします」
「山口君、それでいいですか」
塚原中将は、艦隊司令長官の山口少将に同意を求めた。
「了承しました。艦隊を風上に向けます。信号送れ」
すぐに海軍参謀たちが山口少将の指示に応えて、冬の北風へと進路を変更した。
淵田には、熱帯モンスーンの乾いた北風は二五度もあって、心地いいくらいだ。
「赤城」の艦橋には北海道の技術により、対空・水上レーダーが装備してある。
淵田はレーダー員の後ろから画面を覗いていると、エレベーターの上がる音が鳴った。
外を見ると前後のエレベーターから「流星」が上がって来た。
それから八機そろうのにも二分という早業である。
同様に「加賀」でも八機が準備中であろう。
タービンエンジンの高音が、艦橋にまで響いた。強力な二五〇〇馬力を発生させるターボプロップ機のエンジンである。
アングルドデッキの「赤城」の場合は、蒸気カタパルトを使って二機同時に発艦できる。
「淵田中佐へ、行って参ります」
「しっかり頼むぞ」
総隊長の淵田は、艦橋から航空無線で見送った。
バシューンと音がして、燃料満載で四トン弱と重い「流星」が発艦して行った。
それから約一時間――。
セイロン島には戦艦も空母もいなかった。もぬけの殻で洋上周囲からも見つからなかった。
機動艦隊と第一航空軍は共議して、攻撃目標をセイロン島の航空基地に設定した。
「攻撃目標は、第一波がトリンコマリー港と航空基地、第二波がコロンボ港と航空基地とします。出撃するのは、空母から艦戦五〇、艦攻五〇の計一〇〇機を二波。残りの七〇機は艦隊防空と英戦艦発見時のために予備とします」
空軍作戦参謀が作戦案を示した。
「淵田君、これで問題ないな」
「はい」
現場に立つ淵田が頷くのを見て、塚原中将は決めたようだ。
「よし、本日十一月十四日〇九〇〇時をもって作戦開始とする」
海軍と空軍の規定により、航空戦闘中の空母は空軍の塚原中将が指揮する。
「山口君、機動艦隊を西へ寄せられるか。防空は大丈夫なので、トリンコマリー港に肉薄攻撃をしたいのです」
海軍にも配慮した塚原中将の口調は、丁寧である。
「望むところです。長八センチ砲一五二門で敵の軍港を撃ってやります」
山口少将は大真面目に応えた。
彼の名前の「多聞」は多聞天つまり毘沙門天のことだ。勇ましい戦いの神が山口少将には付いているのだろう。
淵田はトップの二人を頼もしく思った。
機動艦隊は「加賀」の最高速度三〇ノットに合わせてトリンコマリー軍港へと向かった。
ちょうど正午には、距離二〇〇キロとなった。
総隊長の淵田は、複座の「流星」後部座席に座った。一機だけ増槽を付けたのは、トリンコマリー戦の後に、そのままコロンボ戦にまで飛んで行くためだ。
「流星」は逆ガル翼が特徴の機体で、急降下爆撃も出来る艦上攻撃機だ。航続距離が一八五二から三〇三七キロもあり、さらに淵田機は滞空時間を稼ぐ仕様だ。
他の「流星」は二式クラスター爆弾を積んでいた。
艦上戦闘機「疾風」と艦上攻撃機「流星」の五〇機ずつが、次々と上空へと舞い上がって行った。
最高スピードはそれぞれ、六九七キロと六三〇キロなので、三〇分もかからずに敵地に着く。
トリンコマリー軍港上空に淵田機が先頭で達すると、英軍のスピットファイア戦闘機が三〇機程、迎撃に上がって来た。
事前に、香港およびマレー戦で鹵獲したスピットファイアは飛行テストされ、一〇三〇馬力のマーリンエンジンを積み、速度五八六キロの高速と旋回性能のバランスが良い名機だとの報告がある。
「総隊長の淵田だ。『疾風』は二機一組で戦え」
すぐに一番隊から五番隊まで隊長機の「了解」が返って来た。
淵田機は高度三〇〇〇メートルで旋回して、空戦域全体を見張ることに徹する。
「疾風」五〇機は二機のペアとなってスピットファイア三〇機に向かって行った。
機体が軽いスピットファイアは軽快である。
しかし、HIターボプロップの「疾風」の方が二四九キロも軽いし、速度と上昇力、改良された二〇ミリ機銃四挺の強武装だ。
淵田が上空から見守る中、我らが「疾風」がスピットファイアを一機、また一機と落して全滅させてしまった。
その間にも「流星」は、攻撃目標を定めて二式クラスター爆弾を投げ落し、淵田の居る三〇〇〇メートルへと上がって来た。
ただ今、地上の惨状は、想像より凄いであろう。
「トリンコマリー攻撃隊、全機帰還せよ」
淵田が戦闘終了を命じた。
「よし、次はコロンボに行ってくれ」
淵田機の操縦士である萩谷信男・二空曹に話す。
「了解しました」
軍港施設と航空基地が壊滅したのを見て、淵田機は南西のコロンボへと移る。
眼下のセイロン島は緑の木々で覆いつくされている。
淵田は考えるに、もし北海道が転移して来なかったら、日本軍は今頃(一九三九年)何の飛行機で戦っていたのであろうか。一九四〇年に制式となった「零戦」の九四〇馬力では、スピットファイア相手に速度で負けて、かなり苦しい戦いになったであろう。
セイロン島西部にある最大都市コロンボは、商港でいつもの賑わいのようであった。
時差を経て、日本の攻撃隊第二波一〇〇機が上空に到達した。
淵田は全体の状況を鑑みて、商港の利用価値を見出した。
「総隊長の淵田だ。港は温存せよ。繰り返す、港は温存せよ」
高性能航空無線で全機に命じた。
下からはスピットファイアやハリケーン戦闘機、複葉機のソードフィッシュ攻撃機まで上がって来たが、どうやら戦わずにインド亜大陸に逃げ込む作戦らしい。
その逃げる敵飛行機にも「疾風」が追いすがり、確実に落して帰って来る。
高射砲も撃ち上がったが、滅多には当たらないものだ。
「流星」が二式クラスター爆弾を落とすと敵陣地は爆裂して、沈黙した。
淵田は、敵空港施設も焼けたのを確認して、引き上げの命令を下した。
「総隊長の淵田だ。戦闘終了、みんな帰るぞ」
一塵の風の如く攻撃隊は去って行った。
淵田は最後尾で全体を見ながら、「赤城」への帰路についた。
三日後の十一月十七日、マレーで結成されたインド国民軍は、セイロン島コロンボ港に無血上陸した。
日本軍からは、武器のみが供与されている。
拍手喝采で迎えられた彼ら五万名は、モハン・シン大尉を中心に「インド独立はインド人の手で」をスローガンに行進した。
セイロン島にイギリス軍人はわずかしか居なかった。
現地人による師団は存在したのだが、傲慢な英士官に反旗を翻して戦場放棄。
脱走兵はインド国民軍に合流した。
十二月一日、全島を制圧したインド国民軍は、五〇万人にも膨れ上がっていた。
モハン・シン大尉は、イギリス支配からの独立を宣言し、初代首相に推された。
国名は古い「セイロン」を棄てて、現地のシンハラ語で「光輝く島」の意味で「スリランカ」と名付けた。ちなみに国民の七割はシンハラ人である。
早速、スリランカにおいて「インド国民会議」が開催された。
モハン・シン首相(三十五歳)を議長に、ガンジー(七十歳)、ジャワハルラル・ネルー(五十歳)、スバス・チャンドラ・ボース(四十二歳)、イスラム系代表のムハンマド・アリ・ジンナー(六十三歳)、ビルマの青年将軍アウンサン(二十五歳)ら各地の有力者たちが集まった。
議論は白熱した。地域性や民族性を考慮した独立後の政体や、武力革命についての作戦計画など様々。
非暴力主義で有名なガンジーは戦争に反対したが、他の人間はインド独立のために革命を起こすことで団結一致した。
担当地区は、四つの軍管区に分かれた。
ビルマのラングーン(現ヤンゴン)に上陸し、北上するアウンサン将軍。
インド東海岸をカルカッタ(現コルカタ)に向けて進軍するボース司令官。
インド西海岸をボンベイ(現ムンバイ)経由で、デリーへと進軍するネルー司令官。
西部イスラム地域(現パキスタン)のカラチに上陸し、北上するジンナー将軍。
独立革命の始まりは、インド全地域の様々な人々に熱気を与えた。
日本軍はインド地域への側面支援に徹して、紅海封鎖作戦を実施した。
海軍連合艦隊は敵を探しつつ、アラビア半島南端のアデン港を空爆して完全に無力化させた。
その後に、松井太久郎陸軍中将の第一八軍がアデン港に上陸する。
空軍は、寺本熊市中将が率いる第三航空軍を派遣して、航空機による海上封鎖を断行させた。
これらアデン軍の活躍によって、英領インドへの補給も先細りとなった。
一九四〇年初旬には、ついにインド英国支配は終えんを迎える。
スリランカ(モハン・シン首相)
ビルマ独立(アウンサン将軍)
ベンガル独立(スバス・チャンドラ・ボース主席)
南インド独立(マハトマ・ガンジー首相)
北インド独立(ジャワハルラル・ネルー首相)
パキスタン建国(ムハンマド・アリ・ジンナー総督)
英国からの圧力が減ったため、ネパール、ブータン、チベット、アフガニスタン、イラン、オマーンは王国本来の姿に戻った。




