おまけ SS③「化粧大作戦」
たくさんの方に応援して頂きました。
感謝を込めて、完結後の小さなお話です。
「今日は有意義だったわ、キリフォード。長居してしまってごめんなさいね」
艷やかな赤い髪をなびかせ、かつての同僚だったという女魔術師が
大人の余裕を感じさせる美しい微笑を浮かべる。
私はルーカスの少し後ろで、所在なく両手を重ねていた。
「エルネストにも宜しく伝えておいてくれ」
「ええ、もちろん」
そんなやり取りを交わしながら、ルーカスは静かに屋敷の扉を開けた。
彼女は手慣れた様子で礼を言うと、彼が差し出した外套を滑るように受け取る。
夜風を防ぐ帽子をかぶる瞬間、ゆるやかに揺れた髪の隙間から、ふわりと甘い香りが漂った。
「今度は奥さまもご一緒に、お食事はいかが?」
「考えておこう」
「楽しみにしてますわ」
女魔術師は私にも一度視線を向け、艶やかに唇を綻ばせる。
そして気品のあるヒールの音を響かせながら、夜の闇へと去っていった。
扉が閉まると、ルーカスが小さく息を吐き出す。
私はその隣で、まだ胸の奥に残る高揚を持て余していた。
「はあ……お綺麗な方でしたねえ」
ルーカスは私を横目で一瞥する。
けれど、言葉を返そうとはしない。
「一緒に働いていて、くらっと来なかったんですか?」
「君がそれを聞くか」
「私が男性だったら目で追っちゃいます」
「……」
ため息をつかれた。
「俺は仕事に戻る。君は先に寝ていろ」
ルーカスはいつになく素っ気なく言い残し、さっさと屋敷の奥へと引き返してしまった。
遠ざかる足音を見送った私も、静まり返った廊下を一人で進む。
鼻腔の奥にはまだ、あの砂糖菓子を煮詰めたような甘い匂いが残っている。
そのままバスルームへ向かい、洗面台の鏡を覗き込んだ。
(そういえば私………まともに化粧なんてしたことないかも)
自分の丸い頬を、両手でそっと包み込んでみる。
(もうちょっと、綺麗になりたいな……)
◆ ◆ ◆
それから数日後。
私は暇を見つけては王都の商店街を巡り、きらびやかな化粧品を一式買い揃えてきた。
自室の机の上へ、色鮮やかなパレットや小瓶を広げながら、満足感に浸る。
なけなしの貯金をはたいた甲斐もあって、どれも貴婦人が使うような高級品ばかりだ。
ルーカスは今夜も仕事で遅くなると言っていた。
執務室から出てくる気配はまだない。
今夜は絶好のチャンスだ。
「よし!」
気合を入れ、購入したばかりの化粧読本を開き、見よう見まねで慣れない道具を手に取る。
目元の色はこれくらい濃くていいのだろうか。
きらめきは、いっぱいつけたほうが見栄えがいいはずだ。
頬紅は、血色が良いほうが健康的で、綺麗に見えるに違いない。
……それにしても、この「つけまつげ」という未知の物体は、一体どうやってまぶたに貼り付けるのだろう。
手鏡の前で顔を近づけたり遠ざけたり、試行錯誤を繰り返すうちに、
だんだんと鏡の中の自分の姿に不安が募ってくる。
(……いや、きっと大丈夫!)
自分にそう言い聞かせ、最後の仕上げを施した。
それからしばらくして、静まり返った階下から扉が開く音が聞こえた。
ギシギシと階段を上がってくる、聞き慣れた規則正しい靴音。
どうやらルーカスの仕事が一段落したらしい。
私は椅子から勢いよく立ち上がり、自室の扉を開け放った。
「お疲れさまです、ルーカスさん!」
正面から目が合った瞬間、彼の動きがぴたりと止まった。
「……顔、どうした」
(あっ、効いてる?)
手応えを感じて、少し上目遣いに言ってみた。
「くらっときました?」
ルーカスは信じられないものを見たように、何度も目を瞬かせた。
それから、ゆっくりと口元に手の甲を当てる。
「……君」
何かを言い終える前に、彼の喉の奥から小さな息が漏れた。
「ルーカスさん?」
問いかけると、じっと私を見つめる黄金色の目が細められた。
「……いや」
否定する声が、あからさまに震えている。
私が怪訝に思ってパチパチと瞬きをした、まさにその瞬間だった。
ぽろりと、片方のつけまつげが剥がれ、床へと落ちた。
直後、ルーカスは堪えきれなくなったように吹き出した。
「なんで笑うんですか!?」
「いや、これは……さすがに……っ」
言葉の途中で、またおかしさが込み上げたらしく、ついに声を上げて笑った。
いつもは皮肉げに口元を緩めるだけのルーカスが、
何かを言おうとしては笑いにさらわれ、腹を押さえたまま大きく肩を震わせている。
私は呆気に取られ、ただ目を丸くして見つめることしかできなかった。
(こんな顔、初めて見たかも……)
けれど驚きと同時に、自分の化粧がとんでもないことになっているのだと察し、途端に猛烈な羞恥心が押し寄せてきた。
「……ううっ!」
私は熱を持った両頬を隠すように手で覆って呻く。
ひとしきり笑ったルーカスは、目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、ふうと一息ついた。
「ここで待っていろ」
彼は一度階下に引き返すと、少しして、水で濡らした白い布を手に戻ってきた。
真面目な顔を作ろうと必死に眉を寄せているのだろうが、
引きつった口元からは、いまだ笑いを噛み殺しているのだと一目で分かった。
「一体何を……」
首を傾げている間にも、大きな手が伸びてきて、ゴシゴシと顔を拭き取られる。
「あああ、やめてください、お肌に悪いです!」
「とても美容に気を遣っている人間の顔には見えん」
逃げようとしても、顎を支える指がわずかに強くなって身動きが取れない。
拭われるたび、布に鮮やかな色が移っていく。
奮発して施した化粧は、すっかり剥ぎ取られてしまった。
「せっかく綺麗になろうとしたのに……」
鏡を見なくてもわかる。
すっかり素肌に戻ってしまった私は、落胆と気恥ずかしさでがっくりと俯いた。
すると、頭上から静かな声が降ってきた。
「君はそれで十分だ」
はっとして、勢いよく顔を上げた。
「いま、褒めてくれました?」
ルーカスは眉根に皺を寄せ、苦々しい顔で口をつぐんだ。
「褒めてくれましたよね?」
彼は気まずそうに視線を彷徨わせていたが、
私がじっと見つめ続けていると、やがて観念したように息をつく。
「…………ああ」
嬉しくなって、つい頬がゆるんでしまう。
ルーカスは照れ隠しのようにふいと顔を逸らし、そのまま背を向けて私室へ足を向けた。
「あっ。待ってください、私も一緒に本を読みます」
「夜ふかしは美容に悪いんじゃないか」
「大丈夫です、肌強いんで!」
「……まったく美容に気を遣うつもりがないな」
苦笑するルーカスの背中を、私は弾むような足取りで追いかけるのだった。




