4月21日(火)休日
目覚めると、くすんだ窓ガラスから暗闇が覗いていた。
私、あのまま寝ちゃったんだ。
誰もいない診療所でスマホの画面を開く。
暗転した画面に映るのは、酷くやつれた自分の顔だけだった。
……駄目だ、充電切れみたい。
今日はお休みだからいいけど、せめて榊原さんに一報いれてた方がいいよね。
それにしても昨晩は理由のわからないことだらけだった。
L様の家が何だったのか、助けてくれたあの男は誰なのか……てか、そもそもここはどこなのか……何一つ分からないことだらけだった。
これ、私、帰っちゃってもいいのかしら。
薄明かりに照らされた街路灯。
弱々しく明滅する灯りが私の車を照らしていた。
……ん?
……なに……あれ?
車の中に二つの影が揺らいでいる。
真っ先に私を助けてくれた二人を連想したが、
すぐにそれが、《《別のなにか》》だと分かった。
小さな二つの影は私を見ていた。
……子ども?
その瞬間、井戸の上から覗き込んでいた二つの影がフラッシュバックする。
こころなしか子どもたちの笑い声が聞こえた気がした。
キュルルル……ブォン!
静寂を破るようにエンジン音が響く。
「えっ……ちょっと、嘘でしょ!」
二つの影は明らかに私に狙いを定めている。
ライトすらつけないまま、車が外壁を挟んだ先――窓ガラス越しにこちらへ突っ込んできた。
「……っ!?」
人間、本当に怖い時は声が出ないのだと、走馬灯のように考えが巡る。
死を覚悟したその時、二つの影の顔は、ドロドロに溶け酷く爛れていた。
■
「……」
「……白石」
「……白石、大丈夫か?」
渋い声に体を揺すり起こされ、薄明かりが視界を呼び起こす。
「あれ……私……」
そこは、先ほどと同じ診療所だった。
私を助けた男が無表情のまま、私を見据えている。
「子どもが……運転して……」
「悪い夢でも見たんだろ」
「夢か……そうだよね。
子どもが運転できるわけないもんね……」
「ふ、何をトンチンカンなことを」
ぶっきらぼうな男が軽く笑みをこぼした。
窓の外を眺めると、私の車には何の異常もなかった。
「あなたは……?」
「そう言えば、自己紹介がまだだったな。
俺は石狩蓮司だ」
石狩……蓮司……とこよの介護記録で何度も目にした名前……
「あなたが……あの……」
「……あの?」
「えっ、ええ……佐上先輩から話だけは伺ってましたので」
「それは、あまりいい印象を持たれていないかもな」
「休職中だとお聞きしたんですけど」
「そうだ。少し、外せない用があってな」
「あの……L様の家……なんなんです?」
「あそこは……ま、気にするな」
彼は露骨に言葉を濁した。
その先はどうやら話す気はないみたいだ。
「はぁ……助かったからいいんですけど」
「それより、どうしてキミがあそこにいたんだ?」
「どうしてって……訪問スケジュールに入ってて」
「そんなはずは……いや、あり得ない話でもないか」
彼は顎に手を当て、しばし考え込むと、
勝手に自己完結した。
「私……もう、この仕事辞めたいです」
「……同感だ」
「同感?」
「ああ、こんな仕事を続けていたら、いくら命があっても足りない」
本当に石狩さんの言う通りだと思う。
「それでも、石狩さんは続けているんですよね?」
「ああ、俺は正直、見知らぬ高齢者の支援なんて興味はない」
彼はきっぱりと言い切った。
「なら、どうしてこの仕事を?」
「一つは、この仕事をするキミたちを守るためと……もう一つは……ま、つまらない話だ」
もう一つの理由がすごく気になるけど、
どうせ聞いても、石狩さんは話してはくれないのだろう。
「守るって?」
「現に、昨晩キミは俺に助けられただろ」
「それはそうですけど……」
「さあ、もう一眠りするといい。
もう、《《あの子たち》》は家に帰ったから」
「はーい、そうします」
……ん?
あの子たち?
石狩さんが誰のことを言っているのか分からなかった。
もしかして……夢に出てきた、二人の子ども?
彼はそれだけ言い残すと、ベッド脇の椅子で腕を組み、うたた寝を始めた。
結局、名前以外は何一つ分からなかった。




